昨年放送されたNHKスペシャル『ワーキングプア』を書籍化したもの(発売は先月)で、当初は『日本の貧困』というタイトルが予定されていたというように、「働いても働いても生活保護水準以下の収入しか得られない人々」の生活をリポートしたのが本書である。
私は、「いわゆる『格差社会』が『問題』ではあるにせよ、『下流』と呼ばれる人たちの生活も、途上国の人が聞いたら憤慨するぐらい贅沢なものであって、単にやる気がないだけの人も少なくないのだろう」ぐらいに思っていた。しかし、たしかに「餓死」が多発するような段階には到っていないものの、いま生じているのは、どうやら私がイメージしていたような生易しい事態ではないようだ。この番組の取材班も、当初は私と同じようなイメージを抱いて取材を始めたのだが、ふたを開けてみて「自分たちが大きな勘違いをしていることに気づかされた」(p.12)らしい。
東京に住む35歳のある男性は、家庭環境に問題があって自分の生活費をアルバイトで稼ぎながら高校生活を送っていたために、勉強も就職活動もままならなかった。卒業後はフリーターにならざるを得ず、20代のうちは何とか生活することができたが、30歳を過ぎると急に働き口がなくなって、いま「路上生活」3年目を迎えている。
福島県に住む31歳のある女性は、ホテルの正社員として働いていたが、父親が死んで母親が働き始めたため、子どもを預かってもらうことができなくなって仕事を辞めた。ところがその後自分自身が離婚することになり、仕事を探し始めたものの、子どもをどこかに預けなければ仕事は見つからないし、仕事をしていないと保育園は子どもを預かってくれないため、どうしようもなくなって母子生活支援施設に駆け込んだ。なんとか仕事は見つかったが、1日4時間の睡眠でパートを掛け持ちし、ほぼ休みなしに働いても月に18万円という収入で、2人の息子を育てなければならない。
京都で大工として働いてきたある男性は、2人の息子の高校の授業料を払うのもやっとというほどの収入だったため、年金を納められない期間が5年ほどあった。そのため受給権を失ってしまい、80歳になった今も、75歳の妻とともに毎日空き缶を拾い集め、業者に売って食いつないでいる。
その他にも、バブル崩壊後の価格破壊で仕立て屋の経営が立ち行かなくなり、しかも妻がアルツハイマーになったためその医療費を支払いながらギリギリの生活を続けている秋田県の老人や、妻が病死し、会社の経営が悪化して解雇され、東京都内で3つのガソリンスタンドでのアルバイトを掛け持ちしながら2人の息子を育てる50歳の男性、父親が病気で働けず、妹とともに北海道のある町立病院の調理場でパートとして働いて生活を支えているが、2人合わせても収入は月に16万円にしかならないという23歳の女性など、様々な事例が取り上げられている。
本書によれば、行政機関は、ニートやフリーターの数は調査していても、こうした「ワーキングプア」の数やその生活の具体的な水準については実態をつかんでいないという。したがって本書で紹介されている事例は「例外」に過ぎないのかも知れないのだが、こういうルポルタージュが放送・出版されてそれなりに大きな反響を得るということは、「日本の貧困」がすでに無視できない水準に達していることは確かなのだろう。
本書や、朝日新聞社が今月出版した『ロストジェネレーション』――フリーターやニートの割合が多く、「オンコールワーカー」や「ワンコールワーカー」として過酷な労働条件で働き、「ネットカフェ難民」となっている人も少なくない、25歳から35歳までの世代についての連載記事をまとめたもの――のようなルポを読んでいると、「ワーキングプア」の生活に陥る過程にはパターンがあるように思える。夫(父)が死亡するとか、会社の経営が傾いて解雇されるとか、自分自身が病気になっていったん仕事を辞めざるを得なかったとかいう、不測の「危機」をきっかけにして悲惨な生活水準へと転落している事例が多い。そして30歳を過ぎていると再就職が難しいため、「ワーキングプア」やホームレスにならざるを得ないのである。しかも、いったんそういう生活を始めてしまうと、余計に就職は難しくなってしまう。
「ワーキングプア」化にパターンがあるということは、それは経済制度や社会構造の問題である可能性もあるということだ――本人の「やる気」の問題である場合もあるだろうが、少なくとも本書に取り上げられている人たちは「怠け者」のイメージからはほど遠い――。いわゆる「セーフティネット」の他にも、経済界の要望によって「派遣労働」に関する規制が緩和されたことや、外国人労働者が違法な低賃金で働いているために日本人の働き口がないというケースが多発していることなど、論ずべき問題は多い。
ところで、「ワーキングプア」に陥った人たちの多くには、支えてくれる「コミュニティ」が無いという共通点がある。逆に、低収入のため税金もろくに払えないのだが、家族や仲間が居るためにすこぶる元気に暮らしている人々が、『ワーキングプア』や『ロストジェネレーション』といったルポのなかでも紹介されている。労働関係の法整備や所得分配の制度見直しも大事だろうが、「コミュニティ」のあり方について考えることの方が、とくに長期的な視野の下ではより重要であろうと私は思う。
(「○○について考えることが重要であろう」なんていう物言いが、何も言っていないに等しいことは私にも分かっているので、機会があれば具体的に論じたいと思う。)
- 作者: NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2007/06
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