The Midnight Seminar

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ジョージ・オーウェル『1984年』

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


 久しぶりに手に取った。
 まぁあんまり面白いものではない。
 以下抜粋のみ。

○ 自分は誰も耳を貸そうとしない真実を声に出す孤独な幻。しかし声を発している限り、何らかの人目につかない方法によってでも、真実の継続性は保たれる。他人に聞いてもらうことではなく、正気を保つことによってこそ、人類の遺産は継承されるのだ。彼はテーブルに戻り、ペン先をインクに浸し、書いた――(p.45)


○ 「分かるだろう。ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。」(p.82)


○ 彼はそれまで何度も考えたように、はたして自分は狂人ではないのかと考えた。ひょっとすると狂人はたった一人の少数派そのものかもしれない。かつて地球が太陽のまわりを回っていると信ずることは狂人のしるしだった。現在では、過去は変更不可能だと信じることがそのしるし。そのように信じるのは自分ただ一人かもしれない。そして一人なら、それは狂人ということだ。だが、狂人であると考えてもそれほど動揺しなかった。恐ろしいのは同時に自分が間違ってもいるのではないかということだった。(p.123)


自由とは2足す2が4であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。(p.125)


○ 「あちこちデモ行進したり、歓呼の声を上げたり、旗を振ったりするのはすべて、腐った性欲の現れそのものよ。心の中で幸せを感じていたら、〈ビッグ・ブラザー〉とか3ヵ年計画とか〈2分間憎悪〉とかいった連中のくだらない戯言なんかに興奮したりするもんですか」(p.205)


○ 戦争というものは、いずれ判明するだろうが、単に必要な破壊行為を成し遂げるだけではない。それを心理的に受け入れやすいやり方で成し遂げるのである。寺院やピラミッドを建てたり、掘った穴をまた埋めたり、或いは大量の物資を生産した後、それらを焼却するといった方法によって世界の過剰労働力を蕩尽するというやり方は、原則としては実に簡単である。しかしこうした方法は、階級社会に、経済的基盤を提供するだけで、心理的な基盤は与えてくれない。(p.296)


○ 寡頭政治にとって唯一の安全な基盤が集産主義であるということは以前から知られている。富と特権は共有した場合に、最も護りやすくなる。いわゆる「私有財産の廃止」が今世紀の中頃に実施されたが、これは要するに、従来よりも遥かに少数の人間に富を集中させることを意味していた。(p.316)


○ 少数派であっても、いやたった一人の少数派であってさえ、そのことで狂人ということにはならない。一方に真実があり、他方に出鱈目がある。もし全世界を敵に回しても真実を手放さないのなら、その人間は狂っていないのだ。(p.333)


○ 昔の異端者は最後まで異端者であることを止めず、異説を高らかに唱え、それに狂喜しながら、火刑場に向かった。ロシアの粛清の犠牲者でさえ、銃殺場に向かう通路を歩きながら、頭蓋のなかには反逆心をしっかり保持していることができた。しかしわれわれはまず脳を完全な状態にし、それから撃ち抜くのだ。昔の専制君主は『汝、なすべからず』と命じた。全体主義の命令は『汝、なすべし』だった。われわれの命令は『汝、これなり』なのだ。」(p.395)


○ 「党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。……権力は手段ではない、目的なのだ。誰も革命を保障するために独裁制を敷いたりはしない。独裁制を打ち立てるためにこそ、革命を起こすのだ。」(p.407-408)


○ 「いいえ。わたしが信じているだけです。あなた方が失敗すると分かっているんです。宇宙には何か――わたしには分かりませんが、精神とか原理といったようなもので――あなた方が絶対に打ち勝つことの出来ないものがあるんです」
 「神の存在を信じてるのかね、ウィンストン?」
 「いいえ」
 「それならわれわれを打ち破るというその原理とは、いったい何なのだ?」
 「分かりません。『人間』の精神です」(p.418)