The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

就活と当事者意識

 1月ごろのエントリーでも少し触れたけど、「『日本の就活』批判」というのはもはや一つのパターンになっている。企業の面接官が学生に「日本の就活についてどう思う?」と質問したりするぐらいだし、酒場談義でも「自己分析とかくだらねー」「大学3年の秋から就活なんてひどーい」「新卒偏重ってぜってーおかしい」とかいうのが決まり文句になっていて、まぁ、言いたいことはよくわかる。しかし現実問題として、圧倒的多数の学生にとっては、「日本の就活」に順応したほうがお得であるのも確かだ。(「お得な道を進むべき」と言いたいのではなく、事実としてお得であるということ。)

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100125/1264407374
もしあなたが、「就活って気持ち悪い」と思っているとしたら、その感覚は正しい。それに勝ち抜くスキルは、日本でしか通用しないガラパゴスな能力で、グローバル化した国際社会で意味がない。そんなことを真面目にやってるヒマがあったら、英語・コンピュータ・会計・マーケティング・法律・各種技術、等々、ビジネスに直結するスキルを磨いたほうがきっと役に立つはずだよ。


 上記のような指摘はすごく正しいしカッコいい。しかし、べつに全ての若者が「グローバル化した国際社会」とやらに出ていかないと生きていけないわけではないし、出ていきたいわけでもないので、大半の学生にとってはあまり意味のないアドバイスだ。大層な野心や目標などはべつになく、並程度に食っていければ良いというのが学生の大多数なのだ。
 学生1人1人と接してよく話をしてみると、就活事情や就活にかける思いというものがきわめて多様であることがわかる。どんな能力を持って、どんな希望を抱いて、家族からどんな期待をかけられて、大学の先生からどんなアドバイスをもらって、会社にどんなことを求めて、世の中にある会社のどんな所が気に入って志望しているかは、本当にバラバラだ。そして、ほとんどの学生は職業に対する「思い」なんてそもそも持ってないから、聞いても曖昧で、本人もよく分かっていない。自分も学生の頃はそうだった。
 それに、企業の採用方針だって多様で、同じ企業内であっても、採用に関わる1人1人によって好みや判断基準なんてバラバラなのが普通である。だから、「こういうスキルを身につけろ」とかいうのはあまり一般化できる話ではない。


 ところで、最近読んだ就活系記事では、↓のものがおもしろかった。

 毛の生えたようなもの
 http://d.hatena.ne.jp/gomi-box/20100412


 大学教員の方から見たら、就職活動は、きっと時間の拘束の多い邪魔者以外には見えないんだろうとは思います。
 でも、私は就職活動をしながら結構研究の面でプラスになることがあったので邪魔だとは思いません。


 プレゼン能力がつく:自分の研究要点を、的確に相手に伝えるとはどういうことか、ということを自覚できる。すなわち、自分の研究は本質的にどういうものであるのかを、すごく真剣に考えるきっかけとなる。そして、自分の研究の立ち位置がはっきりする。論文が明瞭になる。
 研究サーベイができる:R&Dの見学などで、最新技術が見れて楽しい。サーベイしている気分になる。
 次はやる技術がわかる:面接中に雑談になると、次来る技術とか、ホットなビジネスの話題になる。これが結構面白い。
 これらのことは、自分の研究の道筋がある程度立っている状態だと、身近に思えて楽しい、と思います。


 なるほどそういう人もいるんですね。
 (後日追記:奇遇なことに、上のブログを書いた人はじつはうちの会社に入ってて、つまり後輩になっていたw)


 ところで最近、就活をめぐって痛感するのは、「当事者意識」というものを持てるかどうかの大切さだ。これは、組織や人材を語る上で、きわめて重要なキーワードである。就活中の学生について言うと、要するに自分が受けようとしている会社の事業――個々の仕事・業務ではなく、事業そのもの――を、本当に「自分のもの」としてイメージ、想像できているかどうかが、とても大事だということだ。もちろんそれはなかなか難しいことなのだが、満足して就活を終える人というのは、多かれ少なかれ自分が「当事者意識」を持つことに成功した会社に就職していると、私には思える。
 すでに入社している社員や役員の中にも、この「当事者意識」についてはばらつきが大きく、たとえば自分の担当するセクション以外で大失敗が起こっていても何ら痛みを感じず、「誰々の責任だ」と非難するだけで平気な人もいる。要するに「事業」そのものを我が物として引き受ける「当事者意識」がないわけだ。
 これは「帰属意識」というのとはちょっと違う。「当事者意識」は、もっと積極的なものだ。「愛社精神」とも違う。べつに愛することが必要なのではない。ちょっと大げさに言うと、本心では“愛憎相半ば”しながらも、とにかく「一度関わることに決めた以上は、自分のものとして引き受けてみせるぜ」という、運命論者のような態度が当事者意識である。言い換えると、この事業は自分の「天職」だということに、無理やり決めつけてしまうような一種の決意である。


 強い当事者意識を育むには、自分が属している組織や自分が携わっている事業の「全体像」を知ることが非常に大事だし、逆に、当事者意識が非常に強い人でないと、事業の全体像をわざわざ理解しようと努力したりもしない。
 就活の学生にそこまで望むべきかどうかは微妙というか、たぶん無理なんだけど、それでも

  • 当事者意識の強い学生こそが採用されやすい
  • 当事者意識というのは、その会社の事業の全体像を知ろうとする努力と表裏一体である
  • どうしてもその事業の全体像に関心が持てないなら、その会社には向いていないかも知れない

 ということは意識しておいて損はないのでは。
 なお、技術職・研究職・専門職の場合なら、会社の事業の全体像というよりは恐らく「その専門職分野の全体像」に対するコミットメントが「当事者意識」につながっていると思う。