The Midnight Seminar

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経産省/オルタナティヴ・ヴィジョン研究会『成長なき時代の「国家」を構想する』

成長なき時代の「国家」を構想する ―経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン―

成長なき時代の「国家」を構想する ―経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン―

  • 作者: 中野剛志,佐藤方宣,柴山桂太,施光恒,五野井郁夫,安高啓朗,松永和夫,松永明,久米功一,安藤馨,浦山聖子,大屋雄裕,谷口功一,河野有理,黒籔誠,山中優,萱野稔人
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2010/12/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 経済産業省が主催し、三菱総研が事務局となって、様々な分野の若手研究者を集めた「オルタナティヴ・ヴィジョン研究会」という集まりが2009年に開かれていたらしい。以下に要約するように、かなり異色の研究会だと思う。本書はその研究会の成果で、最初に編者による報告書的なまとめがあり、次に参加した研究者たちによる諸論点についての短い論文が13本収められ、最後に参加した研究者たちと経産省メンバーによる討論会が収録されている。
 一言で言えば、「仮に経済成長率が長期的に低迷するということを前提にした場合、我々は何を社会的目標として国家を運営すべきなのか」を考える研究会だ。


 成長志向からの脱却
 従来の経済政策はほぼ例外なく「経済成長(GDPの成長)」を前提としていたし、高い成長率を達成することを主要な目標の一つとしていた。しかし人口は減少し、資源が逼迫し、リーマンショック以降の世界的不況が長期化の様相を見せ、唯一の希望である新興国の需要も成熟化に向かうとなると、「経済成長は困難」という前提のもとで経済政策を組み立て直す必要があるかもしれないと本書は言う。
 巻末の討論会で柴山桂太氏は次のように言っている。

まず一ついえるのは、これから低成長を迎えるということですが、実はこれまでの高度成長のほうが歴史的にはかなり異常な事態であるということです。いち早く産業革命を達成した19世紀のイギリスでも、最盛期の平均成長率は2%くらいですから、第二次世界大戦後の経済成長の時期というのは、資本主義の歴史のなかでも異常な時代だったといえます。


 しかも先進国においては、成長そのものが望めなくなると同時に、そもそも経済成長と国民の「福利」が一致しなくなりつつある(「豊かさ=幸せ」とは言えなくなりつつある)。
 こうした予感に基づいて、「2020年代以降、GDPの成長が長期的に0〜1%未満に留まる」などの悲観的な前提条件を置いて経済政策のシナリオを描こうと試みたのが本研究会である。


 1970年には朝日新聞が「くたばれGNP」という特集を組んでいたし、1972年にはローマクラブが「成長の限界」というレポートを発表していた(以前のエントリで要約した)。本書によれば、日本政府が打ち出したかつての経済ビジョンも、「『成長追求型』の経済運営から『成長活用型』の経済運営へ」(1971年)とか「文化の時代の経済運営」(1980年)などを掲げてきた歴史があり、経済成長至上主義からの脱却というテーマ自体は新しいものではない。そういえば岩波新書で『ゆたかさとは何か』なんてベストセラーというかロングセラーもあって、出版から10年以上経ってたのに中学校の宿題で読まされた記憶がある。まぁ要するに「量から質へ」というわけだ。


 しかし70年代も80年代も、振り返れば結局のところ「追いつき追い越せ」型の経済運営が行われてきたし、実際に成長は継続していた。限界は、思ったほど早くは来なかったのだ。しかし上述のとおり、2008年以降のステージはこれまでとは異なり本当に「低成長」に陥る可能性があって、「リスク・シナリオ」を今のうちに書いておかなければならないというのが本書の立場である。


 「福利」という新たな指標
 上述のとおりGDPの成長に対する制約は強力になりつつあり、しかも先進国においては国民の福利(幸せとか満足感)がGDPの規模とは必ずしも一致しなくなっている。つまり今後は、かつても繰り返された議論ではあるのだが、国内総生産だけではなくもっと総合的な、「国民総福利」の向上とでもいうべき目標を掲げて政策運営を行うべきであると本書は主張する。
 もちろんそうは言っても、「福利」を総合的に評価し、定量的に示すなんていうのはあまりにも難しい作業であり、恐らく限界もある。しかしその詳細な方法論は今後検討していくとして、ひとまずその際に考慮されるべきいくつかの「視点の変更」について、中野氏の報告がまとめている。全体として、「共同体の維持・発展・充実」を重視しているのが特徴だ。


 (1) 個人から社会へ:個人のアウトプットの総計ではなく、個人間の関係性、社会的文脈、家族・コミュニティ・国家の役割といった集合的(全体的)な視点が必要となってくるであろう。
 (2) 短期から長期へ:共同体は世代をこえて持続するものであることを重視する。バブルのような突発的な景気ではなく、長期的な安定を目指すべきであろう。
 (3) 量から質へ:数量的な富の拡大よりも、生活における充実感や、満足感を重視すべきであろう。充実感・満足感というのは、量的に拡大していくというよりは、質的に深まっていくようなものである。
 (4) 事後から事前へ:自由競争による成長を最大化した上で、生じてくる問題を事後的に処理する(たとえば経済格差を再分配で埋める)というやり方ではなく、最初から共同性や一体感を保障するような制度設計を重んじるべきであろう。


 こうした視点から、なるべく総合的な「国民総福利」といった指標を設けて、その向上を新たな目標とし、評価していこうという話だ。
 ところで、「総生産」から「総福利」へと目標を移動させるからといって、オルタナティヴ・ヴィジョンはべつに「生産活動」を軽視するわけではない。生産活動における技術革新は福利を向上させ得るし、生産活動は、そのアウトプットのみならず、そのプロセスに参画することが、人々の承認欲求や自尊心を満足させ、帰属意識をはぐくみ、福利を向上させるからである。


 経済政策の方向性
 さて、こうした総合的な「福利」を重視した目標は、どのような経済政策によって達成されるのか。具体論ではないが、その方向性や理念についての本書の差し当りの見解は次のようなものである。


 〈ミクロ面の政策について〉
 「生産福利」の向上――従来のような「生産性」の向上(効率化)ではなく、あくまで生産活動を通して人々の福利を総合的に向上させられるかどうかに配慮しなければならない。生産のアウトプットによる福利のみならず、「働きがい」のような、生産プロセスへ参加することによる福利も含めて。
 「共同体としての企業」の構築――例えばいわゆる「老舗」のように、市場シェアや規模の拡大よりも企業の「継続性」を重視して、関係する人々の信頼が持続的に深まって行くような、共同体的な場としての企業を育てていかなければならない。


 〈マクロ面の政策について〉
 「非生産福利」の拡大――家族との触れ合い、余暇のたのしみ、地域のつきあい、社会貢献など、生産活動以外のところで得られる福利を軽んじないこと。「生産福利」の過剰がこれらを圧迫しないよう注意しなければならない。かつてのいわゆる日本的経営は、共同体的な良さがあったと言えなくはないが、非生産福利を犠牲にしたという罪があることは否めない。
 有効需要の社会化――需要刺激や雇用創出のための公共事業は依然として必要だが、どんな事業でもいいというわけではなく、共同体の生活インフラの整備、環境改善、技術革新への投資など、社会的意義が高い事業を優先すべきである。


 〈産業政策〉
 国民福利向上基準――従来のように(近年成功しているかどうかはともかくとして)成長性の高いリーディング産業を育成するという観点ではなく、社会的安定や人々の関係性の充実を得ることを目的として、社会福祉、教育、環境などへの影響を多面的に評価しながら、産業政策を行うべきである。
 内外需のバランス――輸出産業を育成するというのが従来の産業政策のひとつのテーマであったが、世界的に需要が不足する時代に輸出産業を振興してもあまり意味はなく、外需に依存しすぎるのは危険であるという点に配慮しなければならない。
 産業構造の多様化――数量的な富の拡大のためにリーディング産業への選択と集中を行うのではなく、むしろ短期的な成長を犠牲にしてでも産業構造を「多様化」することで、経済社会的環境の変化に柔軟に対応できる耐性を持ち、長期的に安定していくことを重視しなければならない。


 13本の論文集 
 本書中盤に収録された13本の論文のテーマは多岐にわたっている。それぞれのタイトルと趣旨を簡単にまとめると次のとおりである。

 佐藤方宣『「豊かさの質」の論じ方――諦観と楽観のあいだ』
 →「人間開発指数(HDI)」や「新国民生活指標(PLI)」を始めとする、「量から質へ」の転換を目指した反成長・脱成長志向の指標に関する過去の議論のまとめ。

 久米功一『低成長下の分配とオルタナティヴ・ヴィジョン』
 →賃金面での再分配だけではなく、仕事を通じて得られる関係性の充実、自尊心などを人々が公平に得られる社会を目指さなければならない。

 安藤馨『幸福・福利・効用』
 →幸せや満足をめぐる哲学・心理学方面からの概念整理(学説史のレビュー)。

 浦山聖子『外国人労働者の受け入れは、日本社会にとってプラスかマイナスか』
 →肯定論と否定論を整理した結果、考慮すべきファクターが非常に多様であることから、現時点では「その効果は総合的には不透明」と言わざるを得ないと結論。

 大屋雄裕『配慮の範囲としての国民』
 →政治参加の権利や政策の恩恵を受ける「国民」の範囲はいかにあるべきかについて、日本社会では合意形成が遅れていることを指摘。

 谷口功一『共同体と徳』
 →共同体論や共和主義を整理すると、結局のところ「統治者の徳」という問題が浮上してくる。

 河野有理『「養子」と「隠居」――明治日本におけるリア王の運命』
 →日本の「家」の歴史について。

 黒籔 誠『オルタナティヴ・ヴィジョンはユートピアか?――地域産業政策の転換』
 →地域産業政策に、中央政府が果たすべき役割を考える。

 山中優『“生産性の政治”の意義と限界――ハイエクとドラッカーのファシズム論を手がかりとして』
 →物質的・金銭的利益をめぐる階級闘争に加えて、経済的豊かさに対する絶望や「社会的排除」がファシズムを生み出したという歴史を振り返り、低成長を余儀なくされる環境下で成長志向を持つことは危険であると指摘。

 萱野稔人『なぜ私はベーシック・インカムに反対なのか』
 →カネを配るという発想は、労働に参加することの意義や、生産活動を中心とする社会活動からの疎外(社会的排除)という問題を軽視しているからダメである。(CFWみたいなことをやれってことかな。)

 柴山桂太『低成長時代のケインズ主義』
 →ケインズが、社会的正義、社会的安定、国家的自給を重んじて、一連の理論を打ち立てていったのだということの再評価。

 施光恒『ボーダーレス世界を疑う――「国作り」という観点の再評価』
 →新自由主義もマルクス主義も、普遍的なモデルに世界が収斂していくという単純なビジョンを持ったのが誤りであった。実際には世界の歴史はもっと多様な経路をたどっていて、「普遍」的なモデルを「土着」的な文化に埋め込んでいく過程が本当は重要なのであり、途上国支援などもそうあるべきである。

 五野井郁夫・安高啓朗『グローバル金融秩序と埋め込まれた自由主義――「ポスト・アメリカ」の世界秩序構想に向けて』
 →カール・ポランニーが言ったように、市場システムは社会的・文化的秩序の中に“埋め込まれた”ものであるべきであり、逆にグローバル金融市場に「社会」が振りまわされるようなことはもうやめにしよう。


 「思想」の重視
 論文集の諸テーマをみてもわかるとおり、本書は経済産業省のプロジェクトである割には、かなり「思想系」「人文系」の色合いが強いものである。たぶん、ガチ経済学系の人にとっては、あまり感心がもてない議論だと思う。
 また、上述の「福利」をめぐる指標のあり方や経済政策の方向性に関する議論は、基本的には抽象論・理念論に留まっており、具体的な分析のイメージを得るには至っていない。
 それに、本書が掲げようとする理念の中身についても、「70〜80年代の脱成長論の二番煎じに過ぎない」「福利の総合的な指標化なんてムリ」「共同体の維持・充実なんて呑気なこと言ってる場合じゃない」と拒絶する人がいそうだ。
 しかし頭の整理はしておいたほうがいいテーマなんじゃないだろうか。私は経済のことはよく分からないが、「もし仮に低成長の継続が避けられなかった場合、何を社会的目標として国家を運営すべきなのか」というのは重要な議題だろうと思うし、人間は結局何を目標にして生きているのかというのは、何か命題のセットとして結論が得られるようなものではなく、それぞれの時代を生きる人間がずっと考え続けることが大事だろう。
 「低成長」へのパラダイム転換に対する準備は、本書が指摘する通り、恐らく政府においても民間においても出来ていないし、仮に本書の見込みが外れてパラダイム転換の必要が生じなかった(成長が実はまだまだ続いていく)とすれば、それはそれでラッキーなことだと思っておけば良いんじゃないかと。


【追記】
本書の内容を要約されているブログがあり、参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/tsuka_ryo/20101221/1292936004