The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

中東と中国

以下は自分の備忘のためのメモで、読める文章にはなっていないし背景知識の説明を飛ばしてる所も多いのであしからず。


「中東ではなぜ紛争がずっと続いているのか」という疑問に対して、よく「元をたどればバルフォア宣言、サイクス・ピコ協定、フサイン・マクマホン協定というイギリスの三枚舌外交が~」などと説明される。中東戦争は主にイスラエルとアラブの戦いだから、それが重要であることは間違いない。
しかし同時に、より一般論的というかマクロな理解として、そもそも大帝国が滅びたあとに中・小規模な勢力同士の戦いがしばらく続くのは自然な話ではあるよな、とも思う。4次に渡る中東戦争はイスラエル対アラブの戦いだったし今もパレスチナ問題は解決していないが、例えば今起きているシリア内戦は、(クルド問題も含まれるものの)アラブ人同士の戦いなので、イスラエル問題だけ考えていても理解できない。


それで、650年続いたオスマン帝国崩壊後の歴史と、我々に身近なところで300年続いた清朝の崩壊後の歴史を見比べるという視点を持っておくと、中東情勢を理解しやすくなるのではないかと最近思い始めている。中国はやはり日本人にとっては身近な存在で、「大帝国が滅びた後に秩序を取り戻すのって大変だよなあ」ってのがよく理解できるからだ。
単純化すると世界史に詳しい人から怒られるのだが、理解のたたき台としてメモしておこうと思う。


清朝末期からの流れを大まかに振り返ると……

  • 19世紀に義和団事件や太平天国の乱、アヘン戦争や日清戦争などが続いて、清は本格的に弱体化していき、欧米列強&ロシア&日本に国土を半ば簒奪されたような状態になる。
  • 1912年に、ついに皇帝が退位して中華民国が成立する(辛亥革命)。
  • ところがまず孫文と袁世凱の仲が悪く、袁世凱に対して孫文や蒋介石がさらなる反乱を試みて失敗し、日本に亡命。
  • そうこうしているうちに第一次大戦が始まるわけだが、袁世凱が死ぬと北京の中華民国政府に力はなくなって、軍閥が割拠する内戦状態(南北に分かれてはいるものの、それぞれの内部対立も激しかった)に陥る。
  • 孫文・蒋介石の革命軍が実権を握るものの、安定政権を樹立するには至らない。毛沢東の共産党も着実に台頭してくるし、混乱に乗じて日本は軍を進駐させてくるし、欧米諸国も租借地・租界という形で盛んに入り込み、軍港を持ったり中国市場向けビジネスで儲けたりしている。
  • そのうち日中戦争も始まり、その前後で国共合作(抗日で一致。国民党は欧米から、共産党はソ連から支援うける)と離反が繰り返される。
  • 第二次大戦に敗けた日本が出ていくと、蒋介石と毛沢東が雌雄を決する国共内戦にもつれ込み、ついに1949年に毛沢東が勝利して蒋介石は台湾に逃げる。
  • その後、大躍進政策の失敗や文化大革命のような粛清など、共産国家らしい混乱を伴いながらも半世紀かけて大国としての地位を回復した。


軍閥が乱立する無秩序状態を経験したことや、列強が土地や市場をぶん取りにきていて、国内諸勢力のどれかを支援するという形で介入し続けてきたことなど、清朝末期から現代にかけての中国の歴史は、オスマン帝国末期からの中東情勢にけっこう似てる面があるように見える。ここ数年のシリアやイラクで起きている争乱はまさにそんな感じだ。
そういう理解をベースに、中国と中東で何が違うかという観点を付け加えていけば良いのではないか。


まず、もちろん、

  • 中東では石油が出て巨大な経済利権が生まれてしまい、大国が自らの利害に合う地域内勢力を盛大に支援する動機を持ってしまった。(中国にそこまでの利権はない。)
  • 中東にはユダヤ人国家のイスラエルが建国されたことで、宗教・民族の違いを根に持つ激しい対立が生まれてしまった。
  • 清では満州族(女真族)が漢民族を支配していたわけだが、結局中国では大多数が漢民族なので、中東ほど民族間の勢力争いが激しくない(少数民族問題はあるが)


という3つが大きいのは間違いない。しかし、その他にもいろいろ違いはあるように思える。
たとえば、元々中国はヨーロッパから遠かったからか、軍港をちょろっと作った以外は市場から富を搾取するのがメインという感じで、欧米列強は「統治」というほどの本格的介入をしたわけではないのに対し、中東の場合はイギリスやフランスが領土を分割して直接統治に近い支配を行っていた。
その分割の仕方が恣意的で民族構成と合ってないという問題があり、現状で言えばペルシア人はイラン、トルコ人はトルコにだいたい収まっているとしても、アラブ人とクルド人についてはメチャクチャな分かれ方をしていて、しかもそのど真ん中にユダヤ人国家が存在するというややこしい状態になっている。


また中東には、民族の違い以外にも、

  • 独裁・強権政治 vs 民主化要求
  • 近代主義(政教分離) vs イスラム主義(政教一致)
  • 親米・親イスラエル vs 反米・反イスラエル


という複数の対立軸が存在し、これらが重なり合うこともあって地域内での対立が激しくなりがちである。これに対して中国の場合、単に政治力と軍事力の差で国共内戦に決着がついてしまった感じがする。
なお2つ目の、「近代主義 vs イスラム主義」という対立軸については、イスラム教ってのはもともとキリスト教や仏教に比べて宗教的信仰と政治や生活の距離が近く、政教一致性の高い文化システムであるということを押さえておく必要がある。シャリーアと呼ばれる慣習法の蓄積があって、宗教の内部に、社会統治のための具体的ルールが豊富に埋め込まれているわけである。
また3つ目の対立軸については、アラブとイスラエルの対立とは別に、アラブ内部にも対米・対イスラエル妥協派と強硬派がいて激しく対立してきたという意味である。


例えば、いわゆる「イスラム原理主義」ってのは、エジプトで反米的なナセル大統領が死んだあとに、サダト~ムバラク大統領時代の「独裁&近代化&親米」路線に不満を持った人たちが、「民主&イスラム文化の復興&反米」を掲げて闘争を始めたもので、上記3つの対立軸が重なりあっていると理解できる。イスラム主義勢力ってのは、単なる「宗教にのめり込んだ頭がおかしいテロリスト」ばかりなのではなくて、ムスリム同胞団みたいな穏健な政治勢力もいるし、そもそもサイード・クトゥブ、イブン・タイミーヤといった思想家・理論家が源流なっているのであって、「文明 vs テロ」みたいな単純な捉え方をすることはできない。


これらとべつに、スンニ派とシーア派などの宗派対立もある。
イラン・イラク戦争では、イランでシーア派のイスラム革命が起きたのに対して、石油利権の重要性から親米路線を取っていたイラクのフセインが危機感を覚えたというのが大きかったわけだが、フセインからしてみれば、「親欧米&世俗主義」を取る自分に対して隣国で「反米&イスラム主義」が台頭したという流れが、自分はスンニ派だがイラク国内の多数派はシーア派であるということと相まって恐怖を与えたのだと思う。
70~80年代のレバノンの内戦などは、レバノンがもともとキリスト教国だったこともあり、宗派対立という動因は大きかったはずだ。


ところで中東問題を考えるとき、「国名」をあまり考えないほうがいいような気もしてくる。アラブ人、ペルシア人、トルコ人、クルド人、ユダヤ人の勢力配置を大まかに捉えて、

  • パレスチナではアラブ人とユダヤ人が戦っている
  • イラン・イラク戦争は、民族対立の結果ではないと思うが、外形的にはアラブ人対ペルシア人になっている
  • トルコでは、トルコ人から迫害されてきたクルド人が、クルディスタン労働者党(PKK)を組織してテロを含めた反政府活動を行っている
  • シリアでも、アラブ人とクルド人の争いが歴史的にある
  • シリアはそもそも、北西のトルコ(トルコ人)、南西のイスラエル(ユダヤ人)、南東のイラク(アラブ人)と接していて、北東地域はクルディスタン(クルド人)であるから、民族の結節点として非常にややこしい地域である(ただし、ここ数年のシリア内線についてはそれが原因というよりは、アラブの春の民主化運動をアメリカが中途半端に支援しようとして上手くいかず、方針転換を繰り返して混乱を作り出したのが最大の問題だと思うが)。


みたいな理解をベースで持っておくことが必要なんじゃないか。
上記は暫定的なメモであって、学生時代に読んだ本の薄い記憶で書いてる部分もあり、もっと頭の整理が必要だと思う。