The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

機能的財政と完全雇用——ラーナーの今日的教訓(M. Forstater, 1999)

 昨日読んだ、「機能的財政論」「消費増税は日本の未来に役立つのか」といったコラムに機能的財政論という言葉が出てきていて、以前中野さんの本の中で読んだことはあったけどよく知らないのでググってみたら、M. Forstater(1999). Functional Finance and Full Employment: Lessons from Lerner for Today?というワーキングペーパーがあったので、見出しだけ訳しておいた。ちなみに見出し以外はほとんど読んでないし適当に訳してるので正確かどうかは知りませんw
※のところは私のメモです。

教訓1:完全雇用、物価の安定、そしてそこそこの生活水準を全ての国民に提供すること。それがマクロ経済の根本的な目標であり、国家にはそれの達成に向けて努力する責任がある。


教訓2:政策は、それがそのためにデザインされているところの目標を達成する能力によって評価されるべきであって、それが健全であるかどうかや、あるいは伝統的な経済学のドグマに合致しているかどうかといった観念によって評価されるべきではない。


教訓3:貨幣は、国家による創造物(a creature of the state)である。
※思い通りになるというような意味が込められているのかな。


教訓4:課税とは、「資金調達行為」ではない。
※何かに対する支払いの必要から税金を集めるのではなく、あくまで完全雇用や価格の安定などのマクロ経済的な目的のための調整手段であるというような意味。ここが一番、ふつうの直感に反する議論であり、また機能的財政論というやつの特徴なんだろうと思う。


教訓5:政府の借金も、「資金調達行為」ではない。


教訓6:課税の第一の目的は、国民の行動に影響を与える(変容させる)ことである。


教訓7:国債発行の第一の目的は、短期金利(翌日物金利)を規制(制御)することである。


教訓8:国債発行は、論理的には、政府支出に先立つものというよりはむしろその帰結である。


教訓9:貨幣を刷ることそれ自体は、経済に対して何のインパクトも持たない。


教訓10:完全雇用政策がなければ、社会は、労働を節約する技術的進歩から利益を得ることはできない。つまり、効率性が非効率性になるのだ。完全雇用政策があれば、そういう技術的進歩は、社会にとって真に有益なものとなる。


教訓11:完全雇用政策がなければ、国は、貿易収支の問題に苦労するだろう。完全雇用政策があれば、輸入超過を心配する必要はない。


教訓12:赤字や負債について、「見栄えほど大変な額ではない」とか、「指標を変えれば、あるいはバランスシート全体でみれば大した問題ではない」とかいう議論を試みるのは、反生産的だ。
※そんな言い訳をしなければならないと思うこと自体が間違っているということかな。


教訓13:失業がある状態というのは、資源や材が希少なのではなく、仕事と貨幣が希少なのである。


教訓14:機能的財政は「政策」ではない。それは、あらゆる政策がその中で実施される「フレームワーク」なのだ。


教訓15:完全雇用を実現するためには、財政支出は、雇用の直接的な創出を含まなければならないだろう。


結論:ラーナーの機能的財政や完全雇用に関する研究は、50年前に始めて提唱されたときと同じように、現代においても重要な意味がある。オーソドックスな理論や政策が、危機の原因の説明にも効果的な政策的対処としても役に立っていない時は、こうした考え方や、あるいはその他の過去の偉大な思想家たちの考え方を見直してみるといいだろう。彼らの研究からは懐古趣味以上のものが得られるし、現在の状況分析やマクロ経済政策の策定にも有益な教訓を含んでいるものである。


 まぁ要するに、財政というのは、家計のサイフみたいに「◯◯に●●円ぐらいかかるから、貯金しとかないと」みたいなものとは全然違って、経済活動を方向付けたり調節したりするための触媒みたいなもんでしょみたいな話だろう。