The Midnight Seminar

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坂村健『変われる国・日本へ――イノベート・ニッポン』

変われる国・日本へ イノベート・ニッポン (アスキー新書)

変われる国・日本へ イノベート・ニッポン (アスキー新書)


 4年ぐらい前の本ですが。
 著者の坂村健氏は、組み込みOSの「トロン」の開発者で、何年も前から「ユビキタス・コンピューティング」というのを提唱している人である。ユビキタスというのは「遍在」という意味で、ようするにICタグみたいなものを死ぬほどたくさん普及させて、衣服から食品から何から、とにかくあらゆる物品に電子情報(電子じゃなくてバーコードでも構わないとも言っているが)を埋め込んでネットワーク化し、トータルに管理しようという試みだ。学生時代にたしか『日本の論点』か何かでこの人の記事を読んで初めて「ユビキタス」という言葉をしったけど、その後普及は進んでんのかね??よくわからんけど。
 ちなみに本書は、トロンやユビキタス・コンピューティングの宣伝みたいなものではなく、著者の「イノベーション」論である。正直内容はあんまり濃くはないというか、非常にライトなノリの新書なのだが、著者がイノベーションをいくつかの種類に分けていて、この分類はけっこう重要だと思う。


 イノベーションの分類
 まず基本的な分類として、イノベーションには3つの種類があるという。


(1) プロダクト・イノベーション
 新しい製品をつくり出すイノベーション。デジカメを作るとか、液晶テレビを作るとかいうもの。日本人はこれはけっこう得意。
(2) プロセス・イノベーション
 トヨタの「カイゼン」みたいに、生産活動などのプロセスを徹的に効率化するイノベーション。日本人はこれも得意。
(3) ソーシャル・イノベーション
 新しい制度やインフラを作って社会環境を変えてしまうようなイノベーション。日本人はこれが苦手。


 3つめの「ソーシャル」の意味は、最近言われている「ソーシャルメディア」みたいな意味ではない(それを含むとは言えるが)。著者はこの種のイノベーションを「制度イノベーション」とも呼んでいるが、ここで言う「制度」も、法律などの公的なルールだけを指すというわけではない。カンタンにいうと、新しい「技術」ではなく、技術を活用するための新しい「枠組み」を創りだすようなイノベーションということだ。
 たとえばYouTubeは、べつに目新しい技術を使って成功したわけではなく、技術の「組み合わせ」が上手くいって画期的な体験を提供できるサービスとなった。さらに、著作権のような制度の運用方法次第で、動画共有が新たなビジネスとして成功するか否かが左右されることになる。
 要するに、元となる技術そのものではなく、ビジネスモデル、政府の規制、業界文化、消費者の嗜好など社会的な様々な要素の組み合わせが肝となるから「ソーシャル・イノベーション」というわけである。


 また著者は、他のイノベーションを誘発するような波及力のあるイノベーションについても、その波及の性質によって2つに分類している。


(1) 要素技術イノベーション
 コンクリート、液晶、半導体、合成ゴムなどの基礎的な技術の開発。日本人はこれはけっこう得意。
(2) インフラ・イノベーション
 電話、インターネット、高速道路、鉄道など、一国の経済発展を強力に支えるようなインフラの開発。日本人が考え出したものはほとんどないと言って良い。


 日本的アプローチと西洋的アプローチ
 本書の中では、「プロダクト・イノベーション」「プロセス・イノベーション」「要素技術イノベーション」が同じような意味で使われており、「ソーシャル・イノベーション」「制度イノベーション」「インフラ・イノベーション」が同じような意味で使われている。まあ基礎的か応用的かという違いだ。
 前者の「プロダクト」「要素技術」のイノベーションは、開発に関わるプレーヤー同士の「すり合わせ」によってボトムアップ的にでき上っていくものなので集団主義的な日本人に向いており、これを西洋人がやるとすごく非効率になる。一方彼らは国家戦略を考えることに長けていて、社会全体を包括する枠組みを作ってトップダウンで変えてしまう「制度イノベーション」や「インフラ・イノベーション」の方法をとって、イノベーションを効率化したんだというのが著者の説である。しかしこのへんの著者の説明はあまり判明なものではないので、深くは考えないことにしたw


 政府のリーダーシップ
 しかし日本人が、部分的な技術の開発はできてもそれを組み合わせたり法律を迅速に変えたりして新たな「シーン」を生み出すのが苦手だというのは、よくわかる。また、制度やインフラのイノベーションを起こすうえでは、政府のリーダーシップが非常に重要だというのも分かる。
 たとえば例に挙げられているのはシンガポール版のETCで、正確には「ERP」というシステムらしい。日本のETCはゲートをきちんと上げ下げする技術などに凝っているのだが、シンガポールの場合はそもそも法律ですべての車両にERPの搭載を義務付けることによって、ゲートそのものを不要にしてしまったのである。
 インフラレベルのイノベーションというのは、非常に長い時間やコストがかかる(交通インフラなんてまさにそうだし、インターネットも要素技術が登場したのは1960年代で、やっと1990年に商業利用が始まった)ので、一民間企業ではリスクをとれないものも多い。それに、技術の変化に合わせて法律の整備を迅速に行う必要があるし、「軍事」のように惜しみなく国家予算が注ぎ込まれるところから出てくる技術も多い。
 クリントン政権の副大統領だったゴアが「情報スーパーハイウェイ」を構想したのは、もともと「強いアメリカを作らねばならない」→「国を強くするには教育が重要」→「しかし教員が不足しており、特に地方にいくとろくな教育が受けられない」→「高速回線網を政府のカネで張り巡らすことで、遠隔地でもオンラインで良質な授業が受けられるようにすればいい」→「学校や図書館の間をブロードバンドでつなぐ」→「そのネットワークは民間企業が別の目的で利用してもいいですよ」という意味合いのものだったらしい。


 制度作りに強い社会へ
 日本人は、技術は技術、制度は制度という感じになってしまっていて、それらを組み合わせて社会を新しくするというメタレベルの視点を持つのが苦手であると著者は繰り返し指摘している。弱点を認識してそこをこれからは強化しましょうね、と。それが本書の主要テーマだ。

 「米国では人材こそ未来といった出発点がありましたが、残念ながら日本にはそのような制度設計のコンセプト自体がなかったのです」(129頁)


 「日本の公共交通イノベーションに関しては、ポートラムをはじめとしてヨーロッパに学ぶことがとても多い。これは公共交通については技術以上に制度設計の側面が強いからと言えるでしょう。」(132頁)


 「日本には技術があります。しかし、制度の構築に関しては弱い」(136頁)

 じゃあどうすればいいのか?というと、具体的な解決策があるわけではないのだが、著者はとりあえずケース・スタディをたくさん頭に入れろと言っている。現代の技術も社会も複雑化しているので、セオリー化するよりもケース・スタディから学べることが多い。
 また、こうした複雑化した社会では、制度(たとえば著作権とか)の設計などをするときに、何でもかんでも「1か0か」「白か黒か」をハッキリさせることにはこだわらないほうがいいと言う。ぐちゃぐちゃ議論してる暇があったら、さっさとルールを決めてしまえと。

 「複雑化した事象をベスト・エフォート的な解決法を見つけて『巧緻よりも拙速』とばかりに突き進もうとしている世界において、『1か0かはっきりしないと、先へ進めない』などと引っ込み思案でいるようでは、目も当てられないということになるのです」(138頁)


 具体的な目標は定めない
 それと著者は、政府のイノベーション戦略は「目標志向型」であってはならないと言っている。これはこれで重要な論点だ。ようするにあらゆる技術が複雑化していて、イノベーションなんて予測が不可能なんだから、具体的な目標(どんな分野でどんな技術を開発するといった)を定めるのではなく、もっと大枠での環境整備に集中しようということである。

 「米国の『パルミサーノ・レポート』を見ると、具体的なターゲットは意識的に定めず、イノベーションを起こすための『人材教育』と『投資戦略』、そして『インフラ』という三つの環境整備にポイントを絞っていることがわかります。『○○をするためにいつまでにどうする』といった目標ではなく、予測不能なイノベーションに対応できる形に『国全体を革新する』という強い意志を示しているのです。」(104頁)


 あとは日本の企業は「売り込み」が下手だとか、産学連携だとか産業政策だとか、トロンやユビキタスコンピューティングの紹介とかいろいろ書いてあるけど、つれづれなるままに書きとめたという感じもしてあまり整理はされてない。
 ただ、最初に言ったようにイノベーションの分類はとても大事だと思うので、立ち読みぐらいはしてもいい本だと思います。
 なお、本書の主要テーマとあまり関係ないけど、↓のようなセリフがあって、銘記すべきだと思った。

 「人事的にも、大企業になるほどリスクを恐れ『ちゃんとした人』を採りたがります。たとえば小学校の頃からずっと成績が悪くても、大学に行かなくても、一つのものに秀でる最強の人材が力を発揮できるというとやはりベンチャーでしょう。(略)ただし、これは私からのアドバイスですが、そういう一芸に秀でた人もある程度の成功を収めたら、改めて勉強したほうがいいと思います。実際米国では、小さい頃からコンピュータばかりやっていて『変な奴』と言われ学校ではのけ者にされ、大学にも通わず、しかし成功した人間が、最後にこう気づくことがあるそうです。『やっぱり体系的に勉強し直さないと、わかっていないことがたくさんある』」