「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない
http://yunishio.hateblo.jp/entry/2013/02/10/205234
「汚名挽回」を間違いだと主張するひとの多くは、「汚名を挽回するということは、わざわざ汚名を被ることを求めているようだ」と口をそろえて言います。
しかし、「遅れを取りもどす」という言いまわしに「わざわざ遅れを取りにいっているのだ」だとか、「失地回復」に対して「領地を手放そうとしているのだ」などと考えるひとは、あまり多くないでしょう。とすれば、この言いまわしを間違いとする根拠は不充分であると考えます。
なぜ、「汚名挽回」のときだけ、このように疑問の声が大きくなるのか、不思議に思います。
近現代の文豪の用例からすると、さほど好ましくない表現とも言いがたいように思えます。
上記のエントリを読みました。青空文庫の中から、文豪達による「挽回」の用例を抽出するなどしていて面白かったです。
じつは10年近く前にベストセラーになった北原保雄編『問題な日本語』でも同じことが論じられていた。趣旨・結論はだいたい上記のエントリと同じで、要するに、慣用からは外れているけど論理的に間違いとはいえないというもの。
個人的な話だが、『問題な日本語』については、むかし友人と共同で出版した書籍の中で紹介したことがあって、その原稿を見返したら「汚名挽回」の件にちょうど触れていた。
失った名誉を取り戻すという意味でしばしば使われる四字熟語「汚名挽回」は、間違った日本語としてよく取り上げられるもので、「汚名返上」が正しいと主張する人が大多数です。たしかに、汚名(不名誉なこと)を挽回(取り戻す)したのでは、わざわざ悪い状態を再現するというおかしな意味になってしまいます。しかし『問題な日本語』では、「汚名挽回」も正しい日本語として認めています。「劣勢を挽回する」(劣勢な状態から巻き返す)という表現もごく普通に用いられているからで、「汚名挽回」の「挽回」も「~から巻き返す」という意味に理解すれば、ことさらに排除する必要はないという説です。この説には異論もあるとは思われますし、私も基本的に「汚名挽回」とは言いませんが、「正しい言葉遣い」の中に議論を要するものや意見の分かれるものがあるというのは面白い事実です。
↑の原稿を書くときに調べたのだが(っていうか俺自身が調べたんだったかどうかは忘れたが)、1989年7月11日の毎日新聞に掲載されている参院選関連の記事の中で、自民党政治に触れて、
経済一流、政治三流の汚名挽回のために迂遠なようで最も手っとり早い方法は、四十年に わたる自民党政治でたまりにたまったウミを摘出することだろう。
と書いている用例が見つかった。
しかし朝日・読売・日経・毎日・産経の五紙に関する限り80年代にはこの1件しかなくて、90年代には6件の用例が見つかったが全て「間違った日本語」に関する記事内での言及だった。2000年代に新聞紙上で見つかった用例も、90年代より多少増えた程度で、基本的には「間違った日本語」の例として取り上げられている。
そうした例の中には、文化庁の調査によるとすでに「汚名挽回」と覚えている人の方が多いというような指摘もあったように記憶している。
しかしいずれにしても、新聞紙上で「誤用」した例は上記の1件ぐらいしか見つからなかったわけなので、少なくとも伝統的なメディアでは「汚名挽回」は間違った日本語であるという認識がスタンダードであり続けていたし、今もたぶんそうだろう。
しかし上の『問題な日本語』でも論じられていたように、「〜から巻き返す」の意味だと解釈して論理的に問題がないのであれば、安易に「言葉の乱れ」と言って抑圧する必要もないという立場はあり得る。
ちなみに『問題な日本語』は、日本語の間違いが横行していることを嘆くという本ではなくて、「誤用と思われるものの中にも、じつはそれなりのロジックがあることが多く、『言葉の乱れ』と『正当な変化』を区別することは難しい」という立場で書かれた非常に面白い本だった。
ところで、こういう話題になると必ず、「俺はさぁ、言葉なんて変わっていくものだと思ってるんだよね〜」と言う人が現れるが、「言葉は変わっていくものだから、古い用法は捨ててしまって良い」という意味で言っているのだとすればそれは安易すぎると思われる。まぁ言わんとしていることは分かる。高校の古文でも習うように、「おかし」とか「お前」をはじめとして、昔と現在とでは使い方が異なる言葉がたくさんあるのは常識だからだ。
しかし、長い歴史の積み重ねの中で変わってきたという事例を根拠に、現在も継続している慣用を崩すことを正当化してしまうのは飛躍があると思う。「言葉遣いなんててきとうでいい」みたいな感じになってしまいかねないし。
哲学者のウィトゲンシュタインが言ったように、「言葉の意味とは、その言葉の慣用である」というのが正しいとすれば、「慣用」が崩れると、言葉による意味(情報)の伝達や蓄積に支障をきたすかも知れない*1。また、社会的に共有された言葉の慣用が不安定だと、言葉の表現力そのものも削がれてしまうのかも知れない*2。なので基本的には、「なるべく従来の慣用との整合性を重んじる」という態度でいたほうが合理的だろう。だいたい、新しい用法(たとえば「びみょー」とか)みたいなものも、もともとは正統的な用法との対比があってこそ面白みが生まれるという面もあったはずだし。
だから、最近の若者言葉的なものに対して「それって間違いだよ〜ん」という突っ込みを入れていく保守的な態度にも、それなりの意味はあると思っている。まぁ、頭の硬いつまらん人が多かったとしても。
もちろん、現代人の言葉遣いがほぼ完全に「新しい用法」に変わってしまった段階でそれに抵抗するのは、それはそれで意味の伝達に支障が生まれることにもなるわけだから、古い用法と新しい用法のどちらに合わせるべきかという線引きは難しい。けっきょく自分としては、「なるべく古い用法と新しい用法を両方とも理解しておくよう努力する」ぐらいがせいぜいだ。タテ(歴史)とヨコ(世の中)の整合性を両方とも意識して、場面によって使い分けると言うこと。それすらも難しいというかかなり面倒くさいわけだが、古い用法にひたすら固執するとか、そもそも新しい用法しか知らないとかよりは、豊かな国語表現を身につけられるような気がする。
《追記》
話が逸れたが、私自身は、↑で引用した箇所にも書いているように、「汚名挽回」という言葉は使いません。「汚名返上」という四字熟語がもともとあって、それを使って何も困ることはないので。
- 作者: 北原保雄,いのうえさきこ
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2004/12/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 14人 クリック: 122回
- この商品を含むブログ (179件) を見る
- 作者: 北原保雄,いのうえさきこ
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2005/11/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 6人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (45件) を見る
- 作者: 北原保雄,いのうえさきこ
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2007/12/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (12件) を見る
- 作者: 北原保雄
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2011/12
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
*1:言葉というものは、究極的には「定義」の根拠が存在しておらず、意味のよりどころは無根拠としか言いようがないのだが、それでも何か根拠っぽいものがあるとすれば、それは「みんなが言葉をそのように使っている」という「慣用」だけであろうという話。ウィトゲンシュタインの哲学はめっさ難しいので俺の理解が間違ってるかも知れないけど、言葉の意味の根拠が究極的に「慣用」にしかないのだとすれば、慣用を軽んじることで「言葉によるコミュニケーション」の土台がすり減っていくことになるかもしれないとは言って良いと思う。
*2:言葉による表現というのは、単に「規則」に従って処理されるのでもなければ、規則に基づかない全くの「独創」というわけでもない。なんというか、「規則正しさ」と「自由さ」の緊張のなかで、豊かな表現が生まれてくるという感じだと思う。