- 作者: 中野剛志
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/03/17
- メディア: 新書
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2010年の秋に突如として「TPP」が話題に上り、いつの間にか「もちろん参加すべし!」との論調でメディアが一色に染まってしまった。「開国か?鎖国か?」と歴史的な大決断が求められているかのように言われ、米韓FTA合意という流れもあり、「参加しなければ日本はアジアの成長に乗り遅れる!」「世界の孤児になる!」と不安まで煽られる始末だ。
しかし著者(経産省の官僚であり、現在京都大学に出向中)は、昨秋に話題になり始めて以来一貫して、TPPへの参加などは余りにもお粗末な案であって検討にすら値しないことを指摘し続けている。
著者はもともと『自由貿易の罠――覚醒する保護主義』(青土社)という本を書いているぐらいなので、「自由貿易」というイデオロギーそのものに批判的であり、本書中でもその論拠が述べられている。しかしTPPに関しては、そんな原則的な立場をうんぬんする以前の問題であって、そもそも自由貿易の推進案としても余りにもデキが悪すぎるので、問答無用で却下すべきというのが本書の見解だ。その理由を要約すると次のとおり。
民主党政府をはじめとする賛成論者に言わせれば、TPP参加で日本は「平成の開国」を成し遂げて「輸出を拡大」し、「アジアの成長を取り込む」ことになっている。それができなければ「鎖国」が続き「世界の孤児」になるという。しかしこれは大ウソだ。*1
まず、TPPに参加して「開国」せよと言うが、そもそも今の日本は、「鎖国」と言われるような極端な保護主義を採っているわけではない。2008年の全品目平均の関税率は韓国より遥かに低く、アメリカよりも低い。農産物に限定すると、アメリカよりは高いが、韓国より遥かに低く、さらにEUよりも低い。そしてもちろんWTOに加盟しているし、最近締結したインドを始めとして12の国・地域(地域というのはASEAN)とFTA=自由貿易協定やEPA=経済連携協定を締結している。そしてさらに数カ国と調整中だ。これのどこが「鎖国」だと言うのか?
逆に、TPP参加が「開国」に当たるかどうかも怪しい。参加国を見るとアメリカ以外は小国ばかりであって、中国も韓国も、もちろんEUも参加しないのがTPPだ。これに参加しなかったら「世界の孤児になる」というのは誇張が過ぎるというものだ。
TPP参加で関税を撤廃すれば(農業への打撃と引き換えに)日本からの工業輸出が増えてハッピーというのもおかしい。輸出先は市場規模からして事実上アメリカしかないが、(TPPに参加すれば原則撤廃される)関税はすでにかなり低くなっており、貿易量を左右する最も重要な要素は「為替」だ。そしてアメリカは大々的に金融緩和・ドル安戦略を採っているので、関税撤廃の恩恵など簡単に吹き飛んでしまう。韓国の輸出競争力が強いのも、同国の企画財政相が先日「輸出支援目的でのウォン安政策は採っていない」と公式答弁せざるを得なかったほどのウォン安だからである。
しかも日本の、たとえば自動車メーカーは、為替リスク回避のためにアメリカでの新車販売の6割を既に現地生産としており、ホンダは8割に達する。とすれば、仮に自動車輸出が増えても日本の雇用は増えないのだ。またそもそも、世界で不況の長期化、需要の縮退が懸念されているときに、輸出主導で成長しようなどというのは有効な戦略たりえないのである。
TPP参加の「メリット」がウソであるのに加え、経済戦略上の「デメリット」も存在する。
まず大きいのは、関税撤廃による輸入価格の低下や国際的な価格競争に巻き込まれることによって、現下の「デフレ」が一層進行してしまうという点だ。安い農産物の輸入で農家が困るという問題もあるが、価格低下によるデフレの進行は国民全体にとって迷惑なのである。
そして、すでに関税率が十分低いのにさらに「開国します」などと宣言すれば、非関税障壁も撤廃せよという話になって様々な外圧を受けかねないし、WTO交渉やTPP参加国以外との個別のFTA・EPA交渉でも例外規定を置くことが難しくなり、交渉の自由度が減ってしまう。TPPにおいても、参加国中に日本と経済上の利害を共有する国はないので、協定の内容を有利にするための多数派工作は困難。要するに、交渉戦略上、非常に「損」な枠組みなのである。
著者は、近年の国際経済の構造変化を次のように要約している。80年代以降の金融グローバリゼーションによって、東アジア等の新興国に大量の資本が流入し、成長を促進したが、その一方でボラティリティが上昇し、結果としてロシア、南米、そして東アジアで金融危機を招来してしまった。その後東アジア諸国は、通貨暴落を伴う対外債務危機を回避するために、為替介入と欧米への輸出促進、そして国内消費の抑制によって、経常収支の黒字をため込む戦略を採用した。ため込まれた黒字は投資先としてアメリカへ還流し、アメリカでは金利が低下し、住宅バブルが発生し、その好況に率いられて東アジアからの輸出はさらに拡大して、またアメリカに資金が還流するというループができ上った。しかしこの好況のループはリーマンショックで崩壊し、実体経済における資金需要も大幅に縮小し、カネ余りによって新興国バブルやコモディティバブルの危険が高まっている。アメリカは内需が減少していることから、雇用維持のため強烈な輸出拡大戦略をとり始めており、TPPもその流れの中にあって、この「アメリカの、アメリカによる、アメリカのための貿易協定」を是非とも日本の押し付けたいと考えている。
著者は基本的に、経常収支の極端な赤字国と黒字国が存在し続ける「グローバルインバランス」は、経済危機のリスクを高めるので是正すべきだと考えていて、アメリカは輸出を増やすのが当然だし、日本は内需を拡大して輸入を増やして国際経済に貢献すべきだという。
ただし、輸入を増やすべきだからといって、今TPPに参加して自由化しまくればいいかというとそうではない。TPPは、個別の例外規定を原則認めないという、急進的かつ安易な自由化枠組みだから、2国間のFTAやEPAで細かい条件を組み合わせる戦略に比べて柔軟性がなくリスクが大きい。そして何より“今”自由貿易政策をとることは、デフレの促進による内需の縮小を意味する。著者が望ましいとする順序は、「保護主義+財政出動による内需拡大」→「デフレ脱却し経済成長」→「輸入を拡大して経常収支黒字を削減」→「世界経済の安定に貢献」というものだ。歴史的にも、自由貿易が経済を成長させるのではなく、保護主義による内需拡大・経済成長が輸入をむしろ増加させるというパターンが多い。
ところで国家間の貿易というものは、その金額面での赤字・黒字だけでなく、取引される財の性質や市場の構造が、各国の政治的なパワーに大きな影響を及ぼしている点にも留意する必要がある。原油や穀物、水といった必需品を持つ国がパワーを持つことは理解しやすいし、日本の場合、国産の農作物でも種子のほとんどをアメリカに依存しているもの(いわゆるF1品種)がある。必需品を輸入して贅沢品を輸出するという構造は、戦略的に脆弱なので、その意味でも日本は安易にアメリカが設定した枠組みに乗るのではなく、個別の交渉を粘り強く継続した方が良い。
TPPに断固反対するからといってそれが「鎖国」主義を意味するわけではなく、著者はむしろ世界経済の安定のために輸入を増やすべきとすら主張している。ただそのための手順として、自由化を抑制した上での「デフレ脱却」を優先しなければならないと言っているに過ぎない。
本書で述べられているのは、そもそも「開国か?鎖国か?」などという二分法がおかしいのであって、開き方と閉じ方を常に調整して、国益の確保と世界経済への貢献のために多くの選択肢を確保しておこうという程度の穏当な見解だ。「平成の開国」「世界の孤児になる」といった意味不明のスローガンを叫んで、出来合いの、自分たちに不利な枠組みに乗っかろうという民主党の安易な“ワンフレーズ・ポリティクス”は、絶対に許してはならないのである。
中野氏の分かりやすいTPP解説動画。
- 作者: 中野剛志
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