子供っぽい理事会提案
日本衛生学会の「タバコ資金で行われた研究の論文投稿や学会発表の禁止について(理事会提案)」という提案文が、にわかにはてブのホットエントリに上がっていた。(もともとは去年の9月に公表されたものみたい。)
タバコ資金で行われた研究の論文投稿や学会発表の禁止について(理事会提案)
私は、利益相反の懸念を重視して「タバコ資金」の助成を受けた「タバコの健康への影響に関する研究」を受け付けないというのは、ある面では合理的な判断であり得ると思う(研究テーマ等と関係なく資金源を基準に排除するのは過激だと思うが)。だからこそ、どんな分野でも査読者の選定には注意が払われているわけだし。また、学会が特定の価値観へのコミットメントを宣言し、それと対立する価値観を学術的討議の場から排除することも、「まぁそういう所があってもおもしろいんじゃないの」ぐらいに思っている。
しかしこの理事会提案は、文面が穏やかでないというか、子供っぽいのが気になった。明らかに冷静さを欠いていて、言わなくていいことを言い過ぎという感じだ。
タバコ会社は人の命を奪うタバコを販売することによって経営が成り立っています
JTが提供する研究資金はほとんどすべてタバコ売上の利益によるものであり、ヒトの命を奪って作られたものであると考えるべきです。
人の命と引き換えに生み出されたそのような資金
とかいうのはあまりにも文学的だし、
最近JTは缶コーヒーや桃の天然水などの飲料とその自販機を含む飲料事業を売却し、利益率の高いタバコ事業に一層集中しています。そうした中で赤字の医薬品事業を抱え続けるのは、JTは健康を阻害するだけではないというカモフラージュが目的と考えるべきです。
現状の日本のタバコ会社による研究助成がタバコを売るための謀略であり違法なものである
みたいな勘ぐりを、学術団体が理事会名義で公言するのは異常なのではないだろうか。
受動喫煙の健康影響の有無について1980年から1995年の間に発表された総説論文106編を解析したところ、うち39編(37%)が受動喫煙の健康影響を否定していましたが、そのうちの29編(74%)の著者はタバコ会社との関係がありました。多変量解析で受動喫煙は健康影響がないとする論文の様々な要素・特徴ごとのオッズ比を調べると、唯一有意に関係していたのは著者がタバコ会社と関係が有るか無いかで、そのオッズ比は88.4(95%信頼区間16.4-476.5)でした。従って客観的であるはずの科学研究においても著者のタバコ会社との関係性が大きな影響を与えており、タバコ会社から資金を得てなされた研究は、タバコの害を低く評価する方向にバイアスしている可能性があると考えられます。
というような記述も悪質だ。週刊誌レベルの文章なら、「受動喫煙の健康影響を否定する結果が得られた研究は、タバコ会社関係者によって行われたものが多い」という事実から「これはタバコ会社の謀略だ!」と論じても許される気はする。しかし科学者の団体が、論文の内容を精査するわけでもなく、「タバコ会社の関係者だから、研究結果も捏造に違いない」という予断だけを振りまくというのは、尋常ではないと思う。
上記のようなデータはたしかに興味深いものではあるが、そのことをもって個々の研究結果を否定できるわけではないはずだ。「バイアスしている可能性がある」としか言っていないが、印象を誘導しようとしているのは明らかな文面である。
そもそも、「世間一般の風潮が『禁煙ファシズム』に支配されてバイアスを有しており、タバコ会社関係者だけが冷静な研究をできているという解釈もできる」とか言われたら水掛け論にしかならないので、こういう議論は不毛である。
ある一つの理論的な仮説を実証するのにたくさんの研究の蓄積が必要な場合はけっこうある。「こんな実験をやってみたら、仮説を支持する結果が出た」「でもこういう実験だと、仮説は支持されなかった」みたいなのが、多数の研究者によって長年繰り返された上で、「少なくともこういう点については、過去の大方の研究で結果が一致している」みたいなことが言えるようになるわけだ。
数学の研究とかなら論文1本で明快な真理を導き出せるのだろうが、研究の「蓄積」を踏まえて総合的に判断することでしか、何が真理であるのかを検討できないような研究領域は多いはずである。そういう領域では、実験や調査で対立する結果が得られることについてはある程度寛容であるべきで、文句があるなら研究内容を精査したり、メタ分析を実施したりすべきだろう。
何も論文を読まずに勝手に想像で言うと、たとえば受動喫煙の悪影響を調べるにあたって、収集したデータに対し「受動喫煙の悪影響はない」という帰無仮説の検定を行って、悪影響ありとかなしとか論ずる場合が多いとすると、あるデータにおいてこの帰無仮説が棄却されなかったことを報告しているだけであれば、実験デザインに細かいツッコミを入れることで、色々反論は可能なはずだ。そんな研究は腐るほどあり、そういうものを含めて「研究の蓄積」が進み、論争を重ねることによって、学術的な真理に近づいていくものだと思う。
今回の理事会提案は資金源のみを基準に研究発表を排除するというもので、それがタバコの健康への影響を扱うものかどうかは関係ないというふうに読める。利益相反を排除するのが目的であれば、研究テーマとの組み合わせでルールを設定するのが合理的である。それをしないということは、学術研究における利益相反を排除しようとしているのではなく、とにかく特定の団体と戦うことが目的だと言っているわけだ。それはそれで面白いので頑張ってくれたらいいと思うが、学術的に真理を探求する際の態度として合理的かというと、怪しいだろう。
この概算にもとづけば、JTの調整後国内営業利益2,387億円から支給される補助金は340万円ごとに、ひとりの日本人の命が奪われた結果であることになります。
に至っては意味不明なので、誰か解説してほしい。
パブコメは反対意見のほうが冷静
これに対して、既に寄せられているパブコメにもヤバイものがある。
タバコ資金で行われた研究の論文投稿や学会発表の禁止についてのパブリックコメント
どうでもいいが、上記リンク先のURL末尾が「tabacco-opinion」となっていて、英語での綴りは「tobacco」だと思うのだが、あえてイタリア語を混ぜてみたのだろうか?
内容的には賛成意見が多いのだが、賛成意見と反対意見を比べると、賛成意見のほうが子供っぽいと感じる。
貴会の「タバコ資金で行われた研究の論文投稿や学会発表の禁止」について
うれしかったのでご連絡差し上げました。大賛成です!!!
趣旨につきましても大いに賛同いたします。どんどん広まっていくことを
期待しております。
応援しておりますのでぜひがんばってください。
「大賛成です!!!」程度ならTwitterで言ってればいいのではないか。
タバコ試験で行われた研究の規制の件ですが、賛成です。
この時代、そして、これからも禁煙に向けて動いてくと思います。
したがって、規制するのは当然だと思います。
漢字変換からしてミスっとるし・・・。
今回の提案に関して,全面的に賛意を表明します.
さらに,追加をしていただきたい点を列記いたします.
● 提案にも記載されている「JTが経営する医薬品事業」は「鳥居薬品」の事だと思われますが,わが国の学会の学会プログラム・抄録集への広告掲載例が見られます. その他,学会時の企業展示としてブースが出されている場合もあります.さらに冷凍食品メーカーであるテーブルマークも子会社化していますので,これらのグループ企業を含めて協賛の禁止を謳っていただきたい.
● 他の学会ではありますが「JT生命研究所」および「JT」の研究員が発表している事例があります.これに関しても内容にかかわらず所属を明記しての発表は禁止としていただきたい.
ここまで来ると本格的にファシスト臭が漂ってきますね。
2. 「喫煙科学研究財団」は、喫煙と健康問題の科学的解明を進めるために研究事業をおこない,毎年採択課題は160もある。これらに基づいてJTは,まだまだ発展途上の研究が多いため「たばこの有害性は科学的に証明されていない。」と主張している。また研究費を採択された全ての研究者は、JTの言い訳に利用されている状況である。
主張に反論すればいいのに、「研究費を採択された全ての研究者は、JTの言い訳に利用されている」ってそんな断定していいんだろうか。
これに対し、反対意見は冷静なものが多い。
理事会(案)に反対です。
1. COIを明確に示していれば、民間からの助成を受けていても中立の立場からの研究と言えるので、タバコ業界からの助成を受けた論文投稿に限定してこれを排除する理由が明確でない。
2. タバコ関連業界から助成を受けた論文を一方的に受理しないことにより、色がついている可能性のある研究論文を予め排除することが可能ではあるが、色の識別は雑誌の査読者がしっかり内容を精査することで対応できるはずである。
3. タバコが健康を害する大きな要因であるのであれば、衛生学会会員の興味もタバコの影響に傾いているはずであり、今回の措置をとればむしろ喫煙の影響に関する論文投稿が少なくなる懸念がある。
4. たとえタバコ関連業界から助成を受けていたとしても、タバコの影響を論じた研究論文を審査しないことそのものが、「日本衛生学会タバコ対策宣言」あるいは、禁煙を推進することに繋がるとは思えない。
5. タバコ以外にも自動車工業界からの直接投稿された論文も受理されている。大気汚染の原因となっている業界からの論文だからといって拒否されてはいない。
6. 本趣意書に「最近JTは缶コーヒーや桃の天然水などの飲料とその自販機を含む飲料事業を売却し、利益率の高いタバコ事業に一層集中しています。そうした中で赤字の医薬品事業を抱え続けるのは、JTは健康を阻害するだけではないというカモフラージュが目的と考えるべきです。」と記載されている。この記述は禁煙運動を進める1団体としての意見としては問題がないであろうが、学会としての意見書としては如何なものであろうか。上記述が確証に基づくものでなければ、中立的立場にあるべき学会が想定でものをいう団体と見做される危険がある。
代替意見(案)
タバコ関連業界から助成を受けた論文に関しては、投稿時にCOIをさらに厳格化することとする。助成を受けた金額、期間、ならびに内容は業界の意見を反映していないことを正確に記載することを求める。
論文はフォーマルで公平な議論のためのツールであり、あらゆる研究に対して開かれたものであるべきだと考えます。そのため、今回のご提案については賛同しかねます。
まず第一に、研究成果の公表と議論を無用に抑圧してしまう可能性が懸念されるからです。COI管理のコンセプトからも、COIがあるからといってその論文が公表されるべきではないとは考えられません。あらゆる研究結果について、COIをしっかりと開示し、それを読者が加味して論文の内容を検討すできるようにすることが重要視されており、私もこの考えに賛成です。
タバコ等、大きな寄与的健康被害の原因となっているであろう製品やサービスの提供者からの資金援助についても、それを積極的に公表したものであれば、他の研究と同様に歓迎されるべきと思います。十分な情報開示を伴った形で論文を掲載し、議論の材料とすることで衛生学の発展に貢献できるのではないかと考えます。
第二に、健康への脅威となるか否かという価値判断は相対的であり、時として困難なため、タバコ産業への特別措置をすることで、他の産業への対応も求められ、泥沼的な対応が迫られるのではないか、という懸念があるからです。タバコ産業を絶対的な脅威とすることは難しいと思います。たばこ産業によって経済的利益や社会的役割を得、生活している人もいます。ポテンシャルとして健康への脅威を与えうる産業は他にもたくさんあります。すべての産業といってもいいかもしれません。たとえば、軍事産業、ジャンクフードを販売する食品会社、アルコール飲料製造メーカー、自動車メーカー(交通事故の脅威)なども考えられます。
学術学会根本的な存在価値のひとつは、「自由な研究発表の場」であり、「レッテル貼り」や「特定の価値・立場の排除」というような原理主義的な立ち位置に、学術学会は陥ってはならないと考えます。科学的に明らかな誤りは、査読の過程や他研究者による検証の過程で正されるべきものであり、提案理由に記載されている3つの内容は理解できますが、それを盾に、最初から「ドアを閉じること」は妥当とは思いません。昨今ようやくCOIの考え方が理解されて広まり、タバコ資金に限らず研究資金の出所を明示することが一般的になっています。COIを明示するだけでは不十分でしょうか。
タバコ資金で行われた研究の論文投稿や学会発表の禁止についても同様に言論の自由を記した憲法21条との法的整合性との関係で、問題になるはずである。
(中略)
納税が免除されている公益社団法人である日本医師会に日本医学会が置かれ、その分科会の一つが日本衛生学会である。したがって、日本衛生学会は納税が免除されている公的組織であるから、私的な任意の組織とその性格が異なるはずである。公的機関の運営や内規などは、憲法との整合性が必須になるが、私的・任意組織ではその縛りがほとんどなくなるはずである。本件を本学会の制度とするならば、本学会を日本医学会の分科会から離脱させれば、憲法21条との法的整合性が問われなくなるはずである。ただし、一般法人の場合、納税義務が生じる。
最後の憲法の話が、実際の法解釈として正しいかは知らないけど、論旨としては説得力がある。
[追記]
ブコメで
自分が分かるところだけですが、憲法21条の下りは蛇足で説得力もありませんー。集会結社の自由に対する制約はごく限定的で、「強制加入の税理士会が政治団体に寄付をする」くらいまで行かないと制約されません。
というご指摘を頂きました。
[/追記]
個人的に思うところ
私自身はタバコを吸わないので、喫煙を擁護したいというモチベーションはべつに無いのだが、他人のタバコの煙があまり気にならない人間なので、喫煙者を叩くモチベーションもない。
また、「ヒトの命を奪っている」というが、太く短く生きる権利は認められるべきだし、タバコによってストレスが軽減されたりするヒトがいるのであれば、吸ってりゃいいじゃんと思う。こないだ同僚が使っているのを見たのだが、副流煙が出ないようにする装置も最近は売られているらしいので、「周りに迷惑をかける」みたいなのも今後はさほど重要ではなくなってくるのかもしれない。
「禁煙ファシズム」というようなひどい状況なのかはよく知らないのだが、高校の世界史でも習うアメリカの「禁酒法」みたいな例もあることだし、一種の極端な潔癖症が公認の価値観とされる時代があること自体は、不思議なものではないと思っている。なので、全世界的に禁煙運動が支配的な潮流になったとしても、空気に合わせるのではなく、それが本当に合理的なものであるか常に疑い続ける必要はあると思う。
さらに、個人的には、常に「叩かれている側」を応援したくなってしまうので、衛生学会に対するJTの反論や、世の中の空気に抗って「タバコは無害」説を主張する研究者に期待している。
冒頭でも述べたように、利益相反の懸念排除を学術誌の論文投稿基準に加えるのは、考え方としてはあってもいいと思う。
また、学術研究といえども特定の価値観から完全に自由ではあり得ないし、むしろ特定の価値観と結託することがある種のクリエイティビティを加速するかもしれないと思っているので、特定の価値観へのコミットメントを学会として宣言することがあってもべつにいいだろうと思う。
しかし研究者というのは、「厳密には特定の価値観から自由ではあり得ない」のだとしても、相対的に、価値観によるバイアスを除去する努力を熱心に行うことが期待されている人種ではあるはずだ。だから、「利益相反の懸念を徹底的に排除したい」というだけならまだ理解できるものの、今回の理事会提案のように「人の命と引き換えに生み出された資金」だの「謀略」だの「カモフラージュ」だのといった誹謗中傷の類を並べ立てるのは異常だと思う。
ただ、結論としては、そのような異常な学会があってもそれはそれで面白いと思います。