The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

『1978年、冬。』(中国映画、李継賢監督)


 これはなかなか素晴らしい作品だった。そんなに観てる人もいないと思うので、歴史に残るようなものではあり得ないけど、とても感じのいい映画だった。
 http://www.1978-winter.com/


 1978年――「文化大革命」から「改革開放路線」への折り返し点にあたる時代に、中国北部の田舎で暮らす兄弟の物語である。いや、「物語」といってもそれは鮮明な軌道に沿って展開するものではないし、際立った事件が引き起こされるわけでもない。観た後で知ったのだが、これは李継賢監督自身の少年時代の記憶を下敷きにし、十数年をかけて完成させた、半ば自叙伝のような作品らしい。だから、そこにあるのは「暮らし」そのものであって、大げさな「物語」ではないのだ。


 街には廃屋(失敗した計画経済の残滓なのだろうか)が散在し、空は灰色の大気に覆われている。この無機質で寒々とした街の景色のなかで、兄弟とその両親のひっそりとした暮らしも、静かな不安と寂しさに包まれていた。
 18歳の兄は工場労働をサボって廃屋にこもり、ラジオを組み立てて海外放送を聴きふけっている。11歳の弟(≒監督)は同級生にいじめられながら、そして父親に反対されながら、毎日ひとりで絵を描き続けている。ある日、北京から一人の少女が引っ越してきた。村の演芸会で彼女が披露した踊りに、兄は夢中になる。兄が試みたアプローチはいずれもストーカーめいていてことごとく失敗するが、ある事件をきっかけに二人の心は通い合うようになった。
 しかし兄と少女の仲が村人たちに知れると、弟もろとも「不良」呼ばわりされる。そして仕事をサボりつづけた兄は解雇され、軍に入隊して一人汽車で旅立ってゆく……。


 以下、何点かにわたって具体的な感想を。


 「自然主義文学」は知っていても「自然主義映画」という言葉は聞いたことがない。が、この映画はひと言で表現すれば「自然主義映画の傑作」だと思う。言い換えれば「ありのまま主義」だ。
 大して詳しくもないのだが、私の印象では現代の芸術(とくに映画と文学)は、「おもしろ主義」的なエンタテインメント作品か、そうでなければ、自意識の内側へとひたすら退行していくような「心理主義」的な作品ばかりである。この『1978年、冬。』には、そういうくだらない現代性が微塵も感じられない。そこで表現として追求されているのは、あくまで人びとの暮らしのリアリティ――現実の外面の単なる模写ではなく、種々の情感が織り込まれたものとしての――である。
 たとえば親子や恋人同士の愛情を描くにあたって、別れや死の哀しみを、あるいは時代や地域の憂鬱さを、モチーフとして際立たせてエンタテイニングに仕上げることはいくらでも出来ただろう。しかし、恐らく寂しいほどにひそやかなものだったのであろう監督の少年時代の暮らしの想い出を、「想い出」らしく表現しようとすれば、それは特定のモチーフが騒がしく注意を惹くようなものではあり得ない。


 少なくとも私にとってこの映画は、上映中に眼にした映像と物語よりも、上映後に思い出される情感のほうが何倍も美しい。これは、良作中の良作であることの証であると個人的には思っている。少し大げさにいうと、作中の人びとの「暮らし」のあまりにもリアルな存在感が、私の潜在意識にまで深々と、静かに根を下ろしているということだ。ここで説明し切るのは難しいから結論だけになってしまうが、真に美しいものというのは、我々の五感との接触点にではなく、我々の「記憶」「憧れ」「想像力」の中にこそ結晶するのである。


(※ そういえば昨夜、ある映画評論家を囲んだ酒席で、「映画ごときに深遠な芸術性などを見出だすべきではない。作品の置かれた社会的・政治的文脈を解釈することにこそ意味がある」というような話題で盛り上がったばかりだった。それは全くそのとおりだが、同時に私は、政治性や社会性との応答のなかでかもし出される「リアリティ」や「存在感」こそ、芸術的な美しさの主要な構成要素であるとも言えると思う。)


 ところでこの作品を観て思い知ったのは、中国人芸術家の感性に、日本人である私が妙な懐かしさを覚えてしまうこともるということである。例えば「もののあはれ」と言われるような情緒を捉える感性の繊細さや豊かさを、「日本人特有」のものだと言う人もいる。しかしその種の感性は、ある程度まで(もしかしたら西洋にまで)普遍的に共有されているものなのかも知れない。少なくとも、中国人との間にはある根本感情が共有されているとしか思えない。これは昔、『山の郵便配達』(雲建起監督、1999年)という作品を観たときにも感じたことである。


 話が飛ぶようだが、中国は我々にとって、まず何よりも巨大な政治的存在感を持った国である。まさに私がこの映画を観た日にも、劇場を出て渋谷駅へ向かうと、中国政府の「チベット弾圧」を非難する演説が、傘を鳴らす雨音の間から耳に届いて来た。しかしそれと同時に中国は、我々の想像力がその作品を住み処とするに値するような、心底から理解可能な映画を作り上げる国なのだということも確認しておかねばなるまい。


 リー・チーシアン監督のインタビュー
 http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2008/06/4124/

 「1978年という年は中国にとって非常に意義深い年です。文化大革命が終わって、いまに至る開放政策が始まった年と言えると思います。非常に閉鎖的だった時代が開放的な時代へと向かっていく。」

 「撮影監督のワン・ユーと相談して、客観的に風景を見て、人物を捉えるには、ロングショットが良いだろうという話になったんです。だから美しいシーンを撮ろうと思って撮ったわけではなく、客観的に冷静に物事を見て、情景を見るという意図がありました。」