The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。某雑誌・某メルマガに近い内容の記事が載ることがありますが盗用ではありません…

複式簿記の「複」の意味合い

「複」の意味は意外と忘れられている

企業で働いていると、損益計算書(P/L)と貸借対照表(B/S)の関係などは大雑把に理解できるようになるものだが、「現代の企業会計は複式簿記なんですよ」と言われた時に、なんでそんなネーミングになっているかを説明しろと言われると、意外とできない人が多いのではないだろうか。「仕訳」について日々考えざるを得ない経理部の人たちは分かっているとは思うのだが、それ以外の部署で売上を入力したり出費を入力したりしている人たちは、仕訳を意識することも少ない。


貸借対照表の右と左が対応していることを「複式」と呼んでいるわけではないし、貸借対照表と損益計算書がつながっていることを「複式」と呼んでいるわけでもない。後述するように、取引を「借方」「貸方」に分けて記録するのが複式簿記ではあるが、これは貸借対照表の左右を「借方」「貸方」と呼んでいるのとは(無関係ではないものの)別の概念だからややこしい。そもそも、決算書を眺めて「複式」の意味を思い出すのは難しいと言うべきだろう。複式の「複」の意味は、決算書そのものにはあまり表れていないからだ。


むしろ、複式なのは1件1件の取引の記録方法のほうであって、それを集計した「結果」として出来上がるのが決算書である*1。結論から言えば、複式簿記というのは、資産を買ったり商品を仕入れたり売上を回収したりという様々な取引の1つ1つを、必ずそれぞれ2つの項目に分解して記録するから「複式」と呼ばれる。で、複式の記録方法にすると何が嬉しいかというと、フローの管理とストックの管理を並行して整合的に行うことができるのが嬉しい。つまり、その二重化された記録を集計することで、フローの決算である損益計算書とストックの決算である貸借対照表が、自動でうまい具合に出来上がるわけである。


ちなみに、今回のエントリで書いておきたかったことはここまでなのだが、注意すべきことがあって、それは「複」が意味する「2つ」というのは、「増える」と「減る」の2つでもなければ、「フロー」と「ストック」の2つでもないということである。しかも後述するように、その2つは貸方と借方という名前が付いているのだが、この名前に意味がない上に、そもそもグルーピングする必然性もない。しかも、バランスシートの右と左を意味する「貸方」「借方」とはまた別の概念だ。つまり、2つに分かれるから「複」であるとは言えても、「その2つって何と何なの?」と聞かれても一言では答えられないというところがややこしい点で、念のため以下にメモしておくこととする。

複式簿記の本質

貸借対照表には「資産」「負債」「自己資本」という3つの要素があり、損益計算書には「収益」と「費用」という2つの要素がある。何か取引が発生すると、この5つの要素のどれかが増えたり減ったりする。5要素のうち2つを必ず使うわけではなく、たとえば現金という資産が建物という資産に変わるという取引もある。また、何かが増えると何かが減るというわけでもなく、たとえば借金という負債と現金という資産がともに増えるという取引がある。しかし、1つの取引は必ず2つの増減項目に分解することができて、その2つの項目を同額かつ同時に記録していくということは一貫している。


この2つは、一方が貸方、他方が借方と呼ばれる。つまり、1つの取引は必ず、貸方に該当する記録と借方に該当する記録を伴うことになる。ところが厄介なことに、この「貸方」「借方」という呼び方には、ほぼ全く意味がない。確かに、債権と債務だけを考えた場合は、日本語の語感とは逆になるものの、取引相手からみて借りているカネ(こっちからみると貸しているカネ)が借方であり、取引相手からみて貸しているカネ(こっちからみると借りているカネ)が貸方であるということになる。しかし、「費用」とか「収益」の記録も貸方と借方に分かれるし、先ほど例に挙げたような「現金を払って資産を取得する」取引も貸し方と借方に分かれるので、この用語にとらわれてしまうと訳がわからなくなる。


「貸方」「借方」という用語は、まず日本語の語感とは逆という意味でわかりにくい上に、債権債務以外にもこの用語が拡張されているので、さらに分かりにくいのだ。一応、下記のページで、歴史的には債権債務の記録から始まって、その後にそれ以外の行為を「擬人化」して捉えることにして拡張していったという経緯が説明してあって、それはなるほどと感心したが、現代の複式簿記を理解する上ではあまり関係のない話だろう。
神戸大学大学院 経営学研究科専門職大学院へようこそ!


だから「複式簿記の本質とは何か」、言い換えれば「何が複で、複にすると何が嬉しいのか」を考える上では、単に「複式簿記とは、1つの取引を2つの項目に分解して記録することであり、それによってBSとPLが自動的に出来上がる仕組みになっているのが嬉しい」というぐらいに捉えておくのが良いと思う。他の言い方もできると思うし、自動は言い過ぎだが、まずこういう1つの簡単な表現で理解してしまって、そこから考察を広げていくのがいいのではないだろうか。


この「2つの項目」は、必ず貸し方と借方に対応しているのではあるが、「貸方とは何か」「借方とは何か」という「貸方と借方の本質」みたいなものは、ほぼ存在しないと思ったほうがよいだろう。あるとすれば、上記のサイトで言われているように、「擬人化すると全てを債権・債務関係に例えることができる」というところに本質を見出すことができるのだろうが、どのように擬人化されたかを思い出すのは大変だ。また、簿記の細かいことは知らないので私の理解が間違っているかもしれないが、そもそも貸方・借方に属する事象をそれぞれまとめて一つにグルーピングしていなくても、会計事務は実は成り立つのではないだろうか。


ちなみに、複式簿記の解説を読むと、「原因と結果に分けて記録するから複式簿記と呼ばれる」と言われることも多いのだが、この言い方はわかりにくいのでやめたほうが良い気がする。たしかにそうも言えるのだろうが、どっちが原因でどっちが結果というべきか分かりにくいケースがあるし*2、原因と結果が貸方と借方に対応しているわけでもないからだ。

貸方と借方への仕訳の覚え方

何が貸方で何が借方であったかというのは、「複」の意味を理解する上では、無視しておくほうが分かりやすい。しかし、実務では覚える必要がある。「資産が増えるときは借方、減るときは貸方」「費用が増えるときは借方、減るときは貸方」みたいに個別に暗記しようとするとそのうち忘れてしまいそうだが(このページの真ん中あたりに表でまとめられている)、一応、以下のようにすれば芋づる式に思い出すことができる。

  1. まず、バランスシートを思い浮かべる。左右のどっちが借方でどっちが貸方だったかについては、「日本語の語感とは逆」と覚える。つまり、借金が貸方に、貸付金が借方に書かれるということで、すなわち左側が借方で右側が貸方だなと思い出す。
  2. 次に、BSの項目(資産・負債・自己資本)については、「増えるとき」はこのBS上の言い方と「同じ」になり、減るときは「逆」の言い方になると覚える。つまり、資産が増えるときは借方で、負債が減るときも借方だ。
  3. PLの項目(収益・費用)のどっちがどっちだったかは、BSをベースにして思い出す。八百屋が野菜を仕入れるという取引を考えると、現金という資産が減って費用が増える。これのどちらか一方が貸方で、他方が借方のはずだ。この場合、現金が減るのだから、先ほどの考え方でBS上の言い方とは反対の貸方になる。そして費用が増えるのは、その逆だから借方ということになる。
  4. 収益と費用は反対になると覚えておけば、費用が増えるのは貸方だから、収益が増えるのは貸方だという理解になる。また、収益が増えれば現金が増えるわけで、これは資産が増えるということであり、増えるときはBS上の呼び方と同じになるから、現金の増加を借方とし、収益の増加はその逆の貸方になると考えることもできる。


費用と収益は、増減というより発生と消滅と言ったほうがわかりやすい。ところで、費用の減少(消滅)と収益の減少(消滅)って何?という話になるが、例えば、在庫が棚卸資産に計上されるときは「棚卸資産の増加」(借方)と「費用の消滅」(貸方)が起きる*3。また、売った品物が返品されると、「収益の消滅」(借方)と「現金又は売掛金の減少」(貸方)が生じることになる。


以上、なにか間違いがありそうな気もするので、気づいた方はコメント下さい。

*1:歴史的な発生過程としては、企業に属する資産とそれに対する持分のようなものを表したのが貸借対照表の始まりらしいので、「貸借対照表の左右」を「複」の意味だと理解するのも一つの方法ではあるが、現代の複式簿記を解釈する上では、個々の取引の記録方法のほうに着目すべきだろう。

*2:例えば、保有している資産が時価評価で目減りしたら「資産の減少」と「費用の増加」が生じるが、これらは一つの出来事の両側面という感じで、どっちが原因というものではないと私には感じられる。

*3:本を仕入れると在庫が増えるのだが、この在庫が増えるという現象は、この時点ではとりあえず無視される。取引としては、「現金の減少」(貸方)と「費用の増加」(借方)を記録する。で、決算の時期が来ると、決算のために棚卸という作業をして、売れ残っている在庫を棚卸資産として資産に計上する。その際、この棚卸資産の増加という結果に対応するのも実は「費用」で、費用が少し減ったことにするわけである。つまり結果的に、現金の減少分と棚卸資産の増加分の差し引きが、その期の費用に対応することになる。しかしこれは定期的に発表する決算を作るためだけに必要な処理なので、詳しいことは知らないが実務的には、棚卸資産に変身していた在庫は決算が終わるとまた費用として計上し直されるようである。

チェックするメディアの絞り込み

去年の8月に会社から大学に転職して、最初の3ヶ月ぐらいはよくわからないまま過ぎていき、冬になると卒論・修論の指導(あわせて9名)に忙殺されて3月にそれが一段落。
それで4月から本格的に大学教員としての生活を整えようという感じになって、まず無駄な時間を減らすために1ヶ月間、ツイッターとはてブを見るのをやめてみた。


そのあたりから、チェックするメディアがけっこう変わってきて、ツイッターとかはてブで拡散されてる「ネットで話題」系の記事をみるのはマジで意味がないなと実感した。会社員時代は、ああいう「ネット世間」みたいなものについていくのが普通になっていたので、意識せずにそういう情報に毎日触れてたけど、いったん離れてみるとどうでも良くなってきた。
一時期、FeedlyにブログのRSSをたくさん登録してそれを毎日みてたのだが、まずいわゆる「アルファブロガー」と言われる人たちのブログは、上記のTwitterやはてブと同じことで、べつに見なくてもいいかなと思うようになった。海外のサイエンス系のブログもたくさん登録してたのだけど、たくさん登録しすぎて読みきれなくなったので、結局見ていない。


それで最近は何をみているかというと、


ニュースは結局、Yahoo!ニュースみたいな「ふつう」な感じのやつがいいと思うようになった。セレクションがテレビのワイドショーに近く、ネット世間じゃなくてリアル世間に近い気がして、そのほうが生きていく上で必要な情報という感じがする。よく知らんけどたぶんNews PicksとかSmartnewsとかは、もっと「ネット世間」寄りなんだろう。あと何でかわからないが、出張でビジネスホテルの1階においてある紙の新聞を手に取ると、なんだかんだで読んでしまうので、紙の新聞もまだ意外と有益かもしれない。


FPとFAは、何となく今は国際関係の動きを観察してると面白い時代だなと思ってみているが、メールで配信されてくるヘッドラインをみて関心があったら飛んでみる、程度。ただ、たとえば「北朝鮮について気になることがある」「イランについて気になることがある」といったときに、この2誌の中を検索すると何かしら取っ掛かりになる記事に出会えることが多い気もする。The Economistも購読したほうが意識が高いと思うのだが、値段も高いので購読していない。研究費でも契約できるけど、割に合わなそうなので今のところしてない。
WSJは以前、何かのニュース記事を読みたくて有料会員に登録してしまい、そのまま惰性で、ヘッドラインがメールで送られてくるので気になるものがあったら読んでいる。


ブログは、定期的にチェックするのは1個か2個に絞るべきだと思うようになった。それ以上巡回し始めると「ネット世間」に無駄についていく感じが出てくる。


ビデオニューズ・ドットコムはテーマに興味がある回だけ見ているが、論調がわかりやすく「リベラル」すぎて賛成できないことも多い。しかし確か2000年ごろに始まったやつで(その頃からたまに見てた)、なんだかんだでこういう「カタい内容の動画」の配信を長年続けてることには敬意を持っているし、たいていのテレビ番組よりは良いと思う。システムをもう少し今風にしてほしいとは思うけど。プラットフォームに中抜きされてくないのかもしれないが、たとえばVimeoで有料配信とかしてもらえると、WiFi環境下でダウンロードしておいて通勤電車で見るみたいなことが可能になって嬉しいのだが。


論文と本は、仕事だから読むわけだけど、十分な数を読めていないなぁと感じる。

中東と中国

以下は自分の備忘のためのメモで、読める文章にはなっていないし背景知識の説明を飛ばしてる所も多いのであしからず。


「中東ではなぜ紛争がずっと続いているのか」という疑問に対して、よく「元をたどればバルフォア宣言、サイクス・ピコ協定、フサイン・マクマホン協定というイギリスの三枚舌外交が~」などと説明される。中東戦争は主にイスラエルとアラブの戦いだから、それが重要であることは間違いない。
しかし同時に、より一般論的というかマクロな理解として、そもそも大帝国が滅びたあとに中・小規模な勢力同士の戦いがしばらく続くのは自然な話ではあるよな、とも思う。4次に渡る中東戦争はイスラエル対アラブの戦いだったし今もパレスチナ問題は解決していないが、例えば今起きているシリア内戦は、(クルド問題も含まれるものの)アラブ人同士の戦いなので、イスラエル問題だけ考えていても理解できない。


それで、650年続いたオスマン帝国崩壊後の歴史と、我々に身近なところで300年続いた清朝の崩壊後の歴史を見比べるという視点を持っておくと、中東情勢を理解しやすくなるのではないかと最近思い始めている。中国はやはり日本人にとっては身近な存在で、「大帝国が滅びた後に秩序を取り戻すのって大変だよなあ」ってのがよく理解できるからだ。
単純化すると世界史に詳しい人から怒られるのだが、理解のたたき台としてメモしておこうと思う。


清朝末期からの流れを大まかに振り返ると……

  • 19世紀に義和団事件や太平天国の乱、アヘン戦争や日清戦争などが続いて、清は本格的に弱体化していき、欧米列強&ロシア&日本に国土を半ば簒奪されたような状態になる。
  • 1912年に、ついに皇帝が退位して中華民国が成立する(辛亥革命)。
  • ところがまず孫文と袁世凱の仲が悪く、袁世凱に対して孫文や蒋介石がさらなる反乱を試みて失敗し、日本に亡命。
  • そうこうしているうちに第一次大戦が始まるわけだが、袁世凱が死ぬと北京の中華民国政府に力はなくなって、軍閥が割拠する内戦状態(南北に分かれてはいるものの、それぞれの内部対立も激しかった)に陥る。
  • 孫文・蒋介石の革命軍が実権を握るものの、安定政権を樹立するには至らない。毛沢東の共産党も着実に台頭してくるし、混乱に乗じて日本は軍を進駐させてくるし、欧米諸国も租借地・租界という形で盛んに入り込み、軍港を持ったり中国市場向けビジネスで儲けたりしている。
  • そのうち日中戦争も始まり、その前後で国共合作(抗日で一致。国民党は欧米から、共産党はソ連から支援うける)と離反が繰り返される。
  • 第二次大戦に敗けた日本が出ていくと、蒋介石と毛沢東が雌雄を決する国共内戦にもつれ込み、ついに1949年に毛沢東が勝利して蒋介石は台湾に逃げる。
  • その後、大躍進政策の失敗や文化大革命のような粛清など、共産国家らしい混乱を伴いながらも半世紀かけて大国としての地位を回復した。


軍閥が乱立する無秩序状態を経験したことや、列強が土地や市場をぶん取りにきていて、国内諸勢力のどれかを支援するという形で介入し続けてきたことなど、清朝末期から現代にかけての中国の歴史は、オスマン帝国末期からの中東情勢にけっこう似てる面があるように見える。ここ数年のシリアやイラクで起きている争乱はまさにそんな感じだ。
そういう理解をベースに、中国と中東で何が違うかという観点を付け加えていけば良いのではないか。


まず、もちろん、

  • 中東では石油が出て巨大な経済利権が生まれてしまい、大国が自らの利害に合う地域内勢力を盛大に支援する動機を持ってしまった。(中国にそこまでの利権はない。)
  • 中東にはユダヤ人国家のイスラエルが建国されたことで、宗教・民族の違いを根に持つ激しい対立が生まれてしまった。
  • 清では満州族(女真族)が漢民族を支配していたわけだが、結局中国では大多数が漢民族なので、中東ほど民族間の勢力争いが激しくない(少数民族問題はあるが)


という3つが大きいのは間違いない。しかし、その他にもいろいろ違いはあるように思える。
たとえば、元々中国はヨーロッパから遠かったからか、軍港をちょろっと作った以外は市場から富を搾取するのがメインという感じで、欧米列強は「統治」というほどの本格的介入をしたわけではないのに対し、中東の場合はイギリスやフランスが領土を分割して直接統治に近い支配を行っていた。
その分割の仕方が恣意的で民族構成と合ってないという問題があり、現状で言えばペルシア人はイラン、トルコ人はトルコにだいたい収まっているとしても、アラブ人とクルド人についてはメチャクチャな分かれ方をしていて、しかもそのど真ん中にユダヤ人国家が存在するというややこしい状態になっている。


また中東には、民族の違い以外にも、

  • 独裁・強権政治 vs 民主化要求
  • 近代主義(政教分離) vs イスラム主義(政教一致)
  • 親米・親イスラエル vs 反米・反イスラエル


という複数の対立軸が存在し、これらが重なり合うこともあって地域内での対立が激しくなりがちである。これに対して中国の場合、単に政治力と軍事力の差で国共内戦に決着がついてしまった感じがする。
なお2つ目の、「近代主義 vs イスラム主義」という対立軸については、イスラム教ってのはもともとキリスト教や仏教に比べて宗教的信仰と政治や生活の距離が近く、政教一致性の高い文化システムであるということを押さえておく必要がある。シャリーアと呼ばれる慣習法の蓄積があって、宗教の内部に、社会統治のための具体的ルールが豊富に埋め込まれているわけである。
また3つ目の対立軸については、アラブとイスラエルの対立とは別に、アラブ内部にも対米・対イスラエル妥協派と強硬派がいて激しく対立してきたという意味である。


例えば、いわゆる「イスラム原理主義」ってのは、エジプトで反米的なナセル大統領が死んだあとに、サダト~ムバラク大統領時代の「独裁&近代化&親米」路線に不満を持った人たちが、「民主&イスラム文化の復興&反米」を掲げて闘争を始めたもので、上記3つの対立軸が重なりあっていると理解できる。イスラム主義勢力ってのは、単なる「宗教にのめり込んだ頭がおかしいテロリスト」ばかりなのではなくて、ムスリム同胞団みたいな穏健な政治勢力もいるし、そもそもサイード・クトゥブ、イブン・タイミーヤといった思想家・理論家が源流なっているのであって、「文明 vs テロ」みたいな単純な捉え方をすることはできない。


これらとべつに、スンニ派とシーア派などの宗派対立もある。
イラン・イラク戦争では、イランでシーア派のイスラム革命が起きたのに対して、石油利権の重要性から親米路線を取っていたイラクのフセインが危機感を覚えたというのが大きかったわけだが、フセインからしてみれば、「親欧米&世俗主義」を取る自分に対して隣国で「反米&イスラム主義」が台頭したという流れが、自分はスンニ派だがイラク国内の多数派はシーア派であるということと相まって恐怖を与えたのだと思う。
70~80年代のレバノンの内戦などは、レバノンがもともとキリスト教国だったこともあり、宗派対立という動因は大きかったはずだ。


ところで中東問題を考えるとき、「国名」をあまり考えないほうがいいような気もしてくる。アラブ人、ペルシア人、トルコ人、クルド人、ユダヤ人の勢力配置を大まかに捉えて、

  • パレスチナではアラブ人とユダヤ人が戦っている
  • イラン・イラク戦争は、民族対立の結果ではないと思うが、外形的にはアラブ人対ペルシア人になっている
  • トルコでは、トルコ人から迫害されてきたクルド人が、クルディスタン労働者党(PKK)を組織してテロを含めた反政府活動を行っている
  • シリアでも、アラブ人とクルド人の争いが歴史的にある
  • シリアはそもそも、北西のトルコ(トルコ人)、南西のイスラエル(ユダヤ人)、南東のイラク(アラブ人)と接していて、北東地域はクルディスタン(クルド人)であるから、民族の結節点として非常にややこしい地域である(ただし、ここ数年のシリア内線についてはそれが原因というよりは、アラブの春の民主化運動をアメリカが中途半端に支援しようとして上手くいかず、方針転換を繰り返して混乱を作り出したのが最大の問題だと思うが)。


みたいな理解をベースで持っておくことが必要なんじゃないか。
上記は暫定的なメモであって、学生時代に読んだ本の薄い記憶で書いてる部分もあり、もっと頭の整理が必要だと思う。

憲法とは何なのか

ある雑誌の原稿で憲法とはそもそも何なのかについて思うところを書いたのだが、いつもの如く締切が迫ってから(むしろ締切を過ぎてから)本格的に書き始めたので、趣旨がイマイチ不鮮明になってしまった。簡単にいうと、言いたかったのは以下のようなことだ。私は憲法の専門家でもなんでもないので、素人としては素朴にこう思いますと言ってるだけで、もっとマジメな議論はどっかで誰かがやってくれてれば良いと思う。


立憲主義の限界
「憲法は権力を縛るためのもの」という意味での立憲主義は、思想としては重要で、かつ歴史的意味は大きいと私も思う。
しかし、第一に憲法は制限規範であると同時に授権規範でもあること、第二に憲法には社会権の規定があって「権力による自由」の保障を行うのが現代憲法であること、第三に憲法には国民の義務規定もあること(米国憲法に義務規定がないという例がよく挙げられるが、ほかの主要国を見てみれば兵役なども含めて義務の規定があるのは珍しくない)を考えると、我々が服しているところの現代憲法を理解するための枠組みとしては不十分なのではないか。「権力を縛るための規範」だと考えると余計だと思えて仕方ない部分がいっぱいあるのだ。
憲法学の教科書にも載っている分類でいうと、「立憲的意味の憲法」のほうではなくて「固有の意味の憲法」のほう、つまり「国家統治の基本原則」という意味での広義の憲法観を念頭において憲法を語ったほうがいいんじゃないかと私は思う。


改正限界説の解釈
「憲法とは」という問いについて考えておくことが重要なのは、それにどう答えるかによって、「憲法に書いておくべきこと」と「法律で規定すればいいこと」の線引きが変わってくるからだ。こないだある本を読んでいたら、憲法9条の改正案と称するめちゃめちゃ長い条文案を見たのだが、「そんなに細かいことまで憲法で書く必要ある?」というツッコミがあり得て、このツッコミに答えるためには「憲法とは何なのか」という議論がどうしても必要になる。
では「固有の意味の憲法」について考えるのだとして、そこには何が書いてあるべきなのか。
ヒントになるのは憲法の「改正限界説」というやつで、日本の憲法学会ではこれが主流らしいのだが、要するに憲法に書いてあることのうちその趣旨の根幹部分については、96条の改正手続きをもってしても不可能であるとされている。
限界説の根拠については、たとえば憲法制定権力自身が憲法的規範へのアクセスを放棄するような改正は、背理であって論理的に無理だというような説明がされることもあるようだが、もっと素朴に解釈すれば、憲法の規定のうちいくつかの事項については「憲法制定権者の意志が変わらないはずだ」ということだろう。
要するに憲法のコアには、普遍かつ不変の、つまり国民の「全員一致でしかも時代とともに変わったりもしないような規範意識」が据えられているということになる。


一般意志
もちろん、全員が賛成できてしかもその合意が変わらないようなルールなんて、実際には制定不可能なのだが、理念的な整理としてはそういうものだと理解しようという意味だ。
これは要するにルソーの「一般意志」のようなものを、憲法の規定範囲だとみなすということである。ちなみに西部邁の『ソシオエコノミックス』という本を読んでいたら、規範には「多数決」で決めておけばよいものと「全員一致」でなければならないものがあるはずだというふうに概念整理しておくべきで、後者を規定するのが憲法だと理解するのがよいと提案されていた。
そもそも多数決で何かを決めることができるのは、多数決で決めるということそれ自体については全員が予め賛成しているからだ。そういう、「全員一致的」とか「全員一致性が高い」とでも言うべき規範ってのが、何かしらあるはずだ、あるいは社会というのはそういう建前で動いてるのだと考えておくほうが物事がよく理解できる。
しかし一般意志の何たるかは具体的にはよく分からないわけだから、そういう真の意味での憲法というのは、じつは制定されることがない。じゃあ我々が服しているあの憲法は一体、どういうものとして理解しておくのがいいのか。


英米法と大陸法
憲法に限らないが、英米法においては慣習法や判例法が重んじられていて、その積み重ねを通じて「コモン・ロー」(やエクイティ)の何たるかが明らかにされるということになっている。日本は大陸法の系譜にあって、要するに成文法主義なのだが、成文法主義おいても法の「制定」や「改廃」という作業を行う際には慣習やら社会通念やらが意識されているはずで、何も考えずテキトーにつくった法律に「俺たち成文法主義だから」と言って黙々と従っているわけではない。
成文法主義は革命によって生まれたような国において採られやすいのだけど、革命ですら、たぶん革命家自身はその路線に歴史的正統性があるという建前でやってるはずだ。
だからこの点では、英米法と大陸法には意外と根本的な違いはないとも言える(もちろん違いはたくさんあるけど)。大陸法を英米法風に理解する、というアプローチで割と色々なことがすっきりして来る予感がするな。


憲法の実際
で、成文法主義の国における憲法というのは、要するに「一般意志」の中身がどんなものであるかについて、各時代の国民が最大限頑張って作文してみた記録である、というふうに理解しておけばよいのではないか。特定の時代の特定の国民の能力は限られているから、普遍かつ不変の規範など書くことはできないのだが、そういうものを書こうと思って慎重かつ真剣に、めっちゃ頑張って書いた「憲法」は、そうでもない単なる「法律」よりは一般意志に近いはず……と期待することにするのだ。
だから憲法は当然、ちょっとずつ改正されていくのが自然だということになる。ただし気軽に改正していいわけではなく、最大限の慎重さが求められるのだが。そしてその慎重な改正作業の歴史的積み重ねを通じて、我々の根本的な規範意識がどのようなものであるかが、少しずつ浮かび上がってくる(と期待する)わけである。
憲法のコア部分は改正が不可能だとする「改正限界説」は、私は理念的には正しい思想だと思っているのだが、現実の国民には「どこからどこまでが憲法のコアなのか」を完璧に判断することはできないわけなので、改正の限界それ自体も結局は理念的なものだという理解になる。ちなみにこう考えておけば、「じゃあコア以外は憲法から削っていいんじゃないの?」というツッコミに答える必要がなくなって憲法学者も助かるはずだ。全部が「コア候補」だと思っておけばよいので。


日本国憲法はどうなのか
日本国憲法は全文からしてめちゃくちゃな文書だと私は思っている(しかし全体の骨格は大きく変える必要もない気がしているが)し、そもそも占領軍が殆ど書いたもので「歴史的正統性」という点では怪しいわけだが、占領軍の指示に寄り添っておきたいという気分を敗戦後の日本人が抱いたのは確かなのだろうし、そもそも国民が精神的に混乱していたことを想像すると、その混乱模様がよく反映されているという意味でも、これこそ憲法らしい憲法だという気もしてくる。
戦後日本人はずっと、これが我々の一般意志であると思っておきたいという気分だったんだろう。さほど慎重な努力の上で書かれたものではないから憲法失格だとも言えるのだが、70年間も改正していないのだから、結果的に「いろいろ考えたところ、だいたいこれで良い」ということになってしまってるのだ。
たとえば日本国憲法は国際協調主義をしつこく謳い過ぎで、自主独立ということの重要性を謳っていないのが私は不満だが(前文の「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国」という文言を、国家とはそういうものなのだと言っていると理解することもできるかもしれないが)、大戦争にまけた直後の国民が国際協調主義や平和主義を強調しまくった憲法を書きたくなる気持ちは理解できる。
だから、もうこれはこれで仕方なかったのだととりあえず思うことにして、戦後70年の歴史の中でもっと大事なことがあると我々が気づいたのだとすれば、それを書き加えていけばいい。
憲法とは一般意志についての仮説のようなもので、仮説をちょっとずつ修正していって現時点では最も正しそうだと思える状態に保っておくというプロセスが大事なので、肩ひじ張らずに、変えるべきところは変えればいいし、日本国憲法は酷いと血眼になって怒る必要もないのではないか。


まとめ
まとめると、

  • 立憲主義も重要な思想ではあるが、憲法の性質を理解する上では、じつは「改正限界説」のほうがより重要だと思う。
  • 憲法のコアを改正できないということは、そのコアは国民における「普遍かつ不変の規範意識」を明文化したものだということになる。
  • しかし普遍かつ不変の規範にたどり着く能力をもった国民は実際には居ないだろうし、憲法の「コア」がどこからどこまでかというのも決められない。
  • だから真の憲法、真の憲法制定権力、真の改正限界というものは具体的には明らかにならず、それらは理念的存在ということになる。
  • しかし我々は、そういう理念を念頭におきながら、仮説としての憲法を制定したり改正したりすることはできる。仮にそれが国民の最大限に慎重な努力によりなされるのであれば、その歴史的な積み重ねを通じて、少しずつ「普遍かつ不変の規範意識」に接近できるかも知れないと考えておけばよい。
  • そのように、大陸法的な成文法における「制定改廃の積み重ね」を英米法的に解釈することで、「憲法が究極の規範だと言いながら、改正できるというのはおかしいのでは」「なぜ特定の時代の特定の国民が、究極の規範を制定する能力と権利を持つと言えるのか」「コア以外の条文が憲法から削るべきではないか」といったいくつかの問題を解消できる。

西部論

 とある雑誌の特集で、1月に亡くなった西部邁氏の思想や人柄を回顧する文章を書いた。あと、西部氏の略歴と書誌を(他の人にも手伝ってもらいながら)改めてまとめた。


 西部邁論の原稿のほうについては、恐らく多くの寄稿者が西部氏の「凄みのある人柄」みたいなものについて書くだろう、そして次に多いのが氏が評論家時代に掲げていた「保守思想」の紹介だろうと思ったので、私はどちらかといえば「社会科学者としての西部邁」に強めの関心を払う形で書こうと最初から決めていて、そういう偏りをもった原稿になった。


 書く前には、比較的古い『ソシオ・エコノミックス』や『知性の構造』などの著書に加えて、70年代、80年代の学術誌に掲載された論文やインタビューなど(恐らく単行本に収録されていないものも多い)を読み直しておいた。
 この読み直しからいくつかの発見があったが、引用したりしていちいちなぞっていくような文章にすると、一般読者向けの雑誌に書くものではなくなってしまうので、ごく簡潔にだけ触れることにした。結果、著作名への言及も、著作からの引用も、全くせずに終わった。


 なお、やはり自分では考察力・文章力に不足があって、あまり厳密に書くことができなかったし、論旨に何箇所か飛躍ができてしまった。あと、やたらと「や」で単語を連結する表現の多い、気持ち悪い文章になった感もある(笑)
 なので、そんなに、わざわざ人に読んでもらいたいと思えるようなクオリティにはなっていない。ただ、正直に書くことはできたと思う。


 略歴と書誌には、西部邁論の原稿の何倍かの時間がかかってしまった。略歴については、過去の著作に載っている略歴をベースに自伝や昔の雑誌原稿のプロフィールを参考に整理したのだが、著作にも明らかな間違いや不整合がけっこうあって、ご家族への確認も含めて事実の確認に手間取った。書誌については、1970年代、80年代に学術誌に書いていたような、雑誌原稿はすべて除くことにした。本当は雑誌分も網羅したいと思ったが、時間的に全然無理なので。
 ちなみに略歴にも書誌にも、私のケアレスミスが少し残ってしまって、申し訳なく思っている。

90年代に独特のサウンドや良質なヴォーカル・グループを生み出した「テクノロジーの変化」(森大輔氏の解説)

 たまたまクルマを運転することが多い時間帯に放送していることもあり、ミュージシャンの森大輔さんが大阪のFM COCOLOでやってる「NIGHT AQUARIUM」という番組をたまに聴くのだが、今日とてもおもしろい話をされていた。(radikoで聴く


 Boyz II Menというアメリカのヴォーカル・グループの"I'll Make Love to You"という曲に触れて、「曲の作りは70年代のR&Bに近いので、70年代回帰うんぬんという話をしようかと思ったのだが、この曲を改めて聴くと典型的な『90年代の音』だなと強く感じだ」と言って、その「90年代の音」がどのように生み出されたのかについて解説している。


 80年代の後半にCDがレコードに取って代わったのだが、この2つのメディアには音の上で大きな違いがあると言う。
 レコードは、高音になればなるほど、そして低音になればなるほど、音量が小さくなるという性質があり、中間ぐらいの周波数に寄ってくるので、こもったような音になる。レコード時代に作られた曲に「温かみがある」とか言われるのは、そのため。


 一方、CDにはそういう制約がなく、低音域も高音域も、均等な音量で再生することが可能であり、そのためにシャキッとした音を作ることができる。べつにCDでこもった音を再生することももちろん可能なのだが、「シャキッとした音が出せる」というメディアの変化が作り手の意識にも影響を与えて、シャキッとした音を作るミュージシャンが増えた。


 もうひとつ、配布メディアがデジタル化したのに先駆けて、スタジオではシンセサイザーがデジタル化していたこともあり、80年代から電子音を鳴らす曲が増えていく。ところでこの時代のデジタル楽器というのは、今ほど高性能ではなかったので、確かに「シャキッとした」音は出せるのであるが、どこかチープな音質であることは否めない。
 そして、楽器の音が比較的チープであったことが、逆にヴォーカルを際立たせる方向に作用して、90年代に著名なヴォーカル・グループがたくさん誕生したのではないか、とのことだ。


 さらにもう一つ、80年代後半から90年代にかけて、ウォークマンが普及し、スピーカーではなくイヤフォンで音楽を聴くのが普通になった。すると、ステレオで左右の音を別々に耳に入れることができることを利用した楽曲作りが可能になる。
 たとえば、ヴォーカルの重ね撮りといって、同じ人が同じパートを別々に2回歌い、それを左右別々に流してイヤフォンで聴くと、とても広がりのある声に聴こえるという効果があって、そういう手法が90年代に多用されるようになった。


 このように、テクノロジーの変化が幾つかの点で楽曲作りに影響を与え、「90年代の独特のサウンド」を生み出すに至ったのである、という解説であった。
 ちなみに私は音楽に疎いので、90年代の音と言われてもよくは分からないのだが、興味深い話だなと思った。

韓国でオンラインゲーム産業が伸びた理由

 e-sportsでは韓国がやたらと強く、私がやってるOverwatchというゲームでも韓国のチームがワールドカップで優勝したりしています。
 なんで強いのかと言えば、そもそもハンゲとか有名だしオンラインゲーム産業が活発だからだろう、ぐらいのことは思いつきます。では、なぜ韓国でオンラインゲーム(産業)が盛んなのか、と思ってググったら15年ぐらい前に日本人で調べてる人がいました。
http://www.computer-services.e.u-tokyo.ac.jp/p/itme/dp/dp102.pdf
http://www.gbrc.jp/journal/amr/free/AMR1-5-5.pdf


 私なりに重要だと思った点に絞ってその背景をまとめると、

  1. 下記のように幾つかの理由で、韓国では「ゲーム専用機」の市場が成長せず、結果的にPCベースのオンラインゲームの延びる余地が生まれた。
    • 国内に、ソフト開発能力のある会社が十分になかった。
    • 日本のソフトは輸入禁止だった。
    • 個人輸入の日本製ゲーム機が闇で流通しており、それと競争するのも辛かった。
  2. ネカフェ(韓国では「PC房」というらしい)業界が、ゲーム業界と協力する形でうまく成長した。
  3. 韓国は集合住宅が多いため、ADSLのような高速回線が引きやすかった。
  4. 国民IDを本人確認に利用することなどによって、オンライン・モバイル決済が普及させやすかった。
  5. 開発フレームワークから自分で構想していったエンジニアのソン・ジェギョン氏、アバターを取り入れたコミュニティ・ゲームを流行らせたJOYCITY、ブラウザで遊べる軽いカードゲーム・ボードゲームに目を付けたHanゲームなどのパイオニアたちが頑張った。