- 作者: 根本祐二
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2011/05/25
- メディア: 単行本
- 購入: 41人 クリック: 617回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
アメリカでは、大恐慌後の公共工事ラッシュ時に建設された橋が、ちょうど50年ほど経過した1980年代に次々と崩落事故を起こして国民を震撼させた。老朽化を放置していた結果である。日本のインフラも高度成長期、特に東京オリンピックや大阪万博の頃に集中的に建設が進められており、今後2010年代に一斉に耐用年数の限界を迎ることとなる。これを放置すればアメリカと同じように、危険な事故が続発しかねない。
ところが本書によると、かつてのアメリカも現在の日本も同じなのだが、景気対策期や経済成長期にインフラを集中的に建設しておきながら、それらがいずれ一斉に更新時期を迎えることについては行政プランの中で忘れ去られており、予算獲得も難しくなった(建設から福祉へのシフトなどによる)。その結果、インフラの更新投資の必要性はかなり軽視され、なんだかんだと理由を付けて先延ばしにされた挙句、重大事故が相次いで発生したのがアメリカで、日本もいま30年遅れて同じ局面を迎えつつあるという。
朽ちていく日本のインフラ
本書によると、一般にはあまり知られていないものの、日本でも老朽化が危険なレベルに達しているインフラは急増しており、すでに使用停止や通行規制に到った橋は全国で1,764箇所ある。老朽化による崩落や破損、使用規制に関する具体的な事例も、本書では40件以上紹介されている。しかも危険なことに、全国に68万ある橋のうち、日常的に点検・管理されているものはごく少数で、そもそも38%の自治体は定期検査すら行なっていないのだ。
これは橋だけの問題ではなく、学校、図書館、病院、公民館といった公共施設や、上下水道、ごみ処理場などのインフラにも言えることのようだ。ちなみに水道管については、そもそも震度6強の地震に耐えうるよう設計してあるものが全体の30%しかないらしい。すでに公共施設といわれるものの半数以上は築30年を経過しており、一般的な耐用年数が50年だとすると(コンクリートの構造物は80年ぐらいとされる場合も多い気がするが)、今後20年間で一斉に改築していかなくてはならない。
また今回の大地震で、あまり話題になっていないのだが、地震そのものというよりも老朽化を放置していたために起きてしまった事故もけっこうあるようである。たとえば都内では九段会館のホールの天井が落ちて2名が死亡し、20数名が負傷したのがニュースになっていたが、千代田区の震度は5強であり、建築基準法が要求している耐震基準を大幅に下回る揺れに過ぎなかったのである。津波が来たわけでもないし、地面が液状化したわけでもない。建築基準法は基本的に、震度7を想定して耐震基準を定めているらしい。ところが今回、震度6以下の揺れで、かつ津波被害も無かったにもかかわらず発生してしまった施設・インフラの「重大事象」がいくつもあって、本書では九段会館の事故を含めて10件が紹介されている。
莫大なインフラ更新投資のファイナンスが必要
今後必要とされるインフラの更新費用について、著者や著者の協力自治体は専用のソフトまで開発して細かく積み上げ計算を行なっており、内閣府の「PFI推進委員会」でも発表したらしい。だいたい、年平均で8兆円の更新投資を、50年間続けなければならないとのことだ。現在でもおよそ2兆円程度の予算がインフラの「更新」に使われているから、差し引き6兆円の予算増が必要であるということである。それも毎年だ。内訳をみると、建物が44%、道路が24%、上水道14%、下水道10%、橋梁8%である。また著者によると、施設の建物自体よりも、その中で(たとえば病院や処理場で)使っている機械類のほうが耐用年数が短いため、意外に多額のカネがかかるらしい。
ところが周知のとおり、国も地方も、税収減と社会保障費の増加によって財政は逼迫している。しかも公共インフラというのは、建築物で9割以上、下水道などはほぼ全てが地方自治体のものだから、なおさらファイナンスが困難である。著者によれば、「インフラの更新需要で景気対策になるんだわーい♪ヽ( ´∀`)ノ」と喜んでいる場合ではなく、現在の行政のやり方を前提にする限りどう計算しても資金が足りないから、このまま更新が必要な施設の何割かは放置されて、10年後ぐらいにはあちこちで崩落事故が相次ぐという、アメリカの二の舞を演じるのではないかということだ。
そこで著者は本書で、更新投資が軽視されてきた経緯を論じたうえで、民間資金を活用してファイナンスしていく方法とか、更新投資自体を最小化するためのマネジメント手法とかを論じている。実際著者は、いくつかの自治体の取組みに実地で参加もしているらしく、事例として詳しく紹介されている。
自治体当局の腰が重いらしい
我々国民が認識しなければならないのは、(1)今後大規模なインフラ更新投資が必要であり、これを怠ると人命に関わる惨事を招きかねないということと、(2) 予算制約が厳しいために、何割かの施設は維持を断念して整理統合したり、サービスレベルを見直したり、不要なものは売却するなどの処理を進める必要があるということだ。ところが著者がそれを自治体や地方政治家に説明しても、「公共投資はすでに十分行なってきたので、これからは福祉や教育に予算を使うべき」とか、「そんなものは国の責任だ」とか、「更新投資は(新規建設に比べて)票にならないからやらない」とか、「この施設だけは特別(聖域)だから整理集約は許されない」などといって、取り合ってくれない場合も多いらしい。
ひどい話ではあるのだが、本書を読むと、ろくでもない政治家や役人がたくさんいるからやっつけろ!と叫んで済む問題でもないことが分かる。公共インフラは自治体管理のものが多いからもともとややこしく、情報も不足しているし、過去に行なわれた公共投資が数十年後の更新計画まで見据えて行なわれたものではないことや、「公共工事なんて税金の無駄使いと談合の温床だから許さん」といった最近の風潮などがあいまって、複雑な経路依存性が積み上げられており、全体が仕組みとして上手く行っていないという印象を受ける。
今後の取組みは?
著者は本書の後半で対策を検討していて、まずは何よりも“数字”を明らかにして、政策当局や住民に明確な問題意識を持ってもらうことだという。そもそもインフラの何割がヤバいのかとか、更新投資に幾らかかるのかについても、著者は現在入手可能なデータについてはできるだけ網羅して計算しているようだが、それでも実態を把握するにはぜんぜん足りていないらしい。また、住民にインフラの整理統合が必要であることを理解させる上でも、たとえば「公民館は利用1件あたり1万円の費用がかかっているのに対し、収入は300円強しかない」、「図書館の本の貸し出しは、1回あたり1000円から2000円の費用がかかっている」、「小学校の跡地が売却されてマンションが建ったりするのに反対するのなら、1世帯あたり100万から150万円の損失になる」などといった数字を突きつけて、税金の使用に関する感覚を共有してもらう必要があると。そりゃそうだろう。
その上で、「更新投資の最小化」と「適切なファイナンス」を、民間企業の経営手法を参考にしながら行なっていかなくてはならないというのが著者の主張だ。施設の統廃合、「スケルトン・インフィル」方式(公共施設を建設する際に、たとえば学校から病院へ、病院から公民館へというふうに将来の転用を容易にするような設計思想)の導入、インフラマネジメントのシステム化によるメンテナンス費用の削減、下水道などのネットワークのスリム化、建築の長寿命化技術の導入、自治体の枠にとらわれない広域連携(施設を複数の自治体で共有するなど)、不動産の売却や貸付、民間からの資金調達などなど、具体的な方策が論じられている。
自治体ごとの取組みの紹介は細かすぎて頭にあまり入らんかったがw、本書前半の、「インフラ更新投資は今から本気で取り組まないと人身事故が起きますよ」という危機感の煽りは、もっとじゃんじゃんやってもらいたいと思った。あと著者はNPMとかPPPとかPFIをすごく推してるけど、日本においてもそれらが意外に進化してきたのかな?
私はもともと、官民提携が大事なのは当たり前だとしても、「民間の経営手法を行政にも取り入れて合理的な政策運営を!」的なスローガンは、安易な内容のものも多いのであまり好きではなかったのだが、本書を読むと、具体論として面白いアイディアが色々出てきており、ある程度成果が上がっている例も出始めているということは分かった。
著者は、国の後ろ盾で国債によってファイナンスしていくといった方法は禁じ手として封印しており、基本的には自治体と民間企業の協力モデルを築き上げることで更新投資をファイナンスするのが望ましいという立場のようだ。それについては両論あるだろう。地方で資金調達したほうが責任は明確になるだろうけど、地方債よりは国債のほうが安定的に資金調達できるはずだ。地方で最大限努力した上で、足りない分は国が助けるとかいう感じになるんだろうけど。