- 作者: 今西錦司,亀倉雄策
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1972/01/15
- メディア: 文庫
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今西錦司といえば「棲み分け理論」が有名だが、本書は↓の引用文にもあるとおり、今西が学問的な研究に向かう際の態度とか根本感情みたいなものをつづったエッセイだ(棲み分けの話も一応出てくる)。
演繹的・分析的・合理主義的なものの見方や考え方をやめてみよう(控えてみよう)という転換は、いろいろな分野で起きたことなので、今西錦司のこの本を読んで衝撃を受けるようなことはないんだけど、ここで語られているのが生物学の分野にかぎらず重要な哲学であることに違いはないし、書きぶりが素朴で面白いので好感を持たざるを得ない(笑)
「生命」という概念を、“個体に宿るもの”と限定するのではなく、個体をとりまく環境もひっくるめてそこに生命が広がっているんだと考えるというのは、とても大事なアイディアであるように思われる。
人間社会の場合、自然環境についても言えるんだろうけど、たとえば道路のような人工的なインフラ(社会資本)というものも、単に我々の生活・生命の「受け皿」と考えるではなくて、それを含めて我々の生命であり生活なのだと言い得るようなものでなければならない。あるいは企業組織の中の規則というようなものも、それは自分たち個体(個人)の外部にあるものであり、生き生きとした我々の生命の自由を束縛するギプスのようなものだと考えるのではなくて、逆に規則そのものに本当は生き生きとした生命や精神(思想)が宿っているのだと考えなければならない。「人間と環境」「個人と組織」などを分離してはならないのだ。
いやべつに、道路は素晴らしいとか規則をありがたがれと言いたいのではない。そうではなくて、逆に、道路(物質的なインフラ)や規則(制度的なインフラ)を自らの「生命の一部」「精神の一部」として構想してゆくのでなければ、我々の社会はそこに生きるに値するものではなくなってしまうということだ。*1
○ この小著を、私は科学論文あるいは科学書のつもりで書いたのではない。それはそこから私の科学論文が生れ出ずるべき源泉であり、その意味でそれは私自身であり、私の自画像である。
私は自画像がかきたかったのである。今度の事変がはじまって以来、私にはいつ何時国に命を捧げるべきときが来ないにも限らなかった。私は子供のときから自然が好きであったし、大学卒業後もいまに至るまで生物学を通して自然に親しんできた。まだこれというほどの業績ものこしていないし、やるべきことはいくらでもあるのだが、私の命がもしこれまでのものだとしたら、私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、なにかの形で残したいと願った。(P.3)
○ くり返していうが、われわれは人間的立場にあって生物の生活を知ろうとし、またその住まう世界をうかがおうとしているのである。だからわれわれに許された唯一の表現方法は、これらの生活や世界を人間的に翻訳するより他にはない。類推ということを奪われた生物学は、ふたたび惨めな機械主義へかえるより途はないのである。類推の合理化こそは新しい生物学の生命であるとまでいい得るであろう。(p.25)
○ 単なるものとしての構造だけの生物であるとか、身体だけの生物というようなものが、この具体的なわれわれの世界には存在しないで、生物という以上はかならず構造的即機能的な存在であり、身体的即生命的な存在でなければならないゆえんは、すなわちこの世界が空間的即時間的な世界であるからである。(p.44)
○ 生物とはそれ自身で存在し得る、あるいはそれ自身で完結された独立体系ではなくて、環境をも包括したところの一つの体系を考えることによって、はじめてそこに生物というものの具体的な存在のあり方が理解されるような存在であるということである。環境から取り出し環境を考慮の外においた生物はまだ具体的な生物ではないのである。そしてここでやはりも一度いっておかねばならないと思われることは、こうした外界あるいは環境というものがすでに存在していてそこに生物が発生してきたのではないということである。環境といえどもやはり生物とともにもと一つのものから生成発展してきたこの世界の一部分であり、その意味において生物と環境とはもともと同質のものでなければならぬ。……生物がさきでも環境がさきでもない。環境なくして生物の存在が考えられないとともにまた生物の存在を予想せずして環境というものだけを考えることもできないといったものが、すなわちわれわれの世界でなければならないのである。(P.59)
○ われわれはいままで環境から切り離された生物を、標本箱にならんたような生物を生物と考えるくせがついていたから、環境といい生活の場といってもそれはいつでも生物から切り離せるものであり、そこで生物の生活する一種の舞台のようにも考えやすいが、生物とその生活の場としての環境とを一つにしたようなものが、それがほんとうの具体的な生物なのであり、またそれが生物というものの成立している体系なのである。(P.63)
○ われわれの身体とか生命とかいってみても、それだけがこの世界から切り離された完結体系としては成り立たないものである以上、これを個体的に限定しなければならぬ理由もないのであって、身体も生命ももちろんその中心としてそこに個体的なわれわれを必要とするものであるが、それを中心としてそれから周囲に拡がったものであり、そういう場(フィールド)的なものであり、したがって具体的にはその限界が明瞭なものではあり得ないだろうと考えた方が、何だか私にはよりよい解釈のように思われる。とくに生命観というものに対して、いままでのような抽象論ではあきたらなく思い、どこまでも生命の物質的基礎をつかんだ上での身体即生命的な生命観を求めようとする立場においては、個体内に束縛された生命を解放して、これを世界に拡がるものと見なし、それゆえにこの世界がすなわちわれわれの世界たり得るという結論に持って行くより、いまの私にはよりよい考えが浮かばぬのである。(P.64-65)
○ 本能などということをやたらに振りまわすのは、つまり生物を生物として解釈できないという窮状の曝露であり、それならば生物を自動機械と見なすこととそう大した相違はないのである。(P.68)
○ 環境を生物の延長とみることはすなわち環境の生命化であり精神化でなければならぬ。それにもかかわらずいままで生物と環境というような問題を取扱う場合には、研究者はいつも生物の立場をとらないで環境の立場をとり、環境の物質的性質を介して生物なるものを解釈しようという態度をとる場合が多かったのである。……いわば環境によって翻訳され、環境によって定義された生物が、はたして具体的な生物のそのままな姿を現わしているといえるだろうか。……生物の立場にたっていえば、絶えず環境に働きかけ、環境をみずからの支配下におこうとして努力しているものが生物なのである。環境のままにおし流されて行くものなら、われわれは何もそこに自律性や主体性を認める必要はないのである。それならば単なる機械にすぎない。(P.74-75)
○ 細胞が先にあるのでも個体が先にあるのでもないといえるように、われわれはまた種族が先にあるのでも個体が先にあるのでもないといえる。(P.86)
○ いろいろな生物が同一地域内に共存しているのが認められるといっても、それがそれぞれにその生活形の異なった、生活内容の異なった、しかしてその生活の場の異なったもの同士であるならば、共存といっても実はその生活空間が異なるのであり、もっとわかりやすい言葉を用うるとすれば、要するに同一地域内といっても、その地域を棲み分けることによって、いわばお互いの間の縄張り協定がすでにでき上っているものというようにも考えられる。(P.102)
○ 元来は相容れるもの同士が場という関係を通じて相容れなくなっているだけであるから、お互いは種として対立し合っているといっても、その対立は場を通じての平衡に他ならない。しかるに棲み分けの隣り同士が、系統の異なった別の生物ということになると、その関係はもはや平衡ではなくなってきて、その結果はあらゆる意味においての摩擦と紛擾(ふんじょう)とを残すのみとなる。こういうように考えてくると同位社会というのは生物の個々の社会の寄り集まりからなる一つの構造であり、一つの共同社会である。それを構成するおのおのの社会はお互いに相対立し相容れないものではあるが、しかしお互いは他の存在を持ち、他をみずからの外郭とすることによってはじめてお互いの平衡を保ち、それによってそれみずからの社会としての機構を完うしているという意味において、それらは互いに相補的であるとさえいい得るであろう。(P.104)
○ そこ(地球)に一種類の生物が存在し、一定の繁殖率をもって繁殖しはじめた、その結果として遅かれ早かれ地球上はその生物で一杯になる。この飽和状態に達した時にその生物の繁殖率が減退して、以後はこの飽和状態を持続し得る程度の繁殖率に変化してしまうのであったならば、それでもよろしいが、それではあまりにも生物らしからぬ消極策のような気もする。だからといってもとのままの繁殖率をつづける場合には、この世がいわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも無益な抗争を好まぬ生物にとってはふさわしからぬことであろう。だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が食うものと食われるものとの分業に発展することによって、繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続することにあるだろうと思う。そしていわばこの量から質への変化を通して、実際は地球上の生物の絶対量も、増加したのである。一つの社会が二つの社会になることによって、一種類の生物が二種類の生物になったのである。(P.118)
○ そもそも生物の個体というものは一つの複雑な有機的統合体である。全体は部分なくしては成立せず、部分はまた全体なくしては成立しないような全体と部分との関係を持しつつ生成発展していくところに、生きた生物があり、生物の生長が認められる。このような全体と部分との、いわば自己同一的な構造を持つものであるゆえに、生物個体の全体性はつねにその主体性となって表現せられるのである。……全体的なるものはすなわち主体的なるものであり、主体的なるものというのは何らかの意味においてみずからをつくって行くものである。(P.128-129)
○ 魚類や昆虫類もやはり哺乳類の時代を通じてほとんど進化らしい進化はしていないのである。だから彼らは爬虫類・哺乳類の両時代を通じてほとんど進化しなかった。彼らはいずれも被支配階級に属した。彼らはいわば庶民階級であった。支配者が爬虫類であろうと哺乳類であろうと大して問題ではなかった。(P.140)
○ 生物というものは、その身体を唯一の道具とし、また手段として行きて行かねばならないということである。しかもその身体というものは親譲りの身体であり、その身体のうちに、彼の祖先たちが経験してきた歴史のすべてが象徴されているともいえよう。過去はどうすることもできないという意味において、この身体はどうすることもできないものである。(P.143)
○ 私は彼らが世襲された職能を持ち、その職場を守って次第に彼らの天賦の職能に専門化していったということは、りっぱな創造性の現われであったと考える。ただ六本の脚をうけついだものはその六本の脚をできるだけ活用するより他なかった。その結果として、今日の昆虫はかつての昆虫よりも確かに身体は小さくなったであろうが、小さいなりにもキリリと身が締っていて、化石に出てくるような、図体ばかりが大きくてどことなくブヨブヨとした間の抜けた感じを与えるようなものが減ってきていることも事実である。(P.144)
○ けれどもすでに彼らが世襲の職能をもったところに、彼らの社会が身分社会とならざるを得ない根拠があったのである。彼らがその職場をその職能をすてて、明日からでも支配階級に立ち得るといった自由を持ち合わさなかったのは、生活の唯一のもとでたるべき身体をすっかり環境に投資してしまったものがもつ無限の悲哀でなければならぬ。それならなぜそこまで行きつく前に方向変換をはからなかったのだ。それぐらいのことは充分できるだけの創造性を彼らは持ち合わせていたと私は信ずる。ただ彼らはその根底において現状維持を欲する保守主義者であり、無益な抗争を好まぬ平和主義者であった。(P.144-145)
○ バクテリアや昆虫の子孫が人間のような支配階級になるということは、ちょうど人間の子孫がバクテリアや昆虫のようなものになると考えるのと同じ程度にあり得べからざることであらねばならぬ。(P.146)
○ ひとはよく自然は単なる繰り返しだるに過ぎないなどというが、それは抽象された法則的自然のことであるだろう。われわれとともにある具体的自然というものは法則的自然ではない。(P.147)
○ 自然淘汰説というものは生物の環境に対する働きかけというものを全然認めないで、環境の生物に対する働きかけだけを取り上げているのでなかろうか。(P.150)
○ 結局環境に淘汰されていわゆる優勝劣敗の優者しか残り得ないものとするならば、生物のやっていることは創造ではなくて投機である。……生物がこの世に現われて以来実に何億年何憶万年を閲したことか。その間に生活した生物はすべて環境に対して働きかけ、また環境によって働きかけられることによって生きてきた。ひとり生物の異変に関する限り、生物はその生活の指導原理から遊離し、環境から超然として偶然のなり行きのままに拱手傍観してこの長い歳月を送ってきたということがあり得るだろうか。(P.152)
○ 私はかならずしも生物の生活にわれわれのような目的を考えようとはしない。しかし生物とは生きるか死ぬかにおいて生きる方を選ぶものであるということだけで、生物の生活はすでに方向づけられている。生活の指導原理は確立していると考える者である。しからば主体の環境化が環境の主体化であるという生物の生活において、生物はどうしてその身体の創造を投機に換えることができるであろう。変異ということそれ自身もまた主体の環境化であり、環境の主体化でなければならぬ。生きるということの一表現でなければならぬ。否よりよく生きるということの表現でなければならぬ。(P.153)
○ 私はもちろん生物が美の何たるかをわれわれ同様に解しているとは考えない。しかし生物もしくは生物の生活というものの中には、ただ単に生きんがためということをもってしてはどうしても解釈できない一面があるということを、ここで率直に認めておきたいと思う。その一面とは生物が意図するとしないとを別として生物が次第に美しくなって行った、よく引き合いに出される例でいえば、中生代の海にすんだアンモン貝の貝殻に刻まれた彫刻が、時代を経て種が生長するに従い次第に緻密に繊細になって行ったというが、そこにいわば生物の世界における芸術といったようなものが考えられはしないであろうか。もちろんわれわれ人間の場合と同じではないが、そこにいわば生物の世界における文化といったものがあるのではなかろうか。(P.162-163)
○ もと一つのものから生成発展したこの世界という体系、それを生物の世界という立場から見たところで、生物の世界はけっしてでたらめなものではなかった。体系に秩序があるように、その発展にも秩序があった。偶然の蓄積が発展になったのではなくて、はじめから発展へと方向づけられていたもののように見える。(P.170)
*1:そして思うに、生命なきインフラ、精神なき規則というものを生み出す最悪の仕組みが、民主主義の多数決ではないだろうか……。