The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

HandbreakでのH.265エンコーディング時は10bitsが最適

Handbreakで動画をエンコードする際、コーデックは長年あまり考えずにH.264を使ってきたが、やっぱH.265のほうがよさそうだ。ファイルサイズが半分ぐらいになる。
また色の表現として、デフォルト(無表記)の場合は8bitで、10bitと12bitが選べるが、以下の書き込み(2022年)によると10bitがいいらしい。
https://www.reddit.com/r/handbrake/comments/r01oz8/comment/hsxmen2/


もとの質問は、「エンコ前のソースファイルが8bitsである場合ですら、10bitsを選択したほうがいいという点ではだいたいみんな一致していると思うが、12bitsにしないのはなんで?」というもので、答えとしては、12bitsに対応しているモニターがあまりないこと、見た目が変わらないこと、エンコードに時間がかかりすぎること、になるらしい。


どれだけ当てになるかは分からないが、「ブレードランナーみたいな画面が暗い映画だと、x265の10bitsで2000kbpsの動画は、8bitsで3500kbpsの動画や、x264の8bitで6000kbpsの動画よりもクオリティが高い」と言っている人もいる。


ちなみにx264とかx265とかいうのは、H.264、H.265でソフトウェアエンコードするときに使われるライブラリの名前。Macの場合、GPUでハードウェアエンコードするならVideoToolboxというのを選択する。Windows機の場合はAMDとかNVIDIAのGPUに対応したオプションがあるはず。MacでVideoToolboxを選択すると、Constant Qualityを選べなくなるので、自分はx264/x265でのソフトウェアエンコードを選択している。


手元の小さいファイルでテストした感じだと、速度はH264 (8bits) > H265 (8bits) > H265 (10bits)だが、遅くなると言っても1.5〜1.7倍程度だったので、ファイルサイズがだいぶ小さくなることを考えれば気になるほどの違いではない。

MacでSwitchのゲーム映像を録画するときの設定

MacでNintendo Switchの録画を試みてて、設定のメモ。
Macのスペックは以下のとおり。


キャプチャボート:Live Gamer MINI(AVerMedia)
ソフト:OBS


OBSで以下のエンコーダを使える状態ですが、

  • x264
  • Apple VT HEVC T2 ハードウェアエンコーダ
  • Apple VT HEVC T2 ソフトウェアエンコーダ
  • Apple VT HEVC ハードウェアエンコーダ
  • Apple VT HEVC ソフトウェアエンコーダ
  • Apple VT H264 ハードウェアエンコーダ
  • Apple VT H264 ソフトウェアエンコーダ


結論としては「Apple VT HEVC T2 ハードウェアエンコーダ」を使って、ビットレートは15000kbpsにしました。
T2がついてるのと付いてないのとでは、T2のほうが遥かに高ビットレートまで耐えられた。
ハードとソフトでは、ハードのほうが遥かに高ビットレートまで耐えられた。


ぐぐってみたら、YouTubeでゲーム実況とかをしてる人は6000kbps〜12000kbpsぐらいだと説明してる記事がありましたが、15000kbpsで撮ってみたものと比較すると、もっと画質が良いように見えるので(1080p/60fpsは共通)もっとビットレート高いんだろうか。

大川隆法総裁の長男氏のインタビューが面白い

少し古い記事だが、幸福の科学総裁・大川隆法エルカンターレの長男氏のインタビュー記事があり、「Tポイントで買える」というのを試したくて読んでみた。
大川隆法の長男、独白6時間「清水富美加との“結婚強制”」【先出し全文】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース


なかなか味わい深い。
小さいころから部屋に監視カメラがついているような束縛の多い環境で育ち、女優の清水富美加氏(その後、女優を引退して千眼美子という名前で出家)との結婚を強要されそうになったのをきっかけに、親とも教団とも縁を切ることにしたそうだ。


大川総裁が清水氏に女優業をやめさせたと書かれているので、もしそれが本当だとすると、以前のエントリで紹介した清水氏の自伝の内容は、実態と少し異なるのかもしれない。

突然、父から富美加さんとの結婚を迫られた僕は、「彼女にはすでに決まっている仕事もあるし、駄目でしょう」と反論しました。それでも父は「決まったことだから」、「あの富美加ちゃんだぞ」と全く取り合ってくれなかった。父は彼女に連絡を入れ、所属していた芸能事務所を契約途中で辞めることを承諾させました。その翌日から彼女は仕事を一方的にキャンセルし、撮影現場に行かなくなったそうです。それが“出家騒動”の真相です。


長男氏から見ると清水氏は性格が悪いと書かれてあるが、これはまぁ、個人の評価なので、実際のところはよくわからない。

彼女は教団の信者でしたが、基本となる経典「悪霊撃退の祈り」さえ読んだことがないと本人から聞かされたこともあります。父は「教学はこれから勉強すればいいじゃないか」と言っていましたが、映画の撮影中、撮影スタッフの陰口を言うなど、彼女の裏表の激しい性格を目の当たりにし、とても一緒に生活できないと感じていたのです。


総裁はウサギが好きらしいです。

父の趣味はウサギの繁殖です。昔から30匹以上のウサギを飼って、繁殖させていました。子供の結婚も同じ感覚なんでしょう。


子供の頃は大変厳しく育てられており、秘書にも殴られたらしい。

食事が終わると、父は歴史や宗教の書物を読みます。リビングのテレビでは、NHKの教育番組や「これで分かる日本の歴史」といった教材が延々と流れており、子供はそれを見続けます。少しでも私語をすれば「うるさい、バカ波動を出すな」と父に叱られる。子供が粗相をすると秘書のクビが飛ぶので、秘書にはいつも陰で殴られていました。「総裁先生の前で余計なことをするな」と。


霊言は責任逃れ、というのは鋭いですね。

「霊言」だって、占いみたいなものだから、「大川隆法の意見」として発信すればいいのにと思います。「○○の霊がそう言っている」っていうのは責任逃れでしょう。「霊言」の現場に立ち会ったことがありますが、父は、「霊」を呼び出す前、その人物についての資料を熱心に確認していますからね。


そして大川総裁の奥さんが教団を出ていって離婚した話、長男氏は教団内で映画製作の仕事を与えられたが、徐々に教団の管理職に回され始めたので一般の建設会社に転職した話、大川隆法氏が30歳年下の教団職員と再婚した話などが続きます。


で、壮絶な家庭ではありますが、子どもたちは割とドライなようです。

よく誤解されるんですが、僕たちきょうだいの中にいわゆる“洗脳”されている人は一人もいません。ただ、この先、教団が縮小しても大川家は豪華な生活が維持できるのが分かっているので、文句を言わないだけです。財産の取り分がどのくらいかというのも分かっている。いわば“家業”に入る感覚ですね。


総裁は、政治活動には今後も力を入れていくそうです。

教団が抱えている一番の悩みの種が「幸福実現党」の政治活動です。現在、国会議員は一人もいないし、選挙のたびに供託金がかかる。今年の参院選の立候補者数を見れば、教団の財政状況を推測できると思います。
 ただ政治活動は、30年以上前からの父の夢ですから続けざるを得ません。実業家として成功し、国家の舵取りをするのが、父の最終目標です。日本のドナルド・トランプになりたいのでしょう。まだまだ諦めてないと思います。


そして父から得た教訓は・・・

父は、僕にとって最高の反面教師です。名誉欲や金銭欲にまみれると、人生で一番大事なものを失う――。それを教えてくれたのが他でもない父でした。

ヤスパースの『哲学入門』に関するメモ

ヤスパースの『哲学入門』(新潮文庫版)を昔読んで作ったメモを久しぶりに見つけたので、貼り付けておきます。
20世紀の哲学や認識論の到達した境地を非常によく見通せる名著だと思います。とくに、(サルトルみたいなのではなく)キルケゴールやハイデガーの意味での「実存」の哲学に関心がある者にとっては。


本書はヤスパースがラジオでしゃべった入門的な哲学講義をまとめたものですが、求められる思索の密度という意味ではぜんぜん「入門」レベルではないですね。
ただ、予備知識を多く必要とせず、じっくり考えればある程度分かるレベルのことが書かれてあるという意味で、たしかに専門的な内容ではないです。その意味ではいわば、主題もスタイルも違うものの、ウィトゲンシュタインの本を読むのに似ているかも?
ちなみに、ヤスパースの哲学を深堀りしようと思ったら、『哲学 I 〜 III』とかを読むことになるわけですが、非常に難解で私は(古本で買ったけど)途中で読むのをやめてしまいました。ヤスパースは『哲学入門』と『現代の精神的状況』しか通読してないと思いますgあ、哲学徒でない自分にとっては十分学ぶことが多かったです。


以下、抜書きと、たまに自分のメモです。


○ 確かに、私たちはギリシア時代の医者であったヒッポクラテースよりもはるかに進歩しています。しかし私たちはプラトーンよりも進歩しているとはいえないのです。(p.8)


○ 哲学において獲得される確実性は、科学的な性質のもの、換言しますと、どの悟性にとっても同様な性質の確実性ではなくて、それが成功した場合に人間の全本質が参加してともに語り合うことができるといったような確認(Vergewisserung)なのであります。(p.9)


○ 哲学の多様さ・矛盾・相互に排斥しあう真理主張、これらは根底においてある一なるものが働いていることをいなむことができない。ただ何人もこの一なるものを所有することなく、あらゆる真剣な努力がその周囲を常に回転しているだけなのであります。(p.21)


○ 私は自ら努めて状況を変化させることができます。しかし私は死なねばならないとか、私は悩まねばならないとか、私は戦わねばならないとか、私は偶然の手に委ねられているとか、私は不可避的に罪に巻きこまれているなどというように、たとえ状況の一時的な現象が変化したり、状況の圧力が表面に現れなかったりすることがあっても、その本質においては変化しないところの状況というものが存在します。私たちはこのような私たちの現存在の状況を限界状況(Grenzsituation)と呼んでいるのであります。(p.26)


○ 私たちが限界状況に対していかなる態度をとるかといえば、それはこの限界状況を糊塗するか、あるいは私たちが限界状況を本当に把握するかぎり、絶望と回生によってそれに対処するかの、いずれかであります。(p.27)


○ 哲学の根源は驚異・懐疑・限界状況の経験のうちに存するのでありますが、しかし究極的にはこれらすべては総括して、本来の意味における交わりへの意志のうちに存するのであるといわれるのです。このことはすでに最初からして、あらゆる哲学は伝達への衝動をもち、自己を語り、傾聴されることを欲するということ、すなわち哲学の本質は伝達可能性そのものであり、またこの伝達可能性は真理存在から離すことのできないものであるということにおいて明らかになっているのであります。(p.37)


包括者(das Umgreifende) このおのおのの瞬間に現れる主観=客観の分裂の秘密は何を意味するのでしょうか。しかし存在は全体としては客観であることも、主観であることもできないで、むしろ《包括者》であらねばならないということ、そしてこの包括者が分裂して現象となって現れるということは明瞭であります。(pp.41-42)


○ 包括者はそれ自らは対象とならないけれども、自我と対象との分裂において現象となって現れるのであります。(p.42)


○ このようにあらゆる対象、あらゆる思惟された内容、あらゆる客観は、いずれも二重に分裂しているのであります。第一にそれは私、すなわち思惟する主観、と関係し、第二に他の対象と関係しています。あらゆる対象は思惟された内容として、けっしていっさいであることも、存在の全体であることも、存在そのものであることもできません。思惟されているということは、すべて包括者の外へ脱落していることを意味します。(p.42)


○ 実存として私たちは神──超越者(Transzendenz)──に関係しています。そしてこの関係は、実存が暗号(Chiffre)または象徴(Symbol)たらしめるところの事物の言語によって生ずるものであります。私たちの悟性も私たちの生命的な感性も、この暗号的存在の現実をとらえることはできません。神の対象的存在はただ実存としての私たちにとってのみ一個の現実であって、経験的に実在的で、強制的に思惟可能で、感覚的に触発するところの対象とは全然異なった次元に属しているのであります。(p.46)


○ そこでもし私たちが包括者を確認しようとすると、すぐにそれは若干の包括者の様式へ分類されます。そしてこの分類はあの主観=客観の分裂の三様式を手引きとして行われます。すなわちそれは第一に、意識一般としての悟性──意識一般として私たちはすべて同一的であります。第二に、生ける現存在──生ける現存在として私たちはそれぞれ特殊な個体であります。第三に、実存──実存として私たちは私たちが歴史的であることにおいて本来的に私たち自身であります。(pp.46-47)


○ 数千年以来中国やインドやヨーロッパの哲学者たちは、たとえ伝達様式においていろいろ異なっていても、いかなる場所においても、いかなる時代においても、同じような意味のことを申しております。すなわちそれは、人間は主観=客観の分裂を越えて、主客の完全な合一へ到達することができる、そしてそこではあらゆる対象性も自我も消滅するというのであります。そのとき本来の存在が開かれ、そして目ざめたとき、それはもっとも深い、汲みつくすことのできない意味の意識を残すのであります。(p.47)


○ 語りうるようになるものは主観=客観の分裂へ陥る。そして無限に意識が明白化されていっても、けっしてあの根源の充実に到達することはないのです。しかし私たちが語りうるものは、ただ対象的な形態をとるものに限られています。根源は伝達不可能であります。(p.48)


○ これらの存在論や形而上学はしばしば対象的知として理解されているのですが、しかしこれらのものを対象的知として見ることは、絶対的に誤りだからであります。また実際において、これらの存在論や形而上学はこのような対象的知に尽きるものではなくて、むしろ存在の暗号文字であったのです。(p.49)

⇒ プラトン以来の西欧の哲学が語った形而上学も、(ハイデガーが批判した意味での形而上学としてではなく)メタファーとして受け取るべきだということか?──プラトンとハイデガーの差異の解消みたいな。


○ 包括者への人間の飛躍は、対象を規定する思惟の媒介において、しかもそれにおいてのみ、起こるものであります。

⇒ 「媒介」という言葉が重要。「対象」は所詮、真の存在ではないが、それを媒介しなければ、真の存在たる「包括者」に触れることができない。


○ それではこの信仰はどこからくるのでしょうか。それは根源的には世界経験の限界から出てくるのではなくて、人間の自由から出てくるのであります。自己の自由を本当に悟る人間が、同時に神を確認するのです。自由と神は不可分のものであります。なぜでしょうか。
 私が自由である場合、私は私自身によって存在するのではなく、私は私に授けられているのであるということを、私は信じて疑わないのであります。なぜなら、私が私のものでないことがあり、また私は強制的に私を自由たらしめることはできないからであります。私が本当の意味で私自身である場合は、私は自分自身によってそうであるのではないということを疑わない。最高の自由は、世界から自由であることによって、同時に超越者ともっとも深く結合されていることとして自覚されるのであります。
人間が自由であることを、私たちは人間の実存とも呼びます。神は、私が実存する場合とるところの態度としての決定性をもって、私にとって確信されるのであります。神は知的内容として確実であるのではない。むしろ神は実存にとって顕(あらわ)であることとして確実なのであります。(pp.64-65)


○ 私が自由において本当に私自身となる程度に応じて、神は私にとって存在するのであります。神はまさしく知的内容として存在するのではなくて、実存にとって啓示されることとしてのみ存在するのであります。(p.66)


○ 神は世界内においてはけっして把握できるものとはならないということは、同時に人間は世界内において現れる把捉されるものや、権威や、暴力などのために、自己の自由を手離してはならないということ、むしろ人間は自己自身に対して責任をもっているのであって、彼はいわゆる自由からして、自由を放棄することによって、この責任を逃れることは許されない、ということを意味するのであります。人間は、自分が決断し、道を見いだすということを、自分自身に負わねばならないのであります。(p.67)


○ ものの直観はすべて、ものを形象として示そうとすると、かえってそれを隠すからして、もっとも決定的な神への接近は、無形象性において可能なのであります。しかしながら、旧約聖書のこの正しい要求は、旧約聖書そのものにおいてすら満たされていないのであります。と申しますのは、そこには神の人格性が形象として、すなわち神の怒りや、愛や、裁きや、恩寵として残っているからであります。すなわち旧約聖書の要求は満たされえないのであります。(p.70)

⇒ 偶像崇拝の禁忌について。


○ 人間の思惟能力には、たえず形象が立ち現れるものであります。しかし哲学的思想において、直観と対象がほとんど消失するとき、おそらく究極においてあるきわめてかすかな意識が残存するでしょう。そしてこの意識こそはかすかであっても、それが活動するならば、生を創造するものたりうるのであります。(pp.70-71)


○ 「哲学すること」の究極において残るところのあのかすかな意識は、おそらく私たちがその周囲を回るだけで、直接それをとらえることのできぬものでありましょう。
それは存在の前における沈黙であります。対象となるかぎり、私たちから失われてゆくところのものの前で、言葉が停止するのであります。(p.71)


○ 一つの、ただ一つの神を信ずる人間の生活は、多くの神々をもつ生活に比べると、あるまったく新しい地盤へおかれているのです。一なるものへの集中は実存の決断に対して、はじめてその本当の根拠を与えるものであります。限りなく豊かさは究極において放散します。(p.72)


○ すなわち本来の「哲学すること」は知の確実さをもたらさないで、本来の自己存在にそれの決断の自由な空間をもたらすのであります。(p.75)


○ 哲学は与えない。それは単に覚醒さすことができるだけです(p.75)


○ いずれの場合にあっても、二者択一が、したがって決断の要求が、現れております。人間は、本質的になるかぎりにおいてのみ、これかあれかを欲することができます。彼は傾向を追うか、義務を追うかのどちらかです。彼は本末を転倒するか、自己の動機の純粋性を守るかのどちらかです。かれは憎しみによって生きるか、愛によって生きるかのどちらかです。しかしこの決断を彼は放棄することができます。私たちは、決断するかわりに、生涯をふらふらとすごしていって、これとあれを結合し、そしてこのことを必然的矛盾として承認したりさえするのです。この非決断性はすでに悪なのであります。人間は、善と悪とを区別するとき、はじめて目ざめたのであります。(p.90)


○ 実際において人間は二様の様態において──研究対象として、ならびにあらゆる研究によって知られない自由の実存として、──とらえられるものであります。(p.94)


○ 私たちは、人間とは何であるかということを、人間について「知られていること」において尽くすことはできないので、むしろ私たちの思惟と行為の根源において経験することができるだけであります。人間は原則的に、人間が自分について知ることのできるものよりも以上のものであります。(p.94)


○ 私たちは自分自身で自分を創造したのではありません。人は誰でも自分について、自分が存在しないということがありえただろう、と考えることができる。このことは動物と共通した事柄であります。しかしそれ以外に、私たちは自分の自由において存在するのです。(p.95)


○ 私たちは自分自身によって存在するのではなくて、むしろ私たちは自分の自由において自分に授けられるのです。(p.96)


○ 自由の絶頂においては、私たちの行為は必然的であるように思われるのです。しかしそれは自然法則によって不可避的に生起するという外的強制によってそうなのではなく、むしろ他に欲しようがないというような仕方で意欲する人の内的な承認としてそうなのです。ところでこのような意味における自由の絶頂においては、私たちは、自分が自由であるということにおいて、超越者から私たちに授けられているという意識をもつのです。かく人間が本当の意味で自由であればあるだけ、それだけ彼にとって神の存在が確実となるのであります。私が本当の意味で自由である場合、私は私自身によって自由であるのではないということを、私は確認するのです。(p.96)


○ 世界はけっして対象ではない。私たちは常に世界のうちに存在し、世界のうちに存在している諸々の対象を所有しますが、世界それ自身はけっして対象とはならないのです。(p.114)


○ しかし科学的な世界知の隠れた意義は、科学的研究によって、もっとも明快な知に対して無知の空間が開かれるような限界に到達するということであるように思われるのであります。と申しますのは、完全な知のみが本来の無知に到達することができるからであります。かくて知られる世界像においてではなく、むしろ充実せられた無知において、しかも科学的認識を欠いたり、科学的認識以前においてではなくして、むしろ科学的認識の途上においてのみ、本来的に存在するものが現れるのであります。認識の情熱とは、この情熱が最高度に高まることによって、まさに認識が挫折する場所にまで到達しようとすることなのです。無知において、ただし充実せられ獲得せられた無知においてのみ、私たちの存在意識の独特の源泉が存するのであります。(pp.115-116)

⇒ 科学主義は排されなければならないが、科学は、人間を、宗教的ともいうべき真理の空間の一歩手前まで連れて行く乗り物のようなものであるということ。浅田彰が、You Tubeにアップされている動画で似たような趣旨のことを述べていた。


○ これらの私たちにとって可能な知の根本的特徴は、あらゆる対象は現象であるにすぎない、認識された存在はけっして存在自体でもなければ、全体的存在でもないということを意味しています。この現存在の現象性は、すでにカントによって完全に明らかにせられたところであります。(p.119)


○ 人間は、欲すると否とを問わず、知ると知らざるとを問わず、また事を行うに当って、偶然に、しかも一定の定めなくするか、それとも決定的に、しかも永続的にするか否かを問わず、とにかく、何かを絶対的なものと見なさざるをえないのであります。人間にとっては、いわば絶対的なものという場所が存在しているのであります。(p.120)


○ 隠れた神は、私がそれを一般的にかつ永久的にとらえようとしたり、理解しようとするかぎり、ますます遠くへ退いていく、神は、そのつどの一回かぎりの状況のうちに現れる神の言葉という、絶対的に歴史的な形体を通じて、計り知れず接近しているのである(p.123)


○ 世界存在はそれ自体としては存在しない、世界存在のうちにおいては、神の言葉がたえざる多義性において現れる。しかしこの神の言葉は、一般化されることなく、ただ歴史的にのみ刹那的に、実存にとって一義的でありうる(p.123)


○ 私たちは哲学的信仰の根本原理をつぎのように表現しました──神が存在する、無制約的な要求が存在する、人間は有限的で未完成である、人間は神の導きによって生きることができる、世界の実在性は神と実存の間にはかない現存在をもつ、と。この五つの原理は相互に強めあい、交互に成長させあいます。(p.127)


○ しかし「哲学すること」はあらゆる条件のもとにおいて、その内的独立性を闘い取ることを意味します。(p.164)


○ この哲学者は感嘆の的であるとともに、また疑惑の的ともなります。……独立性が純粋であることは非常にまれでありまするから、したがってそれは未熟な、しばしば滑稽な依存性として現れるのであります。(pp.165-166)

⇒ 隠遁・厭世の哲学者について。


○ しかし存在は、単に「見ること」に没頭することによっては、顕になりません。どんなに真剣であっても、それが孤独な幻想であるかぎり、すなわちどんなに印象的な話し方や感動的な譬喩であっても──知や告知のどんなに威圧的な言葉であっても──それが交わりを欠いた伝達であるかぎりは不十分であります。(p.169)

⇒ 「見ること」とは、subjectとobjectの二元論的対立のなかでの営みにすぎない。


○ 独立ということは、私が世界を放棄するということによって、実現せられうるのではありません。この世界内において独立しているということは、むしろつぎのような世界に対する固有の関係を意味するのです。すなわちそれは、世界にかかわっているとともに、世界にかかわっていないということであり、世界の内に在るとともに、世界の外に在るということであります。(p.173)


○ 私たちの可能的な独立性の第三の限界は、私たちの人間存在の根本的性質であります。私たちは人間としてのがれることのできない根本的錯誤にとらわれています。私たちの意識が目ざめたそもそものはじめから、すでに私たちは欺瞞に陥っているのであります。
 聖書はこのことを原罪によって神秘的に説明しています。ヘーゲルの哲学においては、人間の自己疎外が大規模に開明されています。キルケゴールは私たちのうちにある悪魔的なものをとらえてきて、人が絶望的に自分自身のうちにとらえられ閉じこめられていることを深刻に描いています。(p.176)

⇒ なるほど、ヘーゲルの「疎外」論を「原罪」と重ね合わせて読むのか!


○ 私たちの可能的な独立性はいつも超越者への依存性なのであります。(p.176)


○ 哲学の財産を積み重ねないで、進行としての「哲学すること」を深めること。(p.177)

⇒ 今日における哲学のあるべき姿が6箇条ぐらいにまとめられているうちのひとつ。


○ 交わりにおいて実現されないものは、いまだ存在しないものであり、究極において交わりに基礎をもたないものは、十分な根拠をもたないものであります。真理は二人から始まるのです。(p.185)

⇒「交わり」=「kommunikation」


○ 「哲学すること」は、知的可能性の限界における徹底的に謙虚な態度をもって、知の限界において知られないものとして現れるものに対して、心がまったく開かれていることを知っています。(p.188)


○ 哲学的な思想は応用されません。むしろそれは、人間自身はこの思想を遂行することにおいて生きるとか、生活は思想をもって貫かれている、などという言葉で示されうるところの現実なのであります。(p.190)

⇒ 「思想=現実」ということ。


○ しかし重大なことはきわめて単純であって、普遍的な命題としてこそ表わされませんが、具体的な状況に対する標識として表わされるものであります。(p.192)


○ 二千五百年にわたる哲学史の全体は、あたかも人間自覚の一大瞬間のようなものであります。(p.200)


○ 哲学史の全体的発展を進歩の過程としてながめることは誤りであります。哲学史はそれがもつ最高の作品の独自性と一回性によって、芸術史に似ています。(p.208)


○ と申しますのは、「哲学すること」の意義は現在性ということだからです。私たちは「ここ」と「今」において現実をもつにすぎません。私たちが回避することによって取逃がしたものは、けっして二度と帰ってきません。しかしもし浪費するならば、私たちは存在を失います。毎日毎日が高価なのです。すなわち瞬間がいっさいでありうるのです。(p.213)


○ 私たちは自分で考えることによって真理に到達するのでありますが、しかしそれは私たちがあらゆる他の人びとの立場に立って考えてみるという努力をたえず続ける場合においてだけ、いわれることなのです。(p.223)


○ 哲学に関する著作のうちで若干の少数のものは、その思想的意義において、偉大な芸術作品と同様に無限であります。これらの著作においては、著者自身が知っていたことよりもより以上のことが思惟されています。一般にあらゆる深い思想のうちには、それを思惟した者が、帰結に関してその当座観取できなかったことが宿っています。(p.259)


○ 古くからの助言は、プラトーンとカントを学ばねばならない、それによってあらゆる本質的なことが獲得されるだろう、というのであります。私もこの助言に賛成であります。(p.261)

Overwatchの基本

これは、Overwatch(PC版)を始める予定の知人向けに書く記事です。
ゲームシステムや試合の形式等については、基本的にはOverwatchのWikiを見ればわかります。
なお、私はゴールドまでしか行ったことのない初心者ですので、もし上級者の人がこの記事を見ることがあったら、変なところは訂正してください(笑)
あと、私はゲームの言語設定を英語にしているので、日本語設定の場合の用語に間違いがあるかもしれません。外国人とやる場合に、ゲーム内用語を英語で何と言うのか知らないと困るからそうしています。
 
 

ゲームサーバはアメリカ

たぶん、アメリカサーバを使うのが、いちばんプレイヤーが多くて、マッチングが早いです。
アメリカ人が多いかというと、全世界の人がアメリカサーバでプレイしてるという感じです。
 
 

最初にやるのは「クイックプレイ」

ゲームモードがいくつかあるのですが、基本的にOverwatchにおいては「ライバル・プレイ」(英語だとCompetitive Play)でランクを上げていくというのが目標になります。
ただし最初、レベルが25(だったかな?)に行くまでは、「クイックプレイ」という、ランク付けのないゲームモードでレベルを上げることになります。


で、後述しますが、キャラごとの操作で覚えることが多いので、「DPS」「タンク」「ヒーラー」という3つの役割からそれぞれ2人ぐらいのキャラの操作をまずはマスターするという感じだと思います。

試合のルールとマップ

Overwatchの試合には4つのルールがあります。


コントロール
マップの中央にあるポイント(領域)を、お互いに占拠し合う試合です。
この形式の試合だけ、「攻撃」側と「守備」側の区別がありません。


試合開始と同時に、両チームがリスポーン地点から中央のポイント目指して進んでいきますが、最初の30秒間はどっちのチームもポイントを取ることはできません。
30秒経過後、中央のポイントから敵を全員排除した状態で味方の誰かが地面を踏んでおくと、ゲージが0%から増えていき、100%になるまで占拠し続けたら勝ちです。敵がポイントを占拠して敵のゲージが進んでいるときは、敵を全員ポイントから追い出して味方が踏むと敵のゲージが止まり、すぐにこっちのゲージが進み始めます。(敵がすでに60%とかまで進めていたとき、それが減ることはありません。)


1つのマップで、これを3回繰り返します。2回ポイントを取りきったほうが勝ちですね。……といっても、1つのマップの中で完全に別々の場所を使うので、3つのマップで戦うと言ったほうが実態に近いですが。


ペイロード
縦長のマップの中で、ペイロードと言われるクルマを、制限時間内にスタート時点からゴール地点まで運べるかどうかを争うものです。
ペイロードを運ぶのが「攻撃」側で、それを阻止するのが「守備」側になります。


ペイロードは最初、攻撃側のリスポーン地点付近にあります。
試合開始前には準備時間があって、この間に防衛側はペイロードがある当たりまで進んで行って、迎え撃つために適当な位置に陣取って構えます。
試合開始すると、攻撃側はまず、ペイロードの付近から敵を排除します。排除した状態で、味方の誰かがペイロードの付近にいれば、ペイロードは進んでいきます。
途中に何箇所かチェックポイントがあって、そのチェックポイントまで進むと、試合時間が数分追加されます。と同時に、リスポーン地点が攻守ともに少し移動します。


「クイックプレイ」の場合は、両チームが攻撃か守備のいずれかに割り当てられて、制限時間内にペイロードがゴールまで運ばれれば攻撃側の勝ち、途中で時間切れになれば防衛側の勝ちです。
一方「ライバルプレイ」の場合は、途中に入れ替えを挟むことで、両チームが攻守の両方をプレイし、ペイロードを進めた距離の長さで勝敗が決まります。


アサルト(ポイントキャプチャー)
これは縦長のマップ上に、「コントロール」における「ポイント」に似たものが2箇所(ポイントAとポイントB)あって、ポイントAは攻撃側のリスポーン地点寄り、ポイントBは防衛側のリスポーン地点寄りにあります。
ポイントのとり方は「コントロール」に似ています。攻撃側チームは、敵を全員ポイントから排除して、誰かがポイントの地面を踏んでいればゲージを進めることができ、100%になったら確保完了です。
ただし、コントロールと違って、アサルトのポイントを取ろうとするのは攻撃側だけです。防衛側の目標は、ポイントを取らせないこと。ポイントAを取られてしまったら、自陣(防衛側のリスポーン地点寄り)に退いて、ポイントBの防衛に切り替えます。
これもペイロードと同じで、試合開始前に防衛側がポイントA付近まで進んでいって、防衛体制を固めます。


「クイックプレイ」では、攻撃側がポイントAとBを両方取れたら攻撃側の勝ち。「ライバルプレイ」では、途中入れ替えを挟んで両チームが攻守ともにプレイし、先攻のチームがBまで取ったのに後攻のチームがAしか取れなければ先攻チームの勝ちですし、両チームともポイントAは取ったけどBを取りきれなかった場合は、Bを何%進めたかで勝敗が判定されます。


マップはたしか21種類(これも多いですねw)あるのですが、1つのマップにルールは1つです。「Hanamuraならアサルト」みたいに決まっています。


ハイブリット
これは、最初にアサルトのAポイントと同じものがあり、攻撃側がそこを取ったらペイロードが動き出すという、混合マップです。

基本的なキャラ操作

全キャラ共通の動きは、移動とジャンプ(スペースキー)、それからしゃがむ(Ctrl)とリロード(R)ですね。しゃがんで移動すると足音が小さくなります。それから、パンチなどの近接攻撃(V)。
その他、覚えなければならないのは、キャラごとに異なる以下のアクションです。

  • 左クリック・・・メイン武器
  • 右クリック/E/Shift・・・特殊能力(アビリティといいます)がそれぞれのキーに割り当てられてます。
  • Q・・・アルティメット・アビリティ(必殺技みたいなやつ)です。日本人は「ウルト」と呼ぶ人が多いですが、外人は「ウルト」「アルト」「ウルティ」みたいにいろんな呼び方してますね。


これらを組み合わせて戦っていきます。
各アビリティには、クールダウンタイムというものが設けられていることが多く、1回使うと数秒間はその能力が使えません。画面上にあと何秒で使えるようになるかは表示されてます。


敵にダメージを与えたり、一部のアビリティを使ったりすると、アルティメットのゲージが溜まっていきます。100% になったあとでQを押すと、アルティメットを使えます。

キャラの役割

とりあえず、どのキャラクター(OWの世界では「ヒーロー」と呼びますが)を使うかで迷うと思うので、ここで解説しておきます。
ヒーローは現時点で30人もいて、それぞれ持っているアビリティが全然違う(似ているヒーローというのはあまりいません)ので、覚えていく必要があります。
ヒーローは、大まかには「ダメージ(DPS)」「タンク」「サポート(ヒーラー)」という3つの役割(ロール)に分かれています。


タンク
「タンク」というのは、見た目のゴツさからもわかるように、体力(OWの世界では「ヘルス」と呼びます)が大きいヒーローたちです。「メインタンク」と「サブタンク」で役割が異なりますが、大雑把なイメージとしては、大きな体力を生かして、戦場で長く粘って前線を上げていく、みたいな感じです。


サポート(ヒーラー)
「サポート」は、「サポート」というより「ヒーラー」と覚えたほうがいいです。ヒール(heal)というのは癒やすという意味で、味方のヘルスを回復してあげる係です。


ダメージ(DPS)
「ダメージ」は、じつは以前「オフェンス」と「ディフェンス」に分かれていたのが統合されてできた役割です。なので人数がとても多いです。旧オフェンス枠に属していたヒーローは、その名の通り、攻撃力が高く、機動力もそこそこあって、積極的に敵陣を叩きに行く役割です。旧ディフェンス枠のヒーローは、攻撃力はけっこう強いのですが、どっちかというと敵陣に殴り込むよりは敵が攻めてくるのを待って返り討ちにするのが得意なタイプです。
「ダメージ」という役割名は英語の会話(チャットとかで流れてきます)では「DPS」と呼ばれているので注意してください。もともとDPSはDamage Per Second(1秒あたりのダメージ量)を意味するのですが、「DPSが高いヒーロー」という意味で「DPS」と読んじゃうのが定着しています。


最初は、DPS2人、タンク2人、ヒーラー2人ぐらいを使えるようになることを目指すのがいいと思います。
全ヒーローに手を出すのは非効率ですが、ある程度幅をもってヒーローをピック(選択)できるようにしておく必要はあります。
というのも、後述しますがOverwatchは6人のチーム編成が非常に重要なので、たとえば「他の味方が誰もヒーラーをピックしない」という状況なら、自分がヒーラーをピックしてあげないと負けるわけです。なので、3つのロールはどれもプレイできるようになっておくことが望ましいです。ただ、人気があるのはDPSなので、DPSだけは「誰もやってくれない」ことは稀です。


ちなみに私は、エイムに自信がないのでDPSはあまりプレイしません。
ヒーラーは、ルシオ・マーシー・ゼニヤッタ・モイラ・バティストを使い分けています。
タンクは、ラインハルト・D.VA・オリーサ・ウィンストンを使います。
DPSをやるときは、ジャンクラット・ソルジャー・ファラぐらいです。

初心者向きの「ダメージ」(DPS)ヒーロー

ソルジャー76(旧オフェンス)
移動速度が早く、自分で回復もできるし、メイン武器はまっすぐ射撃できてしかも長距離でもダメージ減衰がない(ちなみに最初の3発は弾がブレません)ので、とても使いやすいです。
ただ、DPSが高くはないのと、あまり特徴のないキャラなので、プロの試合とかではほぼ見かけないですね。つまり上級者にとっては物足りないスペックだということです。


リーパー(旧オフェンス)
接近戦でのダメージ力が半端なく高いです(距離が離れてるとダメージがほとんど出ないので注意)。ワープみたいなアビリティで相手の裏を取って、近距離で撃ちまくり、殺されそうになったら数秒間無敵になれるアビリティでかわしながら逃げるみたいな動きになります。


ジャンクラット(旧ディフェンス)
スーパーボールみたいな、モノに当たると跳ね返るちいさい爆弾をポンポン投げるヒーローです。狙ったところに当てるという意味での「エイム」は難しいんですが、1発のダメージが大きいのと、周りに壁がある場所ではポンポン跳ね返った結果、結局当たるので、わりと攻撃しやすいです。あと、アルティメットが溜まりやすい。


マクリー(旧オフェンス)
上級者向けだと言う人もいると思いますし、確かにマクリーの強さはエイムがかなり正確であってこそ発揮されるものだとは思います。が、長距離でもダメージが減衰せず、弾がまっすぐ飛んでくれて、一発のダメージも大きいので、初心者が使ってもいいと思っています。近距離で、フラッシュバンという敵の動きを止めるアビリティと、右クリックでの6連射を組み合わせると、1回の攻撃で敵をダウンさせられるので、それさえ練習しておけば使いこなせるのでは。


バスティオン(旧ディフェンス)
バスティオン自体は、決して「使いやすい」とは言えないのですが、火力が半端なく、低いランクだと「誰もバスティオン対策ができない」という場面がよくあって、楽勝できることがあります。相手にバスティオン対策できる人がいた場合は、さっさと使うのをやめたほうがいいですが。攻撃時ではなく防衛時に使うのがいいです。


ファラ(旧オフェンス)
空を飛べる(自由にではないですが)ヒーローです。メイン武器がロケット弾で、弾速が遅いので敵の動きを予測して撃つ必要があるのですが、ダメージ範囲はそれなりに広いので、割と当たります。低いランクの試合だと、敵が「ファラ対策が誰もできない」という状況のことも多く、意外と刺さります。

その他の「ダメージ」(DPS)ヒーロー

ゲンジ/トレーサー
この2人は機動力を生かして敵陣に飛び込んでいくタイプのヒーローです。上手い人が使うとかなり活躍できるんですが、初心者が使いこなすのは簡単ではないと思います。


ハンゾー/ウィドウメーカー
この2人はスナイパーです。エイムに自信があればかなり強いと思いますが、初心者がスナイパーを使うと、大して当てられない上に、スナイパーは後方から狙うことになるので前線の人数が足りなくなって、足を引っ張るとおもいます。


アッシュ
最近出たヒーローで、どう評価していいか、まだ私もわかりかねています。が、攻撃力がけっこう高く、混戦時に爆弾も使いやすいので、初心者にも向いてるかもしれません。


メイ
アイスウォールの使い方が上手ければ、敵を分断してから味方とともに集中攻撃するといった活躍ができますが、ちょっとややこしいと思います。


シンメトラ
壁にくっついて自動で敵を攻撃するアビリティがびっくりするほど刺さる場合もあるのですが、全体としては癖の強いヒーローではあると思います。


ドゥームフィスト
一撃の破壊力が高く、アビリティのコンビネーションがうまく使えるなら、かなり活躍できます。でもまあ、長距離の打ち合いができませんし、癖の強い方に属すると思います。


ソンブラ
透明人間になって自由に動き回れるという、ある意味チートみたいなキャラで、しかも相手を「ハック」することで一定時間、すべてのアビリティを使えない(メイン武器しか使えない)状態にできます。ただ、そういう役回りなので、敵との「戦闘」にあまり貢献ができません。撃ち合い時に、味方のDPSがソンブラだと、火力が足りなくて押されてしまうことがよくあり、使い所が難しいと思います。


トールビョーン
タレットを設置しておくと、敵をオートエイムで自動的に倒せます。ただこれも、激しい打ち合い時は攻撃にあまり貢献できなかったりします。(最近強化されてメイン武器が強くなりましたが)

初心者向きの「タンク」ヒーロー

ラインハルト
でかいシールドが特徴で、役割もわかりやすいです。アルティメットのアースシャッターは、使いどころがうまくないと、空振りになることも多いですが。


オリーサ
これもシールドがメインの、わかりやすいタンクですね。シールドの耐久力は900で、ラインハルトの2000よりもつくないですが、クールダウンタイムが短く、シールドが破壊されてもすぐに次のシールドを出すことができます。また、ラインハルトと違って長距離射撃ができるメイン武器があるのも使いやすい。ただし機動力はなく、シールドも設置型なので、攻撃時よりは防衛の局面で使いやすいタンクです。最初は、「攻撃時はラインハルト、防衛時はオリーサ」みたいな使い分けでいいかもしれません。


D.VA
空を飛べるので、その機動力を生かして、チョコチョコ動いて味方を支援するような役割です。核爆弾みたいなのを飛ばすアルティメットは、キルに繋がりやすく、わかりやすいですね。やれる仕事の範囲が非常に広いので、プロの試合なんかでもよく使われています。ただ、右クリックのディフェンスマトリックスは、モイラの黒玉とかラインハルトの火の玉などもかき消すことができる重要なアビリティなのですが、相手の動きをよく見ていないと、そのありがたみを最大限発揮するのは難しいです。


ウィンストン
メイン武器が近距離のオートエイムなので、近距離戦に関しては操作しやすいと思います。ただ、ウィンストンは大ジャンプを生かして敵を撹乱することが重要なヒーローで、それがあまりうまくできないならラインハルトを使っておいたほうが活躍できると思います。あと、メイン武器もアルティメットも、キルに直接つながりにくいほうですね。なので「初心者向き」と言えるか微妙ではあります。

その他の「タンク」ヒーロー

ザリア
タンクの中では、使うのが一番むずかしいんじゃないですかね。有効時間が非常に短いバリアを、自分または味方に付与して、そのバリアで敵のダメージを吸収すると、自分のメイン武器の攻撃力が上がっていきます。上級者が使うと強いのですが、役割が複雑です。あと、アルティメットは、味方のアルティメットとタイミングを合わせないとほぼ役にたたないので、コミュニケーティンをうまく取れることが大前提になります。


ロードホッグ
フックを相手にきちんと引っ掛けられるのであれば、ヘルス200ぐらいの敵なら一撃で倒せるので強いですが、練習は必要だと思います。


レッキングボール
敵陣に突っ込んで撹乱する動きが上手くできれば強いですが、役割は複雑だと思います。ノックバックで敵をふっとばして分断するのが大きな役目です。

初心者向きのサポート(ヒーラー)ヒーロー

ルシオ
自分の周囲のけっこう広い範囲の味方を常時回復させ続けることができ、その間自分は敵の射撃ができるので、使いやすいです。機動力も高い。スピードブーストをうまく使うのはタイミングがそれなりに難しいのですが、最初はあまり使わず、ヒールばかりでも非常に貢献できると思います。


マーシー
ヒールに特化するならマーシーですね。ひたすら、味方のところに飛んで回復するというのを繰り返す感じで、非常にわかりやすいです。


バティスト
最近出たヒーラーなのですが、ヒール力が高く、私はけっこう使いやすいと思います。

その他の「サポート」(ヒーラー)ヒーロー

モイラ
モイラは瞬間的な回復力が非常に高い(マーシーより早い)んですが、回復「し続ける」のは難しく、メインの回復ビームみたいなやつがガス欠にならないように立ち回る必要があって管理がそれなりに難しいです。なお、近距離であればオートエイムなので攻撃がしやすく、キル数も稼ぎやすいのですが、ヒールがおろそかになるケースが多いので注意が必要です。


ブリギッテ
盾を持っていて、しかも近距離の攻撃力が高く、敵からすると倒すのが非常に難しいヒーラーです。ただブリギッテも、モイラと似てて、回復「し続ける」のが難しく、また攻撃ばっかりしてヒールを怠る人もおおいので、使い方に注意が必要です。


アナ
味方を回復するのにエイム力が必要っていうのが、一番の難点です。上級者が使う分には非常に強いです。


ゼニヤッタ
攻撃力が高く、DPSなみに敵を倒せるのですが、ヒール力は低いので、ヒーラーとしてわかりやすく立ち回れるヒーローではないです。

基本的な編成

Overwatchは「編成」がめちゃめちゃ大事です。
最も基本的な編成は「2-2-2」(トゥー・トゥー・トゥー)と言われるもので、ヒーラー2人、タンク2人、DPS2人というやつですね。我々一般プレイヤーは、特別な事情がない限り2-2-2を基本にすればいいと思います。
プロの試合では、局面によって「2-4-0」とかも使われていますが、一般人がそれをやるには戦術に関してチーム内の合意が必要です。野良ではほとんどのプレイヤーが「2-2-2」を基本だと考えているので、その前提で進めるのがいいと思います。


で、タンクとヒーラーに関しては、「メインタンク」と「サブタンク、「メインヒーラー」と「サブヒーラー」みたいな考え方があることを知っておくのが重要です。英語だと「メイン/サブ」ではなく「Primary/Secondary」と呼ばれることがあります。


メインタンク
チームの前面にたって、前線を押し上げていくのがメインタンクの役割です。メインタンクとして一番わかりやすいのは、ラインハルトですね。シールドで味方を守りながら、ジリジリと前に進んでいきます。シールドが破壊されたり敵が接近してきたりすると被弾しますので、後方にいる味方のヒーラーに回復してもらうのも必須です。
コントロールやアサルトのマップならエリアの確保、ペイロードならペイロードを押し上げるという作業の中心を担うのがメインタンクです。
ウィンストンもシールドがありますしその役割ができるのですが、ラインハルトのほうが明確ですね。防衛の局面では、前線を「押し上げる」というよりは、押し上げてくる敵を返り討ちにするのが目標なので、オリーサでもいいかと思います。


サブタンク
メインタンクが「前線もしくは真ん中で粘る」という動きになる一方で、サブタンクはもっと自由に動くタンクです。例えば、D.VAがわかりやすいですが、機動力を生かして死にかけの敵に急接近して確実に(回復のスキを与えずに)キルを取っていく、とかですね。ウィンストンはメインタンクとしても使われますが、機動力を活かすのがウィンストンの使い方でもあるのでサブタンク的な動きのほうが多く、たとえば敵の後方にいるスナイパーや、孤立している敵に急襲して接近戦に持ち込み、体力差とシールドを生かして仕留めます。


メインヒーラー
ヒーラーは、ヒール力高めのマーシー、モイラ、アナ、バティストが「メインヒーラー」と呼ばれます。編成内に、メインヒーラーは必ず1人は居たほうがいいです。その名の通り、味方の体力を回復することに集中する感じです。


サブヒーラー
一方、サブヒーラーとしては、ルシオ、ゼニヤッタ、ブリギッテがいるんですが、ルシオはメインヒーラーとみなされる場合もありますね。しかし瞬間的な回復力がマーシーやモイラに比べると劣るので、サブヒーラーと考えたほうがいいんじゃないかと私は思っています。
ルシオは機動力を生かしてあちこちの味方を回復すること、味方の移動速度をスピードブーストで加速して、敵を追跡する行動や敵の攻撃を回避する行動を助けたりします。ゼニヤッタはとにかく攻撃力が高いので、その火力を活かします。ブリギッテは接近戦での攻撃力が高いので、殴り込んでくる敵を返り討ちにするとかですね。


編成の考え方
基本的には2-2-2で、メインとサブは1人ずつ、みたいな考え方でいいと思います。野良でマッチングする味方が編成を意識してくれないこともしばしばあるので、そういう場合、少なくともメインタンクやメインヒーラーが居ないと話にならないので、その役割を自分で埋める、みたいなのがいいと思います。もちろんチャットやボイチャで味方に頼んでもいいですが。
逆に、「メインタンク2人」とか「メインヒーラー2人」ではだめなのかというと、構わない場合も多いですが、動きの自由度が減ったり火力が足りなくなったりするので、基本的には無駄が多いと考えたほうがいいんじゃないですかね。

カウンターピック

Overwatchは、試合中に使用するヒーローを替えられるのが一つの特徴です。敵の編成をみて、それに対する「カウンター」となり得るヒーローを選択(ピックと言います)することも重要です。
特に、敵に「強すぎる◯◯」が居た場合、その「◯◯」が苦手とするヒーローにチェンジして当たりにいく必要がありますね。
例えば、以下のようなカウンターがあります。(私見込み)


バスティオンのカウンター:ゲンジ(接近して木の葉返し)、ソンブラ(裏を取ってハック)、ゼニヤッタ・ソルジャー・マクリー等(遠距離から射撃)


ゲンジのカウンター:ウィンストン


ラインハルトやオリーサのカウンター:ジャンクラット(シールドの裏側に弾を投げる)、ファラ(空からシールドを避けて撃ち下ろす)、バスティオン(シールドをすぐに溶かせるのでほぼ無効化できる)


ドゥームフィストのカウンター:ソンブラ(ハックする)


ソルジャーやマクリーのカウンター:ラインハルト(シールドがあると、こういう直線的な射撃がメインのDPSの力をかなり削ぐことができます)


ウィドウメーカーのカウンター:こっちもウィドウメーカーで対抗するか、たとえばウィンストンやD.VAで一気に接近して倒すか、倒せなくても嫌がらせをして落ち着いて射撃をできないようにすることが必要です。あとはラインハルトやオリーサのシールドも、狙撃を無効化できてうまく機能することがあります。


ファラのカウンター:ソルジャー、マクリー、ウィドウメーカー(長射程かつ即着弾のメイン武器で撃ち落とす)。ゼニヤッタでもけっこう落とせます。低ランク帯の場合はトールビョーンのタレットによるオートエイムも効いたりします。D.VAで飛んで接近するのも有効。


リーパー、ジャンクラットのカウンター:ファラ(彼らは対空能力が全くないので)、マクリー(接近戦勝負)

基本的な戦術

Overwatchには基本的な戦い方があって、これを知らないと勝ち進めなくなります。


集合して6人で当たること
試合をしてると外人がよく「Group UP!」「Regroup!」と叫ぶのですが、これは「集合しろ」という意味で、Overwatchの戦い方の中で最も大事なことです。
Overwatchで一番避けなければならないのは、味方がバラバラに行動してしまうことです。戦闘前には6人で集合して、タイミングを合わせて当たりにいくというのが基本。だから、敵との戦闘中に味方が何人か死んだら、それ以上は押さずに一旦引いて、味方がリスポーンして帰ってくるのを待ってから、しっかり6人で当たるというようにすべきです。
ところが低ランクの野良ではそのことをわかっていない人が多いので、なかなか6人で当たるというのが徹底できないのも事実です。その点をめぐって、よくチャットとかで罵り合いも発生しますね。
プロの試合をみると、「6人対6人で当たる」というのはかなり厳格に徹底されています。集合→6vs6で集団戦→どっちかが劣勢になる→劣勢になったほうが引く→引いたほうが再度集合する→6vs6で集団戦・・・というのが続いていく感じです。
ちなみにこの、1回1回の集団戦の当たり合いのことを「ウェーブ」と言ったりします(これは他のゲームでも言いますね)。


敵を分断する
逆に、敵を分断するという行動は、非常に強力に効きます。ノックバックで敵を弾き飛ばせる能力を持ったヒーロー(ルシオ、レッキングボール等)を使ったり、避けざるを得ないアルティメット(ハンゾーの龍撃波、D.VAの自爆、モイラのコアレッセンス、レッキングボールの機雷など)を敵の集団の真ん中に打ち込んだり、あとはメイのアイスウォールを使うとかですね。


敵を「フォーカス」して倒す
フォーカス(味方が揃って同じ敵を攻撃すること)も非常に重要です。意図的に「敵1人 vs 味方複数人」というような状況を作って、その1人を確実に仕留め、そうすることで人数差を作り出せれば、あとはなし崩し的にこちらが優勢になっていきます。
敵が分断されていることに気づいたら、あるいは孤立している敵を見つけたら、すかさずフォーカスして倒すこと。
逆にいうと、自分が1人で孤立して戦うというのは非常に危険です。(もちろん、意図的に裏取りするときは1人で動くことも多いんですけど、十分な注意が必要。)


まず敵のヒーラーを倒す
最初に倒すべきは敵のヒーラーです。ヒーラーさえ倒せば、敵は回復ができないので、ふつうに撃ち合って体力の削り合いになったときにこっちが有利だからです。


味方のヒーラーを守る
逆に言うと、味方のヒーラーは長く生かさなければなりません。1人のヒーラーが死にそうになったら、もう1人のヒーラーが最優先で回復してあげないといけないし、敵は基本的にこっちのヒーラーを狙ってきますから、タンクやDPSが味方のヒーラーを保護してやる必要があります。


メインタンクを中心に前線を上げる
さっきも書いたように、メインタンクが「標的」になる形で、敵の攻撃を受けつつ、しかし豊富なヘルスと味方ヒーラーによる回復を活用して粘りながら、ジリジリと前線を上げていくという動きが中心になります。その周辺で、裏取りをしたり、逆に裏取りしてきた敵を返り討ちにしたりといったことをするわけです。


アルティメットのタイミングに気をつける
アルティメットは、単独で使って構わないものもあるのですが、やはり味方のアルティメットと合わせる(コンボする)ことで敵を圧倒し、そのウェーブを確実にものにすることが大事です。特に、ザリアのグラヴィトンサージ、メイのブリザード、ラインハルトのアースシャッターのように、敵の動きを止める系のアルティメットは、止めている間に味方の誰かが確殺系のアルティメットで倒すというコンボをよくやります。
防衛系のアルティメットのうち、ルシオのサウンドバリアーやゼニヤッタの心頭滅却は、敵が攻撃系のアルティメットを吐いたときにそれに対するカウンターで使うことが多いです。
プロの試合をみてると、1回1回のウェーブが、溜まっているアルティメット数の差で決まることも多いですね。だから逆に言うと、自分のアルティメットが溜まっていても味方が誰も溜まってないなら、そのウェーブでは温存して次のウェーブで合わせる判断もありえます。
だから、アルティメットが溜まっているかどうかを報告し合うことや、チーム画面で味方のたまり具合をチェックすることが非常に大事ですね。

複式簿記の「複」の意味合い

「複」の意味は意外と忘れられている

企業で働いていると、損益計算書(PL)と貸借対照表(BS)とキャッシュフロー計算書(CF)の関係などは大雑把に理解できるようになるものだが、「現代の企業会計は複式簿記なんですよ」と言われた時に、なんでそんなネーミングになっているかを説明しろと言われると、意外とできない人が多いのではないだろうか。「仕訳」について日々考えざるを得ない経理部の人たちは分かっているとは思うのだが、それ以外の部署で売上を入力したり出費を入力したりしている人たちは、仕訳を意識することも少ない。


貸借対照表の右と左が対応していることを「複式」と呼んでいるわけではないし、貸借対照表と損益計算書がつながっていることを「複式」と呼んでいるわけでもない。後述するように、取引を「借方」「貸方」に分けて記録するのが複式簿記ではあるが、これは貸借対照表の左右を「借方」「貸方」と呼んでいるのとは(無関係ではないものの)別の概念だからややこしい。そもそも、決算書を眺めて「複式」の意味を思い出すのは難しいと言うべきだろう。複式の「複」の意味は、決算書そのものにはあまり表れていないからだ。


むしろ、複式なのは1件1件の取引の記録方法のほうであって、それを集計した「結果」として出来上がるのが決算書である*1。結論から言えば、複式簿記というのは、資産を買ったり商品を仕入れたり売上を回収したりという様々な取引の1つ1つを、必ずそれぞれ2つの項目に分解して記録するから「複式」と呼ばれる。で、複式の記録方法にすると何が嬉しいかというと、フローの管理とストックの管理を並行して整合的に行うことができるのが嬉しい。つまり、その二重化された記録を集計することで、フローの決算である損益計算書とストックの決算である貸借対照表が、自動でうまい具合に(不整合なく)出来上がるわけである。実務的にはそんな簡単でもなく、不整合がしょっちゅう発生しているがw


ちなみに、今回のエントリで書いておきたかったことはここまでなのだが、注意すべきことがあって、それは「複」が意味する「2つ」というのは、「増える」と「減る」の2つでもなければ、「フロー」と「ストック」の2つでもないということである。しかも、バランスシートの右と左を意味する「貸方」「借方」とはまた別の概念だ。ググったりすると「原因と結果に分けて記録するのが複式簿記」と書かれていると思うが、これも後述するようにイマイチ腑に落ちない説明である。


つまり、2つに分かれるから「複」であるとは言えても、「その2つって何と何なの?」と聞かれても一言では答えられないというところがややこしい点で、念のため以下にメモしておくこととする。

複式簿記の本質

貸借対照表には「資産」「負債」「自己資本」という3つの要素があり、損益計算書には「収益」と「費用」という2つの要素がある。何か取引が発生すると、この5つの要素のどれかが増えたり減ったりする。5要素のうち2つを必ず使うわけではなく、たとえば現金という資産が建物という資産に変わるという取引もある。また、何かが増えると何かが減るというわけでもなく、たとえば借金という負債と現金という資産がともに増えるという取引がある。しかし、1つの取引は必ず2つの増減項目に分解することができて、その2つの項目を同額かつ同時に記録していくということは一貫している。


この2つの変化は、一方が貸方、他方が借方と呼ばれる。つまり、1つの取引は必ず、貸方に該当する記録と借方に該当する記録を伴うことになる。ところが厄介なことに、この「貸方」「借方」という呼び方には、ほぼ全く意味がない。確かに、債権と債務だけを考えた場合は、日本語の語感とは逆になるものの、取引相手からみて借りているカネ(こっちからみると貸しているカネ)が借方であり、取引相手からみて貸しているカネ(こっちからみると借りているカネ)が貸方であるということになる。しかし、「費用」とか「収益」の記録も貸方と借方に分かれるし、先ほど例に挙げたような「現金を払って資産を取得する」取引も貸し方と借方に分かれるので、この用語にとらわれてしまうと訳がわからなくなる。


「貸方」「借方」という用語は、まず日本語の語感とは逆という意味でわかりにくい上に、債権債務以外にこの用語が拡張されていったという経緯があるので、さらに分かりにくいのだ。一応、下記のページで、歴史的には債権債務の記録から始まって、その後にそれ以外の行為を「擬人化」して捉えることにして拡張していったという経緯が説明してあって、それはなるほどと感心したが、現代の複式簿記を理解する上ではあまり関係のない話だろう。
http://mba.kobe-u.ac.jp/square/keyword/backnumber/16nakano.htm


だから「複式簿記の本質とは何か」、言い換えれば「何が複で、複にすると何が嬉しいのか」を考える上では、単に「複式簿記とは、1つの取引を2つの項目に分解して記録することであり、それによってBSとPLが自動的に出来上がる仕組みになっているのが嬉しい」というぐらいに捉えておくのが良いと思う。他の言い方もできると思うし、自動は言い過ぎだが、まずこういう1つの簡単な表現で理解してしまって、そこから考察を広げていくのがいいのではないだろうか。


この「2つの項目」は、必ず貸し方と借方に対応しているのではあるが、これは貸借平均の原理で、
資産+費用=負債+純資産+収益
という等式が成り立つこととつながっている。左が借方で、右が貸方。
正確にいうと上の等式は、各要素が増加する場合の話なので、減る場合は移項する。たとえば現金を払って原材料を仕入れたなら、現金という試算は減少するから右辺に持っていって、
費用の増加=現金の減少
と均衡する形で記録する。
「貸方とは何か」「借方とは何か」という「貸方と借方の本質」みたいなものは、わかりにくいが、やはり貸方が原資で、借方はその使いみちというふうになっている。名称が不自然なのは、債権・債務関係の用語を拡張していったためだ。
原理については、このページの解説が比較的わかりやすかった。


ちなみに、複式簿記の解説を読むと、「原因と結果に分けて記録するから複式簿記と呼ばれる」と言われることも多いのだが、この言い方はわかりにくいのでやめたほうが良いと思う。たしかにそうも言えるのだろうが、どっちが原因でどっちが結果というべきか分かりにくいケースがあるし*2、原因と結果が貸方と借方に対応しているわけでもないからだ。

貸方と借方への仕訳の覚え方

「資産が増えるときは借方、減るときは貸方」「費用が増えるときは借方、減るときは貸方」みたいに個別に暗記しようとするとそのうち忘れてしまいそうだが(このページの真ん中あたりに表でまとめられている)、一応、以下のようにすれば芋づる式に思い出すことができる。

  1. まず、バランスシートを思い浮かべる。左右のどっちが借方でどっちが貸方だったかについては、「日本語の語感とは逆」と覚える。つまり、借金が貸方に、貸付金が借方に書かれるということで、すなわち左側が借方で右側が貸方だなと思い出す。
  2. 取引の仕訳については、BSの項目は増えるときはBS上の呼び方と同じになる。つまり資産が増えるなら借方で、負債が増えるなら貸方。
  3. 減少するときはその逆と覚える。
  4. 次に「資産+費用=負債+純資産+収益」という関係を思い浮かべると、PLの項目についても同じように把握できる。八百屋が野菜を仕入れるという取引を考えると、現金という資産が減って費用が増える。資産も費用も左辺にあるが、この場合、資産の変動方向は減少なので、右辺に移項して貸方として記録される。


費用と収益は、増減というより発生と消滅と言ったほうがわかりやすい。費用の減少(消滅)と収益の減少(消滅)って何?という話になるが、例えば、在庫が棚卸資産に計上されるときは「棚卸資産の増加」(借方)と「費用の消滅」(貸方)が起きる*3。また、売った品物が返品されると、「収益の消滅」(借方)と「現金又は売掛金の減少」(貸方)が生じることになる。


以上、なにか間違いがありそうな気もするので、気づいた方はコメント下さい。

*1:歴史的な発生過程としては、企業に属する資産とそれに対する持分のようなものを表したのが貸借対照表の始まりらしいので、「貸借対照表の左右」を「複」の意味だと理解するのも一つの方法ではあるが、現代の複式簿記を解釈する上では、個々の取引の記録方法のほうに着目すべきだろう。

*2:例えば、保有している資産が時価評価で目減りしたら「資産の減少」と「費用の増加」が生じるが、これらは一つの出来事の両側面という感じで、どっちが原因というものではないと私には感じられる。

*3:本を仕入れると在庫が増えるのだが、この在庫が増えるという現象は、この時点ではとりあえず無視される。取引としては、「現金の減少」(貸方)と「費用の増加」(借方)を記録する。で、決算の時期が来ると、決算のために棚卸という作業をして、売れ残っている在庫を棚卸資産として資産に計上する。その際、この棚卸資産の増加という結果に対応するのも実は「費用」で、費用が少し減ったことにするわけである。つまり結果的に、現金の減少分と棚卸資産の増加分の差し引きが、その期の費用に対応することになる。しかしこれは定期的に発表する決算を作るためだけに必要な処理なので、詳しいことは知らないが実務的には、棚卸資産に変身していた在庫は決算が終わるとまた費用として計上し直されるようである。

チェックするメディアの絞り込み

去年の8月に会社から大学に転職して、最初の3ヶ月ぐらいはよくわからないまま過ぎていき、冬になると卒論・修論の指導(あわせて9名)に忙殺されて3月にそれが一段落。
それで4月から本格的に大学教員としての生活を整えようという感じになって、まず無駄な時間を減らすために1ヶ月間、ツイッターとはてブを見るのをやめてみた。


そのあたりから、チェックするメディアがけっこう変わってきて、ツイッターとかはてブで拡散されてる「ネットで話題」系の記事をみるのはマジで意味がないなと実感した。会社員時代は、ああいう「ネット世間」みたいなものについていくのが普通になっていたので、意識せずにそういう情報に毎日触れてたけど、いったん離れてみるとどうでも良くなってきた。
一時期、FeedlyにブログのRSSをたくさん登録してそれを毎日みてたのだが、まずいわゆる「アルファブロガー」と言われる人たちのブログは、上記のTwitterやはてブと同じことで、べつに見なくてもいいかなと思うようになった。海外のサイエンス系のブログもたくさん登録してたのだけど、たくさん登録しすぎて読みきれなくなったので、結局見ていない。


それで最近は何をみているかというと、


ニュースは結局、Yahoo!ニュースみたいな「ふつう」な感じのやつがいいと思うようになった。セレクションがテレビのワイドショーに近く、ネット世間じゃなくてリアル世間に近い気がして、そのほうが生きていく上で必要な情報という感じがする。よく知らんけどたぶんNews PicksとかSmartnewsとかは、もっと「ネット世間」寄りなんだろう。あと何でかわからないが、出張でビジネスホテルの1階においてある紙の新聞を手に取ると、なんだかんだで読んでしまうので、紙の新聞もまだ意外と有益かもしれない。


FPとFAは、何となく今は国際関係の動きを観察してると面白い時代だなと思ってみているが、メールで配信されてくるヘッドラインをみて関心があったら飛んでみる、程度。ただ、たとえば「北朝鮮について気になることがある」「イランについて気になることがある」といったときに、この2誌の中を検索すると何かしら取っ掛かりになる記事に出会えることが多い気もする。The Economistも購読したほうが意識が高いと思うのだが、値段も高いので購読していない。研究費でも契約できるけど、割に合わなそうなので今のところしてない。
WSJは以前、何かのニュース記事を読みたくて有料会員に登録してしまい、そのまま惰性で、ヘッドラインがメールで送られてくるので気になるものがあったら読んでいる。


ブログは、定期的にチェックするのは1個か2個に絞るべきだと思うようになった。それ以上巡回し始めると「ネット世間」に無駄についていく感じが出てくる。


ビデオニューズ・ドットコムはテーマに興味がある回だけ見ているが、論調がわかりやすく「リベラル」すぎて賛成できないことも多い。しかし確か2000年ごろに始まったやつで(その頃からたまに見てた)、なんだかんだでこういう「カタい内容の動画」の配信を長年続けてることには敬意を持っているし、たいていのテレビ番組よりは良いと思う。システムをもう少し今風にしてほしいとは思うけど。プラットフォームに中抜きされてくないのかもしれないが、たとえばVimeoで有料配信とかしてもらえると、WiFi環境下でダウンロードしておいて通勤電車で見るみたいなことが可能になって嬉しいのだが。


論文と本は、仕事だから読むわけだけど、十分な数を読めていないなぁと感じる。