The Midnight Seminar

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渡邊二郎『芸術の哲学』(ちくま学芸文庫)


 アリストテレスの詩論、ニーチェの悲劇論、ハイデガーの存在論、ガダマーの解釈学を経由して、またそれらを縦横に組み合わせて、「存在論的美学」の立場に立つ芸術の哲学に触れさせるのが本書前半の狙いである。歴史上の大哲学者たちが展開した芸術論をなぞりながら、その最大公約数としての「存在論的」な立場、構えというものを明るみに出していくわけだ。
 「存在論的美学」とは、「芸術作品が狙うのは、美ではなく存在の真実であり、そうした真実の世界の開示される場が芸術作品であり、そこには、主観を超えた、いわば『客観的』な存在の真実が輝き出ており、その輝き(シャイネン)と現出(エルシャイネン)の結果が単に美(シェーン)であるにすぎず、人は芸術において開陳された真実の輝きの中に恍惚の忘我奪魂の状態で魅入られるのだとする考え方」(p.369)である。


 大まかな理解のためには、次のような対比をすればいい。芸術というものを、「主観」や「想像」の領域にある営みだと考えるのは間違いで、むしろ芸術作品を通して我々の前に現れるものこそ、「客観的」な「現実」なのだということ。作家の主観的な感性が芸術作品の出発点になるのではなく、世界のリアリティ、存在の真実が、作家を呼び求め、彼を促して、迫真的な「存在」を可能にする“場”としての芸術作品を創出させるのである。
 絵の具や石材のような「モノ」がまず存在して、それから作家の想像力に基づいて作品が構成されると考えるのも間違いだ。むしろ絵の具や石材のほうこそ、「芸術作品」として結晶する可能性によって「存在」させられているのである。
 演劇や文学作品が描写するものは作家の創り上げた「虚構」の世界だと思われがちだし、絵画作品が描き出すものは、どこかに存在する人やモノの、幾らか気を利かせた模写(コピー)に過ぎないと思われがちである。しかし芸術が追求するのはあくまで「現実性」(存在の確かさ)なのだ。芸術作品において我々が触れるもののほうが、日常の生活で目や耳にしているものよりもリアルで、確からしく、親しみやすく、納得のいく「存在」なのである。
 (だから、違和感や理解不可能性こそは芸術作品の最大の欠陥なのであって、むしろ「そうだ、我々の住まう世界とはこのようなものなのだ!」という確信をもたらすものこそ、真に芸術的と言える作品なのである。)


 本書は、私が学生時代に読んだ、いわゆる「古典」以外の書物のなかでは最も印象深いもののひとつなのだが、一見退屈な本であることも確かなので、人に“おススメ”するのはやや憚られる。全編を通してほとんど文献解説のような体裁をとっていて、味わいがあるとは言いがたい。先回りして読者からの批判をいちいち封じるような、周到というよりは回りくどい書き方が多いし、趣旨の繰り返しも目立つし、言葉遣いそのものが堅苦しくて仰々しい。要するにはなはだ「几帳面」な筆致で書かれているわけで、「もっと面白く、コンパクトに書けるはずだ!」と言いたくなる。
 また注意が必要なのは、「そもそも何かが“存在する”とはどういうことなのか?」について考えたハイデガー(等)の哲学を大雑把にでも知っておかないと、本書の扱う「存在論的美学」の主張はにわかには受け入れがたいかも知れないということである――ちなみに著者はもともとハイデガー研究者だ――。芸術作品は、「存在の真実」を我々の前に開示して、究極のリアリティを経験させてくれるものだという。しかしハイデガーを知らなければ、「存在の真実」というような独特の言葉の意味を誤解してしまったり、それが思わせぶりの虚飾的なレトリックに聞こえてしまったりするかも知れない。
 逆に、「物語」の「解釈学的経験」こそが「リアリティ」(現実性、存在の確かさ)の根源なのであると考える哲学に慣れ親しんでいる人にとっては、本書の芸術思想は極めて説得的で、刺激的なものとして受け入れられるだろう。


 ※ 著者はハイデガーの『ヒューマニズム書簡』の翻訳(ちくま学芸文庫)をしていて、その訳者解説が、ハイデガーの後期思想の要約としてはすこぶる分かりやすい。本書の芸術論の哲学的な前提に手っ取り早く追いつくのには、いい参考になると思う。


 本書の後半で著者が取り組む問題は、人間が芸術作品(の創作や鑑賞)を渇望してやまないのはなぜなのかということである。フロイトユングの精神分析・心理学を経て、ショウペンハウエルの『意思と表象としての世界』を取りあげ、人間が「芸術」を通じて存在の真実へ到ろうと望むのは何故なのかを考えていく。
 正直にいって、前半に比べれば後半の趣旨は面白くない。フロイトの生涯やショウペンハウエルの哲学の要約などは、「存在論的美学」について解説する本書の文脈にあまりそぐわないものになっているし、後半の論旨が「芸術とは人間の“苦悩”を癒すものである」というあまりにも平凡なアイディアを基にして書かれているため、分量が多い割に内容的には退屈だ。
 私の読書の範囲内で例を挙げれば、たとえばキルケゴールの『不安の概念』などを後半の趣旨の中心に据えて欲しかった。人間というものが根本的に「現実性」や「確実性」から隔絶されて、絶望的に存在している様を描き、その「実存の不安」との格闘を「芸術」へのモチベーションと捉えれば良かったのではないか。


芸術の哲学 (ちくま学芸文庫)

芸術の哲学 (ちくま学芸文庫)