憲法学者の見解
通勤時間にいろいろ動画の番組を見てるんですが、今さら感がかなりありますけど、集団的自衛権の行使容認とやらについて、憲法学者の木村草太氏がインタビューに出ていたのを見ました。
木村草太氏:国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分 - YouTube
先日、「集団的自衛権の行使容認」問題についてのメモ - The Midnight Seminarというエントリを書きましたが、その時自分でも閣議決定の本文を読んでて、騒がれている割に「何が画期的なのか」がイマイチ分からず苦しみました。
自国の存立が脅かされる場合でなければ武力行使はできないわけなので、日本が関係ない他国の戦争に巻き込まれるという話ではないよなと(そもそも集団的自衛も自衛の一種なので、当たり前ではある)。
まぁ結局はアメリカへのゴマすりが実際の目的だと言われているので、細かいことを考えても仕方ないとしても、文言上何が読み取れるのかは気になるんですよね。
以下、メモしておきます。
国会中継の録画
民主党・岡田克也:なんとかかんとか。
岸田外務大臣:なんとかかんとか。
安部総理:なんとかかんとか。
民主党・福山哲郎:日本政府は正式に、憲法の解釈を変更したというのは、文民条項の時一回きりだということになっています。これは、今回は2回目ですか?今回の憲法解釈の変更は2回目なのかどうかをお答えください。
横畠内閣法制局長官:まぁ法令の解釈と申しますのは、いわゆる当てはめの問題でございますけれども、まぁその意味で変更があったのかということであるならば、一部変更したということでございます。
福山哲郎:一部変更ってわかりません。憲法解釈として、今回は戦後、2度目の憲法の解釈を変更したという位置づけかどうかと訊いてるんです。
横畑長官:そのような位置づけであることは否定いたしません。
(中略)
福山哲郎:結果として、官房から内閣法制局に具申が来たのは6月30日。閣議決定は7月の1日。つまり1日しか審査をしていない。それで、審査に対して、法制局長官さりげなく言われましたけど、どういう回答されたかもう1回お答えください。
横畑長官:えー「意見はない」旨の回答をしたところでございます。
(以下略)
コメント
木村草太:これは、横畠長官の職人技の光る答弁でした。というのはですね、今回の閣議決定は、これまでの閣議決定の内容を変更してないんですよ。じつはまったく変更していなくて、ですから、これ「当てはめの問題だ」って言ってるんですよね。解釈は変えてません。当てはめ方が変わったんです。というか、当てはめで新しい事象が返ってきたので、この場合は当てはまりますと言っただけですというふうに横畠さんはおっしゃってるわけですね。それで、なので、これまでの解釈とは変わってないので意見はないですよっていうメッセージを法律家向けに発信してるんですよ。1日で返すってことは、これまでと変わってないというふうに読みなさいというふうに、全国の法律家に向けて発信してるんですよ。
神保:暗号ですね。
木村:暗号です。
宮台:そういうことだったんですか……。当てはめの問題って意味が分からなかったんだけど。
神保:とは言えね、当てはめの問題だが、その意味で変更があったというならば一部を変更したことと言っていると。
木村:当てはめの変更は変更というのであれば、それは変更なんだよねということですね。
神保:それで福山さんが、一部変更っていうのはわけわかんないと。憲法解釈として今回は「戦後2度目の変更」の位置づけなのかと聞いたらば、そのような位置づけであることは否定しないと。これは憲法解釈変更……
木村:だから当てはめの変更だっていうふうに横畑さんがおっしゃっているので、そういうふうに変わったのかといわれる……それも含めるのであればっていう意識なんですね。
神保:当てはめの変更も憲法解釈の変更というふうに言うんであれば、と。
木村:もう、暗号なんですけどね、これ。で、だからこの閣議決定の本文の意味ってのがすごく大事で、岸田外務大臣と安部首相は、今回の閣議決定の内容を逸脱した答弁をしてると思います。
神保:その、さっきのアメリカの話っていうことですか。
木村:そう。つまり、今回の閣議決定については、閣議決定自体が憲法に反するとか、立憲主義に反するとかって批判する人がいるんですけども、私はそうではなくて、むしろ「この閣議決定を守れ、自分たちで決めたことぐらいきちんと守れ」って言っていくことがすごく大事になってくるというふうに私は見ています。
神保:つまりあてはめっていうのは、このような事例があってそれを当てはめると。それを、今の憲法解釈の範囲内だよっていうふうに当てはめるという意味での当てはめですか、この当てはめというのは。
木村:そうです。
神保:事例が当てはまるってことですね。
木村:つまり、これまでその、「我が国の存立が脅かされうんぬんが覆されるような場合については、武力行使ができる」って言ってきたんですね。じゃあそういう場合ってどういう場合ですかっていうと、我が国に対する武力攻撃が発生した場合ですっていうふうに言ってきたんですね。だから、「Aとは、武力攻撃が発生した場合です」というふうに言っていて、「じゃあ、他国に対する武力攻撃が発生することによってAが発生した場合は、どうなのか。それは当然、武力行使ができます」と答えてるわけですね。だから、この文章ってのは実はですね、要するに、我が国と他の国が同時に攻撃を受けている場合というふうにしか読めない文章になってるんですね。
神保:トートロジーですね。
木村:まさにそうなんです。
神保:要するに、集団的自衛権とは何ですか、それは個別的自衛権のことですって答えたということでしょ。
木村:個別的自衛権と集団的自衛権が重なってる部分については、それは集団的自衛権を行使してもよかろうっていうようなことを言っているふうに文章としては読めるんですよ。
神保:それは一応、じゃあ集団的自衛権の行使を容認したっていう表現自体は間違ってはないってことですね。重なってはいるんだから。
木村:ただこれまでもできなかったことかっていうと、じつは別に、これまでも、従来できたはずのことなんです。
神保:個別の範囲だからってことですね。
木村:個別の範囲だから。個別の範囲として説明できるものが……
宮台:ちょっと勇気が出てきたぞ。なるほど(笑)
神保:つまり個別的自衛権と集団的自衛権が重なる部分を一所懸命見つけたってことですね。
木村:そういうことです。
神保:一生懸命探して。
木村:それをね、ずっとやってたんですよ。6月末ぐらいから、法制局と公明党はそのラインを探してました。で、このラインを一所懸命、自民党の政治家に気付かれないように文章上作ることを腐心して、それができてるんです。
神保:でも、政治家たちは、集団的自衛権ができるようになると思っちゃった。
木村:なったと思っちゃってるんですけれども、ああいうふうに勇気のある答弁をして、それでオーストラリアとかに行って「あんたの国も守りまっせ」って言ってるんだけれども、この閣議決定の文言どおりにやると、無理なんですよ。
メモ
解釈とはなんぞやというのは難しく、「解釈は変更してないけど当てはめは変更した」ということの意味について深く考えるのはやめたほうがいいと思う。とりあえず大事なのは、木村氏の意見では、「できることは従来と変わっていない」という点だ。
しかし木村氏が言ってることは本文とちょっと違う気もする。
こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。
と書いてある。「従来の政府見解の基本的な論理」の枠内にあるので、憲法が何を目指しているかについての「解釈」は変更していないということだ。「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず……憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」というのは「当てはめ」だという話で、それはまあ良いのだが、文言上は一応、「自国が直接攻撃されていない場合」も含むんじゃないだろうか。
まぁ木村氏は本文だけでなく答弁とか事例集を踏まえて政府見解を見ているということだと思うので、そっちも参照すると実質的に政府が想定しているのは、木村氏が言っているような内容になるということなんだろうか。
いずれにしても、それが「画期的」かというと、そもそも集団的自衛権だって自衛権なのだから、自国の安全にとって明白な危険がある場合しか発動されないものであり(少なくとも、文言上は)、本質的には個別的自衛と分けることにそこまで意味はないんじゃないかと個人的には思っています。たしか国連憲章でもさり気なく併記してあるという感じでしたよね。