
グズな大脳思考デキる内臓思考―「アタマのいい人」の考え方はどうなっているの?ハラを鍛えて、やさしくカシコイ人に
- 作者: 崎谷博征
- 出版社/メーカー: アスカエフプロダクツ
- 発売日: 2006/10
- メディア: 単行本
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著者の崎谷氏は脳神経外科医で、一言で趣旨を要約すれば「頭で考えると何も上手くいかない。内蔵で考え、己の内臓の声を聴け!」ですww
一つ下のエントリーの、斎藤孝『身体感覚を取り戻す』と関連する内容です。
一応これはお医者さんが書いている本で、本文中でも系統発生学・形態学がどうのこうのと科学っぽいことが書いてあるのですが、読んだ印象は科学的というよりも神秘的です。読者によっては「トンデモ本」に思えてしまうかもしれません。というかそもそも私がこの本を知ったのも、たしか副島隆彦のホームページだったと思うので、その時点ですでに怪しいw
しかし、『内蔵思考』が科学的にトンデモなのかどうなのかは措いておくとして、そこで語られている実践的なメッセージは非常に示唆に富むもので、実際に役に立つのです。
人間が深くものを考えるときには、意識の中心を頭に置いていてはいけない。むしろ「腹」や「腰」が人間の身体の中心であり、精神の中心でもあるということを念頭に置いて、自分自身の腹の中を探るように考えると、非常にリラックスしたまま集中することができ、感覚も鋭敏になってくる。とくにその場合重要なのが呼吸法で、「丹田」(ヘソの下)を意識しながら「腹式呼吸」で深くゆっくりと息を吐くわけです。
崎谷は、脳の大脳新皮質が行う論理的思考では、重要なことは考えられないと言います。むしろ人間が生きていく上で本当に大事なことは「腹」で考え、「内臓」の声聴いてみるのが一番なのであり、偉大な人物は皆そうしていると。
怪しいでしょうか?
たぶん、とても怪しい話に聞こえる人もいるだろうと思います。頭で考えるな?腹で考えろ?内臓の声を聴け?そんなバカな、と。しかし、これはサラリーマンの事務仕事にすら言えることですが、「頭」を中心にして考えてばかりいると、せせこましい「論理」の虜になってしまったり、視野が狭くなってしまったりすることが往々にしてあります。
大まかに言えば、論理的に考えるときは「頭」(大脳)で考え、直観が求められるときには「腹」(内臓)で考えるのが適していると言えるんでしょう。まぁ本当に内臓が考えているというよりも、自分の意識の中心を腹に置くという感じですが。論理的に細かいことを考えるときは、意識の中心は頭、具体的には耳の奥に置かれていると思いますが、アイディアを出すとき、柔軟に視点を変えてみるとき、物事の全体像を俯瞰するときなどは、ヘソの下に意識の中心を置いて直観の力を引き出すとうまくいきます。
私はべつに「デキる」というほどの人間ではないので偉そうに成功談を語ったりはできませんが、べつに常人レベルでもこれは重要な知恵だと思いますね。
内臓思考に関する崎谷氏の「科学的」な解説は、次のようなものです。
我々の遠い祖先である原始生命体は、もともと手や脚や目や耳の機能を持っていたのではなく、最初は生命活動に必要な栄養分を体内に取り入れるための「消化器官」が身体のほぼ全てであった。その後、さらなる繁栄を求めて、動物は脳や神経や手足など様々な機能を手にしてきたわけですが、すべての始まりは大腸をはじめとする消化器官なのであり、その他の部位は消化器官を守り、助け、より多くの栄養素を獲得するために存在しているに過ぎない。実際、微生物(なんか有名なやつだけど忘れた)の中には、誕生してすぐの時には脳や神経が備わっていて、エサが取りやすいところまで泳いでいき、定住場所を決めたら脳を自分で食べてしまうやつがいるらしい。移動する必要がないから、脳もいらないという理屈らしいが…。
まあとにかくそんなわけで、我々の最も重要な感性や知性は消化器官、つまり内臓に秘められている。それが崎谷氏の支持する学説です。
私は生物学や医学をほとんど知らないので、これが正しいのかどうかは分かりません。始めに言ったように「トンデモ」学説の一種なのかもしれない。しかしそんな説明の怪しさを超えて、「腹で考えろ」「内臓の声を聴け」というメッセージには実践的な説得力があるのです。
一度感覚がつかめてしまうと、そうした表現がなるほど的を射た表現であるように思えるものです。神秘的だと怪しまずに、ひとまず騙されたと思って「内臓で考える」を試してみることが大事なんじゃないかなと思いますね。