- 作者: 吉村昭
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/08/03
- メディア: 文庫
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先月読んだ本のなかで最も衝撃的だったのはたぶんこれだろう。「なんか関東大震災ってよく知らないよなぁ」とか思って、一応読んどくか程度で手に取ったものだけど、結果的にはこれは必読度かなり高かった。
本書は菊池寛賞を受賞したノンフィクションの力作で、大変評判も良い作品ですが、ほんとに読んでおいてよかったと思います。関東大震災というと、歴史の教科書のかすかな記憶で「1923年」「死者10万人」「朝鮮人が井戸に毒を投げたというデマが飛び交った」という程度の断片的な知識があるのみでしたが、もっと知るべきことがたくさんあるということを思い知りました。
本書は当時の2人の地震学者の確執の話から始まるのですが、地震学の最高権威であった大森博士は、後輩の今村博士が「100年周期」で大地震が起きるという説を強く唱え、50年以内に大地震が来ると予測していたのを、「社会的影響力のある地震学者が、そんな予測を軽率に口にすべきではない」と考えて徹底的に叩いていたらしい。しかし結果的には今村の予想が的中し、しかも火災等により死者が10万から20万人に及ぶだろうという今村の被害予測も、不幸なことにそのまま現実のものとなってしまったわけです。
その大惨事の描写は凄惨で生々しく、読んでいて嫌になってくるほどです。建物の倒壊と圧死などももちろん悲惨だったわけですが、それ以上に東京市内だけで100箇所以上から火の手が上がって、消防の力も及ばず多数の焼死者を出してゆく様子が凄まじい。
この火災と焼死の大きな原因は、避難民が大量の家財道具を荷車や大八車に積んで移動したことにあったそうです。荷物の山に次々と引火したため、避難所や道路や橋で逃げ道が塞がれてしまい、身動きが取れなくなって多くの人が焼け死んだ。もともと江戸時代には、何度も起きた大火の教訓から、火災の際に荷物を持ち歩いた者は厳重に処分されるという御触れが出ていたほどだったそうですが、開化後の日本人はこの教訓を忘れていたらしい。
最も悲惨な被害のあったことで有名な陸軍の「被服廠跡」には2万坪の空き地があって、絶好の避難所だと考えて4万人近い市民が集っていた。ところがあっと言う間に四方から炎が押し寄せて、引火した家財道具に囲まれて身動きが取れなくなり、さらにつむじ風が巻き起こって大八車ごと空高く巻き上げられるなどして、ほとんど4万人全員があっさり焼死体の山になってしまった。
また吉原では、(遊郭の外へ逃げることを禁じられていた)娼婦たちが公園の池に集い、熱さに耐えきれず数百人がみな池に飛び込んだが、深い所へ押しやられた者は溺死し、他の者も池の水面全体が炎に覆われたためほとんど全員が死んでしまった……。
本書の後半では「朝鮮人が襲ってくる」というデマについての記録に約80ページが割かれています。「朝鮮人が井戸に毒を投げた」というデマだけがよく語り継がれていますが、「朝鮮人が放火している」「強盗している」「強姦している」「トラックに乗って襲ってくる」「社会主義者と協力して暴動を起こしている」など様々なデマが流布されたらしい。
というかこの出来事は、「デマが流れた」とか「朝鮮人差別」とかいう生易しい事件ではなく、ハッキリ「虐殺事件」というべきなんでしょう。吉野作造の調査では2000人以上、朝鮮人団体の調査では6000人以上の朝鮮人が、デマを信じ込んで武装した民衆に殺されてしまった。
「朝鮮人の襲来」を恐れて「自警団」を組織した日本人は、完全に異常な精神状態に陥っていて、もはや「暴徒」と化していた。トラックで仕事に向かっている朝鮮人労働者を引きずり降ろして竹槍で刺し殺したり、警察署を襲撃して保護されていた朝鮮人十数人を引きずり出して皆殺しにしたりしている。警察が埼玉県から群馬県へ朝鮮人の移送を試みた際も、途上で自警団に阻まれてしまって、身の危険を感じて街中へ逃げた朝鮮たちも数千名の日本人に追われ、一夜のうちに40名が殺されてしまった。日本人であっても、朝鮮人と誤解されて日本刀で斬り殺されたり、電報の配達人が「朝鮮人が強盗に来た」と間違われて鳶口で刺し殺されるなどしたらしい。
本書前半の地震と火災の描写からは、災害の凄惨さが吐き気がするほど生々しく伝わってくるし、後半の朝鮮人虐殺をめぐる記録は、「群衆心理」や「パニック」に関する重要な教訓だと思われます。「3.11」後の我々にとって、これはもしかしたら必読書の一つかも知れない。もちろん、今後ほぼ確実にやってくると言われる首都圏直下型地震において、関東大震災と同じ出来事が起きるとは思いませんが、「天災」も「人災」も時として我々の想像を超えてしまうのだという戒めが改めて必要だという意味で。(「3.11」ごときで震災を知った気にならないように!と自分に言い聞かせております。)