The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

機能的財政と完全雇用——ラーナーの今日的教訓(M. Forstater, 1999)

 昨日読んだ、「機能的財政論」「消費増税は日本の未来に役立つのか」といったコラムに機能的財政論という言葉が出てきていて、以前中野さんの本の中で読んだことはあったけどよく知らないのでググってみたら、M. Forstater(1999). Functional Finance and Full Employment: Lessons from Lerner for Today?というワーキングペーパーがあったので、見出しだけ訳しておいた。ちなみに見出し以外はほとんど読んでないし適当に訳してるので正確かどうかは知りませんw
※のところは私のメモです。

教訓1:完全雇用、物価の安定、そしてそこそこの生活水準を全ての国民に提供すること。それがマクロ経済の根本的な目標であり、国家にはそれの達成に向けて努力する責任がある。


教訓2:政策は、それがそのためにデザインされているところの目標を達成する能力によって評価されるべきであって、それが健全であるかどうかや、あるいは伝統的な経済学のドグマに合致しているかどうかといった観念によって評価されるべきではない。


教訓3:貨幣は、国家による創造物(a creature of the state)である。
※思い通りになるというような意味が込められているのかな。


教訓4:課税とは、「資金調達行為」ではない。
※何かに対する支払いの必要から税金を集めるのではなく、あくまで完全雇用や価格の安定などのマクロ経済的な目的のための調整手段であるというような意味。ここが一番、ふつうの直感に反する議論であり、また機能的財政論というやつの特徴なんだろうと思う。


教訓5:政府の借金も、「資金調達行為」ではない。


教訓6:課税の第一の目的は、国民の行動に影響を与える(変容させる)ことである。


教訓7:国債発行の第一の目的は、短期金利(翌日物金利)を規制(制御)することである。


教訓8:国債発行は、論理的には、政府支出に先立つものというよりはむしろその帰結である。


教訓9:貨幣を刷ることそれ自体は、経済に対して何のインパクトも持たない。


教訓10:完全雇用政策がなければ、社会は、労働を節約する技術的進歩から利益を得ることはできない。つまり、効率性が非効率性になるのだ。完全雇用政策があれば、そういう技術的進歩は、社会にとって真に有益なものとなる。


教訓11:完全雇用政策がなければ、国は、貿易収支の問題に苦労するだろう。完全雇用政策があれば、輸入超過を心配する必要はない。


教訓12:赤字や負債について、「見栄えほど大変な額ではない」とか、「指標を変えれば、あるいはバランスシート全体でみれば大した問題ではない」とかいう議論を試みるのは、反生産的だ。
※そんな言い訳をしなければならないと思うこと自体が間違っているということかな。


教訓13:失業がある状態というのは、資源や材が希少なのではなく、仕事と貨幣が希少なのである。


教訓14:機能的財政は「政策」ではない。それは、あらゆる政策がその中で実施される「フレームワーク」なのだ。


教訓15:完全雇用を実現するためには、財政支出は、雇用の直接的な創出を含まなければならないだろう。


結論:ラーナーの機能的財政や完全雇用に関する研究は、50年前に始めて提唱されたときと同じように、現代においても重要な意味がある。オーソドックスな理論や政策が、危機の原因の説明にも効果的な政策的対処としても役に立っていない時は、こうした考え方や、あるいはその他の過去の偉大な思想家たちの考え方を見直してみるといいだろう。彼らの研究からは懐古趣味以上のものが得られるし、現在の状況分析やマクロ経済政策の策定にも有益な教訓を含んでいるものである。


 まぁ要するに、財政というのは、家計のサイフみたいに「◯◯に●●円ぐらいかかるから、貯金しとかないと」みたいなものとは全然違って、経済活動を方向付けたり調節したりするための触媒みたいなもんでしょみたいな話だろう。

選挙に行くほうが馬鹿かもしれないし、一票の格差に目くじらを立てなくてもいいかもしれない

選挙に行く奴のほうが馬鹿であるとも言える

 昨日ネットをみていたら、


 選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由
 

 という記事が話題になっていた。この記事には共感できる部分もあって、3番で言われているように「『なんだかよく分からない』ことに対して何もしない」のは確かに良くないし、5番で言われているように「斜に構えているのが格好良いと思っている」奴はたしかに私も嫌いだ。


 しかし、たとえば「彼が『どこに入れても同じだよね』と言っていたら、彼は日本語を読む能力が欠けている」という部分とか、「選挙を放棄するということは、君にも君たちの子どもの将来にも、本気では関心ないよ」という部分は、論理的に間違っていると思う。


 筆者はそもそも、「あなたの彼氏が選挙に行かない理由」として5つのパターンしか挙げていない。

  1. 「面倒くさい」
  2. 「どこに入れても同じ」(政党間に差がないという意味)
  3. 「なんだかよく分からない」
  4. 「その日用事ある」
  5. 「政治家信頼していない」


 の5つなのだが、政治学では古典的な議論として、「有権者が何万人もいると、自分の1票が勝敗を左右することはあり得ないから」という理由が挙げられている。私は大学生のころ政治学を専攻していて、べつに頑張って勉強した覚えはないので記憶が曖昧なのだが、たしか選挙制度論の入門的な講義の最初の回で教授が、「選挙に行っても、自分の1票は何の効果も持たないのだから、投票率が低いことは政治学者にとってなんら不思議ではない。むしろ、1票を投じても何ら政治に影響を及ぼさないのに、なぜ人々は投票に行くのかというのを説明するほうが、非常に難しいのだ」としゃべっていた。
 ネット上でも、よくみたら社会学者の文章だったが、「合理的個人はなぜ投票するのか」という資料を読むことができる。


 「自分以外の人々がたくさん投票する」という前提が動かない限り、自分の1票で勝敗が左右されることがほぼあり得ないということは、それこそ小学生でも理解できる自明の理屈だ。自分以外の何十万人という有権者の票が綺麗に割れている場合にのみ、「自分の1票」が勝敗を決すると言えるわけなのだが、そんなことはほぼあり得ないといって良い。自分が投票してもしなくても、誰が勝つかは決まってしまうのが現状なのだ。
 そのことを踏まえれば、「どこに入れても同じ」というのはある意味正しい(上の記事の筆者は「政党間に差が無い」という意味で言ってるので別の話なのだが)し、子どもたちの将来に関心があるかどうかと投票にいくかどうかは全く関係がない。むしろ、投票にいく時間を潰して子どもと遊んだり何かを教えてあげたりするほうが、個人の行動としては明らかに合理的だ。
 

 だからある意味では、選挙に行っている人たちのほうが馬鹿であるとも言えるんじゃないだろうか。毎回投票に行っている人というのは、「何の効果もないことが明らかなのに、周りの雰囲気に流されて行動してしまう、頭の弱い人」だとも言えるのだから。
 「選挙に行かないような奴には、モノを言う資格はない」みたいなセリフが好きな人は多いのだが、投票に行っても何の効果もないということを忘れて偉そうなことを言うのはやめたほうがいいだろう。 
 

 しかしこの話をすると、だいたいの人は不快感を覚えるようだ(と知ってて煽るように書いてる面もある)。というか、ムキになって怒り出す人もけっこう多い。自分が毎回選挙に行っているのを馬鹿にされたように感じるからだろう。そしてそういう人と話していると突然、「みんなが投票に行かなくなったら民主主義が破綻して〜」というような議論に発展するのだが、ちょっと待って欲しい。
 まず、「自分自身が投票に行くのが合理的かどうか」という話と、「多くの国民が投票する社会が望ましいかどうか」は別の問題だ。それに、みんなが投票に行かなくなったら、自分の1票が持つ価値が増すということなのだから、そのときは張り切って投票に行けばいい。たとえば10人ぐらいしか投票しない選挙であれば、けっこう投票し甲斐があると思う。
 
 
 私はべつに、投票に行くべきではないと言いたいわけでもない。「自分の頭では深く考えず、周りに流されて投票所に行く」のに似た様々な慣習的行為の積み重ねによって社会は成り立っているもので、1人1人がいちいち合理性を考えて行動することが社会全体に善をもたらすわけでもないと思うからだ。
 ただ、冒頭の記事のような安易なモノ言いはどうしても受け入れられない。論理的に間違った理由で、投票にいくことを正当化しようとしているからだ。
 先ほどリンクを貼った論文でも議論されていたように、投票にいく(べき)理由というのは、何かあるとしてももっと説明が難しいものであるはずである。
 
 

一票の格差に目くじらを立てなくてもいい

 ところで「一票の格差」問題というのがある。これも以前から気持ち悪いと思っていて、エントリを起こしたこともある。簡単にいうと、別に一票の格差を是正することに反対するつもりはないのだが、一票の格差を「不公平である」とか「民主主義の原理に反する」といった言い方で批判している人はちょっと物事を誇張しすぎなんじゃないかということだ。
 
 
 しょうもない点から言っておくと、先程も述べたように、有権者が何十万人もいれば「1票」の重みはほぼゼロということになるので、ほぼゼロであるもの同士を比べて1.5倍とか2倍とか議論されても、個人の立場からはあまり実感が湧かない。べつに5倍の格差があったところで、個人にとっては怒る理由がそもそもない。


 で、1票格差問題を論じている人というのは、要するに農村部の老人たちの選好が過剰に国政に反映されているのではないかということを問題にしているわけなので、だったらそのことをストレートに言い続ければいいと思う。若者が多い都市部の選好をもっと国政に反映させるために、逆差別的に東京とか神奈川の1票の価値を農村の2倍にするという議論をしたっていいはずだ(2倍は違憲ということになってるけど)。私自身は、農村の老人よりも都市部の若者の選好を重視したほうがいいのかどうかは、よくわからないが。


 そういう議論をあまりしないで、ひたすら「平等」という観点からのみ論じるのは、なんというか、単なる綺麗事に聞こえてしまう。
 ちなみにこの問題については、最近、マル激の動画で触れられていた。



一票の格差問題を残したまま解散総選挙でいいのか - YouTube

 
 この動画の中では、政治学者の山本達也氏が、非常に正確なことを言っている。

 

山本 憲法上、差異がもし許容される範囲内なのであれば、もし国民のコンセンサスがあるならば、たとえば若者により多くの票の重みを持たせようっていうふうに、政治的なコンセンサスがあれば、そこにあえて、法の下の平等というか違憲判決にならない状態の範囲内であれば、厚みを持たせるってこともあり得る。(中略)この話っていうのは、古くに自民党が、区割りをつくって、自分のところに有利にしてっていう話になってくるんだけど、これももし仮に、日本という国は農村部をとっても大切にするっていうコンセンサスが全日本的にあって、それだったらいいんだけれども、ま、経緯としてはそういう経緯ではない。


 まぁそういうことなのだ。


 あと、「平等」にこだわると厄介な問題もあって、以前のエントリでも書いたのだが、有力な政治家が立候補する選挙区と、そうではない選挙区では、当然有権者1人の票の重みは変わってくる。新人候補を1人選出することと、元総理を1人選出すること(あるいは落とすこと)にはえらい違いがあるでしょ。
 そう考えると、もし平等主義を強調するのであれば、地域によって選べる政治家が異なるということ自体が問題ともいえるので、全国区の選挙だけをやれみたいな話にもなってくるかも知れない。
 
 

結局何が大事なのか

 さてここまで、「投票に行くこと」とか「一票の格差を是正すること」について、無意味であるみたいな書き方をしてしまっているのだが、私はそれぞれに反対しているわけではない。私が言いたいのは、もっと大事なことが、「清き一票原理主義」みたいなものに覆い隠されてしまってはいないかということだ。


 上述のような議論の乱れは、「投票」という行為を過度に神聖化してしまった結果起きているものだろうと思う。私は、普通選挙によって政治家を選出するというシステムについて、万能どころか素晴らしい制度であるとすら言えないとしても、他に良い方法も思いつかないのでとりあえずこれでいいと思っている(チャーチルを気取りたいわけではない)。しかし持論として、投票そのものよりも、「票を集める」という行為のほうが重要だろうと昔から思っている。
 選挙に行って一票を投じることそれ自体は、別にやって悪いことではないのだが、政治参加の形態としては、神聖化されるほど重要なものではない。むしろ、多くの人が投票に行く普通選挙制度が成立していることを前提条件として、言論や運動を通じて徒党を組み、まとまった票を生み出すという活動こそが、政治参加のあり方として大事なんじゃないのか。
 たとえば労働組合のような団体は「組織票」をまとめる力を持っていて、組合の内部で政治に詳しい人がいろいろ議論をしたり、政治家に直接何かを訴えたりするわけである。そういった「組織」というものには、有能な人材を発掘する機能や、人々の意見を集約・調整する機能があり、しかもそのノウハウが長年蓄積されているわけである。集団がまとまって「組織」を形成し、政治的な行動を取るというプロセスの中で誰が何をやるかというのは、けっこう重要な問題であるにもかかわらず、あまりそのことに関心が払われていないように思う。
 そういう組織的政治行動について議論も実践もしないままに、個々人が「投票所に行く」場面だけが民主的政治参加であるかのように言われ、1票の格差がどうしたとか、投票に行かない彼氏とは別れろとか言うのはバランスとしておかしい。


 とりあえず現行の民主政治のシステムというのは、次のような三層構造で成り立っていると考えればいいんじゃないだろうか。
 まず、普通選挙制度が実現しており、しかも「みんなが投票に行く」という習慣付けが行われていて、これが第一階層をなしている。個々人にとっては投票に行くことはまったく合理的な行動ではないのだが、そういう習慣付けが行われることで、全体としては投票システムが機能するようになっている。 
 その上で第二階層では、色々な組織やオピニオンリーダーが意見を戦わせることを通じて、票が集まったり動いたりするという現象が起きている。その結果として、代議士が選出される。
 そして第三階層では、代議士(政治家)たちが議論をして、具体的な政策を立案したり実行したりしていく。
 まぁ他にもいろいろな層があるだろうが、投票制度に関してはこの3段階ぐらいの理解でいいんじゃないだろうか。ちなみにこれは今思いついただけで、専門的な議論は全然知りません。


 こう理解した上で、民主主義がまともなものであり得るか否かを考えた時、けっこう第二階層のあり方が大事なんじゃないかなと私は思っている。だから、「投票」(普通選挙)という制度は、いったん実現すればそれ自体を神聖視するのはやめたほうがよくて、むしろ民主主義にとっては言論の風通しを良くすることとか、機能的な組織を形成することとか、集まって政治的な意見を交換することのほうが、はるかに大事なんじゃないかなと。
 集団を組織したり動かしたり壊したりすることこそが重要な政治的行為なのであって、民主主義の質を決めるのは、より良い集団を作り出すことや、集団をより良く動かすための努力である、と私は思っている。それを通じて、「まとまった数の良い投票」を生み出すことが大事なのである。


 日本の世間では、「第二階層」の運動に関わること、つまりたとえば政治運動の集会に参加することとかは、何となく「ヤバいこと」であるとされていて、そういう運動に関わっていることが周囲に知れるとだいたい白い目で見られるのだが、それはおかしいのではないか。(Facebookで知り合いから政治色の強いニュースがシェアされてきたりすると、何故か残念な気持ちになってしまうので、私も人のことは言えないのだが。)
 で、そういうことを議論せずに、「彼氏が投票にいくかどうか」とか「1票の格差が2倍以内に収まっているかどうか」ばかり議論するというのは、虚しいような気がするのである。冒頭の記事の筆者自身は、その意味で政治的な実践をしている人かもしれないが。


 政治とは要するに、「気に入る奴らと徒党を組んで、気に入らない奴らと戦う」ことを言うのだ。ただし殴り合ったりするとお互いに損失が大きいし、何も相手を殲滅することだけが勝利なのではなく、説得してしまうという道だってある。そこで、第二階層において言論戦を戦うことにし、しかし言論戦は長引く傾向にあるから、第一階層に用意した選挙というゲームを定期的に行って仮に決着をつけることにしたのだ。
 それはあくまで、第二階層における複雑な争いを単純な形に翻訳したゲームに過ぎないので、殴り合いにおける強さも、話し合いにおける巧みさも、正確に反映されるわけではない。それに、投票者というのは戦争ゲームに出てくる足軽みたいなもので、彼が持っている「清き一票」とやらはよく見たら一本の槍に過ぎず、しかも自らの意思で行使していると言えるのかも怪しい。確かに外見的には、足軽たちの交戦という形で決着がつけられるのではあるが、勝負の実体はゲームのプレイヤーたる「政治組織」が第二階層で繰り広げる駆け引きにある。
 民主政治に偉大なところがあるとすれば、人はプレイヤーに操られる足軽に留まることも、プレイヤーになることもできるという点ある。この足軽にも立派な生命が宿っているとかいう話をでっち上げるのは、民主政治の讃え方として間違っている。


 まぁ、私も別に第二階層の活動を頑張ってやっているなんてことは全くないので偉そうなことは言えないのだが、そういう活動を真剣にやっている人たちには敬意を表さなければならないし(間違った運動をしてると思ったら軽蔑すればいいけど)、投票所に行ったぐらいで「立派な政治参加を果たしている」なんて勘違いするのはやめるべきだと思う。「投票に行かない奴には、文句を言う資格はない」なんて物言いもやめるべきだ。投票に行ったぐらいで得られるのは大した資格ではない。
 そういう勘違いがなくなれば、冒頭の記事のような変なことを言う人も消えていくだろう。


 【追記】
 似たような理由で「選挙に行かないやつは政治を語るな」論に対しブチ切れているブログ記事があったので、リンクを張っておきます。私はリバタリアンではないですが、「理由その3」にたいへん共感できますw
 選挙に行かないことが合理的な三つの理由と、「選挙に行かないやつは政治を語るな」が間違っているもっと沢山の理由 - 二十一世紀日陰者小説(移転跡地)

集団的自衛権に関する憲法解釈は変更されていない?

憲法学者の見解

 通勤時間にいろいろ動画の番組を見てるんですが、今さら感がかなりありますけど、集団的自衛権の行使容認とやらについて、憲法学者の木村草太氏がインタビューに出ていたのを見ました。



木村草太氏:国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分 - YouTube


 先日、「集団的自衛権の行使容認」問題についてのメモ - The Midnight Seminarというエントリを書きましたが、その時自分でも閣議決定の本文を読んでて、騒がれている割に「何が画期的なのか」がイマイチ分からず苦しみました。
 自国の存立が脅かされる場合でなければ武力行使はできないわけなので、日本が関係ない他国の戦争に巻き込まれるという話ではないよなと(そもそも集団的自衛も自衛の一種なので、当たり前ではある)。
 まぁ結局はアメリカへのゴマすりが実際の目的だと言われているので、細かいことを考えても仕方ないとしても、文言上何が読み取れるのかは気になるんですよね。
 以下、メモしておきます。

国会中継の録画

民主党・岡田克也:なんとかかんとか。
岸田外務大臣:なんとかかんとか。
安部総理:なんとかかんとか。
民主党・福山哲郎:日本政府は正式に、憲法の解釈を変更したというのは、文民条項の時一回きりだということになっています。これは、今回は2回目ですか?今回の憲法解釈の変更は2回目なのかどうかをお答えください。
横畠内閣法制局長官:まぁ法令の解釈と申しますのは、いわゆる当てはめの問題でございますけれども、まぁその意味で変更があったのかということであるならば、一部変更したということでございます
福山哲郎:一部変更ってわかりません。憲法解釈として、今回は戦後、2度目の憲法の解釈を変更したという位置づけかどうかと訊いてるんです。
横畑長官そのような位置づけであることは否定いたしません
(中略)
福山哲郎:結果として、官房から内閣法制局に具申が来たのは6月30日。閣議決定は7月の1日。つまり1日しか審査をしていない。それで、審査に対して、法制局長官さりげなく言われましたけど、どういう回答されたかもう1回お答えください。
横畑長官:えー「意見はない」旨の回答をしたところでございます。
(以下略)

コメント

木村草太:これは、横畠長官の職人技の光る答弁でした。というのはですね、今回の閣議決定は、これまでの閣議決定の内容を変更してないんですよ。じつはまったく変更していなくて、ですから、これ「当てはめの問題だ」って言ってるんですよね。解釈は変えてません。当てはめ方が変わったんです。というか、当てはめで新しい事象が返ってきたので、この場合は当てはまりますと言っただけですというふうに横畠さんはおっしゃってるわけですね。それで、なので、これまでの解釈とは変わってないので意見はないですよっていうメッセージを法律家向けに発信してるんですよ。1日で返すってことは、これまでと変わってないというふうに読みなさいというふうに、全国の法律家に向けて発信してるんですよ。
神保:暗号ですね。
木村:暗号です。
宮台:そういうことだったんですか……。当てはめの問題って意味が分からなかったんだけど。
神保:とは言えね、当てはめの問題だが、その意味で変更があったというならば一部を変更したことと言っていると。
木村:当てはめの変更は変更というのであれば、それは変更なんだよねということですね。
神保:それで福山さんが、一部変更っていうのはわけわかんないと。憲法解釈として今回は「戦後2度目の変更」の位置づけなのかと聞いたらば、そのような位置づけであることは否定しないと。これは憲法解釈変更……
木村:だから当てはめの変更だっていうふうに横畑さんがおっしゃっているので、そういうふうに変わったのかといわれる……それも含めるのであればっていう意識なんですね。
神保:当てはめの変更も憲法解釈の変更というふうに言うんであれば、と。
木村:もう、暗号なんですけどね、これ。で、だからこの閣議決定の本文の意味ってのがすごく大事で、岸田外務大臣と安部首相は、今回の閣議決定の内容を逸脱した答弁をしてると思います。
神保:その、さっきのアメリカの話っていうことですか。
木村:そう。つまり、今回の閣議決定については、閣議決定自体が憲法に反するとか、立憲主義に反するとかって批判する人がいるんですけども、私はそうではなくて、むしろ「この閣議決定を守れ、自分たちで決めたことぐらいきちんと守れ」って言っていくことがすごく大事になってくるというふうに私は見ています。
神保:つまりあてはめっていうのは、このような事例があってそれを当てはめると。それを、今の憲法解釈の範囲内だよっていうふうに当てはめるという意味での当てはめですか、この当てはめというのは。
木村:そうです。
神保:事例が当てはまるってことですね。
木村:つまり、これまでその、「我が国の存立が脅かされうんぬんが覆されるような場合については、武力行使ができる」って言ってきたんですね。じゃあそういう場合ってどういう場合ですかっていうと、我が国に対する武力攻撃が発生した場合ですっていうふうに言ってきたんですね。だから、「Aとは、武力攻撃が発生した場合です」というふうに言っていて、「じゃあ、他国に対する武力攻撃が発生することによってAが発生した場合は、どうなのか。それは当然、武力行使ができます」と答えてるわけですね。だから、この文章ってのは実はですね、要するに、我が国と他の国が同時に攻撃を受けている場合というふうにしか読めない文章になってるんですね
神保:トートロジーですね。
木村:まさにそうなんです。
神保:要するに、集団的自衛権とは何ですか、それは個別的自衛権のことですって答えたということでしょ。
木村個別的自衛権と集団的自衛権が重なってる部分については、それは集団的自衛権を行使してもよかろうっていうようなことを言っているふうに文章としては読めるんですよ。
神保:それは一応、じゃあ集団的自衛権の行使を容認したっていう表現自体は間違ってはないってことですね。重なってはいるんだから。
木村:ただこれまでもできなかったことかっていうと、じつは別に、これまでも、従来できたはずのことなんです。
神保:個別の範囲だからってことですね。
木村:個別の範囲だから。個別の範囲として説明できるものが……
宮台:ちょっと勇気が出てきたぞ。なるほど(笑)
神保つまり個別的自衛権と集団的自衛権が重なる部分を一所懸命見つけたってことですね。
木村:そういうことです。
神保:一生懸命探して。
木村:それをね、ずっとやってたんですよ。6月末ぐらいから、法制局と公明党はそのラインを探してました。で、このラインを一所懸命、自民党の政治家に気付かれないように文章上作ることを腐心して、それができてるんです。
神保:でも、政治家たちは、集団的自衛権ができるようになると思っちゃった。
木村:なったと思っちゃってるんですけれども、ああいうふうに勇気のある答弁をして、それでオーストラリアとかに行って「あんたの国も守りまっせ」って言ってるんだけれども、この閣議決定の文言どおりにやると、無理なんですよ。

メモ

 解釈とはなんぞやというのは難しく、「解釈は変更してないけど当てはめは変更した」ということの意味について深く考えるのはやめたほうがいいと思う。とりあえず大事なのは、木村氏の意見では、「できることは従来と変わっていない」という点だ。
 しかし木村氏が言ってることは本文とちょっと違う気もする。

こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った


 と書いてある。「従来の政府見解の基本的な論理」の枠内にあるので、憲法が何を目指しているかについての「解釈」は変更していないということだ。「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず……憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」というのは「当てはめ」だという話で、それはまあ良いのだが、文言上は一応、「自国が直接攻撃されていない場合」も含むんじゃないだろうか。
 まぁ木村氏は本文だけでなく答弁とか事例集を踏まえて政府見解を見ているということだと思うので、そっちも参照すると実質的に政府が想定しているのは、木村氏が言っているような内容になるということなんだろうか。


 いずれにしても、それが「画期的」かというと、そもそも集団的自衛権だって自衛権なのだから、自国の安全にとって明白な危険がある場合しか発動されないものであり(少なくとも、文言上は)、本質的には個別的自衛と分けることにそこまで意味はないんじゃないかと個人的には思っています。たしか国連憲章でもさり気なく併記してあるという感じでしたよね。

昨日、クルーグマンの講演を聴いてきました。日本に謝りたいそうです。

 ちょうど、クルーグマンのコラムを紹介した記事が出ていましたが、じつはクルーグマンは昨日東京の有楽町で講演していて、それを聴いてきました。だいたい、同じようなことを言ってましたね。
 日立製作所主催の「イノベーションフォーラム」というやつですが、後日オフィシャルサイトに抄訳が載ったりするのかな?


 少しメモを取っていたので、思い出せる範囲でメモしておきます。一生懸命全部メモしてたわけではないし、間違ってるとこもあるかもしれないです。

  • 90年代以降の日本経済の不調が続き、はっきりいって欧米は、日本への関心を失っていた。しかしこれは間違いであった。日本の状況は欧米とべつに大きく異なるわけではなく、むしろ現在の欧米経済は過去20年の日本がたどった道を追っているといえる。
  • かつて、スウェーデンのスベンソンという経済学者、ベン・バーナンキ、そして私は、拡張的な経済政策を主張して、日本のpolicy makerたち(たとえば日銀)を批判してきた。この批判は正しかったと思うが、謝らなければならないのは、今は欧米が日本と同じ失敗を犯しているというか、それよりはるかに悪いのだ(「We have done really really badly」とか「much much worse」とか言ってた)。
  • バーナンキも、学者時代は威勢よく日銀のデフレ対策の不足を批判してたのだが、自分がFRBの議長になってみると全然できてない。ヨーロッパはもっとまずいし、スベンソンのスウェーデンでも、日本並みのデフレになっている。
  • 世界中で、ハウジング・バブルの崩壊を引き金としたデフレ化が進行しており、90年代に日本がたどった道をたどるJapanificationが起きていると言っていい。
  • 経済成長がある程度進んで行き詰まると、貿易黒字などでGDPが成長する経済から、負債によってGDPが維持される経済に変わってくる。それがバブルになってそのうち崩壊し、デフレ不況に陥るのだが、日本に続いて欧米も、そして新興国もそういう道を辿ろうとしている。80年代の日本の負債は企業のもので、欧米で起きた負債の膨張は家計のものだという違いはあるけど。

 

  • 以前は中国が貿易黒字を貯めこんでて、不均衡を作り出していたのが問題だったのだが、今はその意味で不均衡の原因になってるのはたとえばドイツだ。中国は逆に、負債をためこんでいる。
  • 今の中国をみれば、80年代の日本と同じようなパターン(成長の維持が難しくなり、負債をためこむようになり、バブルとその崩壊へ……)をたどっているといえる。それよりはるかにやばいかもしれないが。7年前までは貿易で成長してたが、今は完全に、投資によって経済が膨らんでいるという感じ。

 

  • あらためて、日本は世界にとって「useful lesson」だと思う。
  • 日本に関してもうひとつ注目すべきは、人口動態だ。日本の少子化はものすごいが、ヨーロッパも日本と同じような少子化傾向にある。12年前の日本とだいたい同じくらい(?)。日本のほうが深刻なのだが、たどっている道は同じ。
  • 欧米の場合は、低い出生率と移民の増加という組み合わせになっているのだが、日本の場合はひたすら少子化だけが進んでいるという違いがある。まあ文化的な理由だろう。

 

  • ところでイノベーションフォーラムなのでイノベーションの話を一応すると、技術は進歩してると思うのだが、生産性の向上は鈍化している。また、テクノロジーそのものより、そのテクノロジーを使って何をするかのほうが大事だ。
  • 2000年代半ばぐらいまではすごくイノベーションがあったのだが、現在、停滞から抜け出すようなイノベーションは起きていない。ある人が「昔は、そのうち自動車が飛べるようになる未来を想像したものだが、実際におきたのは、Twitterみたいな140文字のメッセージを送る仕組みが普及しただけだった」と言ってた。
  • なお、技術の洗練度についていうと、世界どこへいってもそんなに差がなくなってきているという点も大事。アメリカ人は自分がとても進んでいると思ってるのだが、アメリカにあるものはヨーロッパにもたいていある。

 

  • 民間企業のイノベーション(private innovation)も大事だが、それよりポリシー・イノベーションが大事だろう。たとえば均衡財政なんかにこだわっている場合ではないのだが、これはなかなか、要人と話してもほとんどの人が理解してくれない。
  • 日本のアベノミクスはなかなかのもんだが、言わせてもらいたいのは、これらの政策はスベンソン、バーナンキ、そして私のような学者が15年ぐらい前から言っていたことを取り入れたものだということだ。直接教えたことはないが(笑)
  • 消費税がなんたらかんたら(あまり聴いてなかった)

 
 
あと、新興国ももうダメだとか、最近出たレポートではそこの地域でも所得に対する負債の割合が上がりまくっているとか、経済が長期的に停滞するときに金利政策だけでは(ゼロ金利の制約があるので)どうにもならないという話とか、そういえば80年代って金利はかなり高かったけど経済のboomingを止められなかったよねといったことを言ってたと思うが、いまいち正確に覚えてない。

イスラム主義に関するメモ

学生時代のメモ

 学生時代につくったイスラム主義等に関するノートがみつかったので、テキストに起こしておきます。べつに専門でも何でもなく、趣味的な関心で読書した範囲でのメモなので、どこまで正しいかは不明ですが。
 だらだらと書き写しただけの部分はあまり読む意味はない気がするので、「イスラム主義に関する大雑把な理解」というまとめ部分だけ読んでもらえればいいと思います。


 なんでそんなノートを発掘したかというと、もちろん、シリアとイラクを広範囲にわたって制圧した武装勢力「イスラム国」(IS)が話題になってるからです。
 参考記事としてはこの辺がいいでしょうか。


 イスラーム国 - Wikipedia
 ISIS、カリフ制イスラム国の樹立宣言:朝日新聞デジタル
 コラム:米国が踏み出した「終わりなき戦争」 | コラム | Reuters
 北大生支援の元教授・中田考氏が語る「イスラム国」 WEDGE Infinity(ウェッジ)
 自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について - 中東・イスラーム学の風姿花伝


 シリアで捕まった軍事オタクの湯川遥菜とか、シリアに行こうとした北大生とかには、あまり興味ありません。が、その北大生を支援したとの疑いで捜査を受けた中田考氏は、日本人がイスラム主義について知る上では、注目すべき知識人の一人だと思っています。
 昨日は、中田考氏のインタビュー動画を2本見ました(前者は有料会員じゃないと見れないです。)


 VIDEO NEWSイスラーム国の論理とそれを欧米が容認できない理由 »
 VIDEO NEWSイスラム国へのリクルートはしていない・渦中の大学教授中田氏が再出演 »


 月会費540円を、この動画のためだけに払っても良いと思える内容ですね。
 中田氏は、日本人にあまり知られていないイスラム側の論理を初歩から解説した上で、イラクやシリアはもはや国民国家としては破綻しており、イスラム的にはその国境線にもあまり意味はないので、今後は
 ①西欧近代と妥協するグループ(これまでの体制派)
 ②それを叩き潰してイスラム主義を実現しようとするサラフィー・ジハード主義者
 ③ムスリム同胞団のように議会制民主主義の枠内でイスラム主義の実現を目指すグループ
 ④シーア派
 という4つのグループの争いという構図で展開していくだろうと言っている。
 また宮台氏は、もともと西欧の自由主義はイスラム教のような規範の根拠(神)を持たないわけだが、それを広めるためにイスラム圏を空爆するという馬鹿げた事態になっていることに触れ、西欧近代の自由主義の化けの皮が剥がれてきたと指摘している。
 イスラム側の立場を想像するのは難しいが重要なことだ。たとえば、スパイ認定されたジャーナリストの首を斬ったのは我々には野蛮に思えるが、少なくとも「公開で斬首する」ということ自体はイスラム圏では普通のこと(牧畜文化で日頃から動物の首を斬ってるので、我々みたいに抵抗は感じないらしい)で*1、見世物として一般的に楽しまれているらしい。もともとそういう文化なので、こないだ「銃殺刑」を執行したら逆に民衆から「なんでちゃんと首を斬らないのか」と批判され、将校が謝罪するという一幕もあったらしい。また、捕虜をたくさん殺したとISが自ら発表しているのだが、人権団体が調べるとじつはそんなに殺してなくて、ISはイスラム圏内部への締め付けのために野蛮さを自らアピールしている面もあるようだ。最近は欧米の「人権」文化向けのアピールも大事だと考え始めてるらしい。
 まぁISはけっこう野蛮だと私は思うけど、ある程度は「文化の違い」分も割り引かないといけないということと、後で述べるように「カリフ制に基づくイスラム国家の建設」という理念自体はさほど過激なものではないとも言える点に注意が必要だと思います。


 んで、こうした動画をみていて、「そういえば学生時代、こういうテーマの本を読んでた時期があったな〜」とか思ったので、自分のEvernoteの中を漁ってみたところ*2、「イスラム・テロ関連メモ」とか「パレスチナ問題 暗記用」と題された手書きメモが発掘されました(笑)
 学生時代(十年ぐらい前)、イスラム関係の本をまとめて読んだ時にメモをつくっていて、それが本棚にあったのを一昨年ぐらいにScanSnapでスキャンしてEvernoteに放り込んでたものですね。
 これを見ると、中田考氏が2001年に出版された『ビンラディンの論理』(小学館文庫)って本も、私は学生時代に読んでたようです。その他いくつか本を読んで、気に留まったことをノートにまとめてたみたいです。
 私の字は汚くて、手書きだとEvernoteに入れていてもOCRで認識されないため、テキストに起こしました。それを以下、貼り付けておきます。*3


 たとえばですが、ファラジュというイスラム主義思想家についてのメモに出てくる、

 カリフ制の施行は、ムスリムの義務であると主張。カリフ制とは、アッラーの統治の地上における確立を意味する。
 カリフ制の復興には、その中核となるイスラム国家の樹立が不可欠である
 イスラム国家を樹立するためには、現在の為政者を放伐するジハードが必要である。
 しかもこのジハードは「防衛ジハード」(イスラム法解釈上、攻めのジハードと守りのジハードは分けられるらしい。)にあたり、すべてのムスリムが個人として義務を負う戦いである。


 という主張なんかは、イスラム国の運動を理解する上でも大事なんじゃないかと思いました。(あくまで私のメモではファラジュのところに出てきたというだけで、多くの人が同じこと言ってるみたい。)

イスラム主義に関する大雑把な理解

 メモのテキスト起こしを貼り付ける前に、自分が大学生のときにイスラム原理主義とかパレスチナ問題とかについて読書した際に、大雑把に言ってどう理解したのかを、思い出しながらメモしておきます。それ以降深くは勉強してないので、正確さにはそんなに自信はないですが。
 イスラム国(IS)の運動を理解する上でもけっこう大事な知識であるように思うので、ISの件にも触れながらまとめることにします。


 まず、イスラム教社会においては「聖」と「俗」の距離が近く、「宗教」と「生活」や「政治」が一体化しやすいということを理解する必要がある。イスラム教の教義は、キリスト教などと比べても、日常の生活習慣などをかなり具体的に規定している。酒飲むなとか、断食しろとか、カネ貸しても利子取るなとか。だから「政教分離」という考えにも馴染みにくく、基本的には「信仰」と「生活習慣」や「社会・政治・経済システム」を一貫させるのが当たり前であるとみなされる。


 そういう話を聞くと、我々は何となく「イスラム=未開社会」といったイメージで捉えてしまいがちなのだが、イスラム教においては「法」というものがかなり高度に発達してきた歴史があることに留意しなければならない。
 仏教やキリスト教ぐらしか知らない日本人からすると、「イスラム法」なんて言われても、「おいおい、宗教者が法律を語るのかよ」って感じで怪しいもののように思ってしまうのだが、イスラム法はそんないい加減なものではないらしい。7世紀以来、イスラム教徒には、「コーラン」と「ハディース」(聖者の伝承集みたいなやつ)に示された「法」を解釈することを通じて、現実の政治上・生活上の問題を解決してきたという長い歴史の積み重ねがある。その法解釈学も学問的に高度に発展していて、けっこう現実的であると
 私は内容をよく知らないが、我々の社会における「法律解釈」「憲法解釈」なんかよりもある面では歴史も長く、一貫性・体系性が高いのかもしれない。この、イスラム法体系のことを「シャリーア」と呼ぶ。
 どんな世俗の行為にも必ず「価値判断に基づく選択」が伴い、価値判断の根拠は突き詰めると「信仰」としか言いようのないものも多く、個人的には「聖と俗の一貫性」を重んじる態度自体は正しいもののように思える。(逆に言うと、宗教から自由であるように見える「合理主義」だって、一種の信仰にほかならないと言える。ただしそこには敬虔さがないが。)


 そういう歴史的背景を持っているので、「イスラム法(シャリーア)に基づく政教一致の社会秩序」というのも、我々がイメージするほど非現実的ではないのかもしれない。
 我々の社会は、宗教の教義を発達させて政治や生活上のルールを作り上げるという積み重ねを持たなかったので、教義はけっこう抽象的で精神性が強い。そういうもので政治や生活を律しようとすると当然無理が出てくるのだが、イスラム教の教義は逆に、「現実の生活に使える」度合いがもともと高いということだ。
 たとえば「神道の教義に基づいて殺人犯を裁く」とか「キリスト教の教義に基づいて政治家の汚職事件を裁く」とか言っても、ブレが大きすぎて収拾がつかないだろう。しかしイスラム教はその収拾をつける努力をしてきた歴史を持っているわけである*4
 イスラム教ではウラマーと呼ばれる法学者が非常に活躍するのだが、これはコーランやハディースに書かれていることを解釈して現実の状況にどのように適用すべきかを考える人たちで、我々の社会でも裁判官・学者・役所が同じことをやっている。憲法や法律は抽象的にしか書かれていないので、目の前で起きた「今回の事案」についてどう判断すべきか、法令、判例、学説をたくさん集めて総合的に「解釈」を施すわけだ。


 また、今でこそアラブ諸国は後進国みたいになっているが、もともとはとても進んだ文明を持っていた。ウマイヤ朝やアッバース朝の時代から、13世紀に生まれて20世紀に滅びるオスマン帝国まで、イスラム国家は世界史上の大勢力であり続けてきた。アリストテレスなど古代ギリシア時代の学問が、西欧ではなくイスラム圏で温存され、それが近代になって西欧に逆輸入されたというのも有名な事実である。
 ただ、イスラムの教義はけっこう保守的なので、イスラム圏の人たちの文化はどうしても「資本主義」や「民主主義」になかなか馴染めない構造になっている。キリスト教は、人々の生活を律するルールに関して細かい指示をしない宗教であり、聖書を読んで祈ってればOKなので*5、あまり宗教的教義に縛られることもなく世俗パワーを追求し、一気に近代化できた。一方、イスラム教は教義が具体的であるために、それが難しい。また、もともとイスラム教圏はとても平等主義的な社会だったので、格差を許容する資本主義とは馴染みにくいと同時に、民主主義をことさらに追求しようというモチベーションも生まれにくいという事情もあるらしい。


 ところで、オスマン帝国においても、けっこういろんな宗教や民族が混じっていたし、巨大な帝国であったので、イスラム法が厳密に施行されていたわけでもなく、そういう世俗的な政治体制と宗教的な理想のあいだの葛藤は、常に存在したのだろう。何しろ元祖イスラム主義者であるイブン・タイミーヤは13世紀の人で、イルハン国の君主を「イスラムに改宗したけどあんなのはまがい物だ」とdisっていたらしい。
 また近代になると、帝国主義で西欧の列強が入植してきて、勝手に土地を分割していった。そういう欧米と結託するイスラムの為政者もいたし、ある程度は資本主義・民主主義・近代科学を導入しなければ国が滅びてしまうという状況にもなってきた。それで、イスラム圏の内部でも「近代化」(西欧化)を志向する人たちが、政治的には実験を握っていった(とくにエジプトなど)。
 しかし、教義と生活習慣が密接に関連しているイスラム教徒にとって、イスラム教を信仰しながら西欧近代に順応していくというのは、やはりどこかで無理が出てくるものあった*6。それで、まずエジプトで、世俗化・西欧化を志向する為政者に対して「イスラム法をきちんと守れ」と主張するイスラム主義運動が起こってきたわけである。


 ここで大事なのは、イスラム原理主義というのは、べつにアメリカ人など異教徒の文明を攻撃するために生まれた運動なのではなく、もともとはイスラム圏内部の「背教者」を攻撃するための運動であるということである。
 また、確かに過激な組織も多いものの、もともとは単に「信仰」と「生活習慣」や「社会制度」を一貫させたいというだけのモチベーションでやっているのであって、実際に信仰と生活を結びつけるイスラム法の高度な体系を持ってもいるので*7、彼らの主張自体が狂気じみているかというとそんなことはないだろう。ムスリム同胞団のように、穏健なイスラム主義組織もあるし。
 イスラム国家が誕生すると異教徒が排除されたり、信教の自由とかが存在しない息苦しい社会になるのではないかとも想像されるが、実際にはイスラム教も長い歴史の中で、異教徒との関わりを持ちながら法体系を発達させてきたので、中田考氏の解説によるとけっこう柔軟なようだ。異教徒は単に「無知者」とみなされるだけで、無知者にはイスラム教上の義務が発生しないので、べつにイスラムの教義に反することをしていても罰せられないとかね。
 いま暴れまわっているイスラム国(IS)は、けっこう野蛮だと思うし、統治能力もないんじゃないかと思う。あくまで、その目指しているところのものは過激なものではないよねというだけだ。


 ISは「カリフ制」を施行するために国らしきものを作っているわけだが、カリフ制というのは言ってみれば、信仰と一体化した行政・司法システムのことだ。何か問題が起きた時に、カリフを頂点とするイスラム法学者の組織が議論を重ねて、イスラムの教義上どうするのが正しいのかを判断していく。カリフは預言者ではなくあくまでその代理人なので、超越的な権威はなく、いわば首相みたいなものである。
 これはイスラム教の教義上どうしても必要とされているものであって、「カリフ制を敷いていない現在のイスラム社会は、アッラーの意思に反しており、とてもまずい」という意識は、宗派の壁を超えて広くイスラム教徒に共有されていたらしい。
 イスラムの教義からすれば、欧米的な意味での国民国家という単位はどうでも良いし、ましてや欧米諸国が入植してきて勝手に引いた現在の国境線なんてどうでもいい。だからまぁ、カリフ制に基づく大きなイスラム国家を建国するというのは、必然といえる面もあるんだろう。
 また、定義にもよるとは思うが、民族的・文化的なまとまりとしての共同体(ネーション)と、政府を中心とする行政機構としてのまとまり(ステイト)を、なるべく一致させるように作られてきたのが「ネーション・ステイト(国民国家)」である。そう考えると、「カリフ制に基づくイスラム国家」というのも、欧米的な国民国家と全く異なるわけではなく、「そういう国民国家」が誕生するだけだとも言えるかも知れない。欧米主導で作られてきた国際法の秩序とは合わないところが出てくるとは思うし、そもそも宗派間の対立が結構あって統合も難しいだろうけど。


 なお、パレスチナでもテロが起きているが、これはイスラム主義の問題というよりはユダヤ人との軋轢の問題だ。欧米と妥協するかイスラムの立場を貫くかという意味では似てるかもしれないが。パレスチナ問題は、アラブにもイスラエルにもそれなりに言い分があって、解決方法はなかなか見つからないと思われる。

イスラム・テロ関連メモ

 以下、学生時代のメモを書き写しておきます。イスラムのテロの背景→イスラム用語集→イスラム主義の人物や組織の概要の順です。

イスラムのテロの背景

 藤原和彦の『イスラム過激原理主義』や中田考『ビンラディンの論理』を読んでのメモ。
 イスラム原理主義組織はエジプトで生まれたのだが、彼らのそもそもの目的は、シャリーア(イスラム法)をきちんと施行するイスラム国家の確立にある。*8
 したがって、もともとイスラム原理主義の「敵」は、アメリカとか異教徒ではなく、反・シャリーア的な国内政権であった。だから、アメリカをはじめとする欧米諸国は、アラブから手を引けば、確実に「テロの対象」からは外れるといえる。
 
 
 イラクのこれからの統治について。
 「イラク民主化」というが、イラクの民主化という言葉が何を意味するかといえば、それはイラクの「イスラム主義化」にほかならない。例としては、92年のアルジェリアの民主化が参考になる。*9
 イスラム教徒の民意は、シャリーアの適正な施行にあるのであって、西欧的な意味での民主主義が望まれているわけではない
 アラブの独裁政権は逆に、国内のイスラム主義者を非民主的な手段で抑えこむことによって、欧米との交易・対話を可能にしてきたと理解する必要がある。


 イスラム主義は、エジプトなどで学問的にどんどん成熟してきたという歴史がある。教育が大衆化したことにより、大衆的にもイスラム主義が広がっていった。
 イスラム主義においては、欧米型の民主主義は望まれない。20世紀には、欧米とのつながりを重視する非シャリーア的政権運営と、民衆に広まったイスラム主義が対立するようになった。
 政権はこの民意を弾圧してきた。となると、イスラム主義者側には武装闘争しか道がなくなる。政府はあくまで弾圧してきたので、武装闘争も激化していった。

イスラム用語の語源・原義

シャリーア(シャルウ):イスラム法秩序のことを意味するが、もとは「水場への道」の意味。つまり砂漠のなかで、水飲み場へと通じている主要な道路のこと。これが転じて、貴重な場所に通じる道の意味となり、そこを歩んで行きさえすれば、決して誤りのない道という意味になる。


イマーム:シーア的霊性の最高権威者で、原義は「前に行く人」「先導者」。スンニ派では、金曜礼拝の儀式の指導者を指し、用語としてややこしい。スンニ派の最高権威者には「カリフ」という用語が使われる。


カリフ(ハリーファ):スンニ派において、イスラム世界の統治を司る最高権威者であり、「預言者の代理人」を意味する。要は、ムハンマドが死んだあとに、アッラーの意思についての解釈を行う上での元締めのような役割。


ウラマー:アーリムの複数形で、「知者」の意味だが、学問的・理性的に物事を考えて知る人を指す。
ウラファー:アーリフの複数形で、これも「知者」の意味だが、非理性的な直観、霊感によって事物の深層を知る人を指す。


スンニ派(スンナ派):スンニとはもともと習慣という意味で、イスラムの教義として定められた生活習慣をきちんと履行することに重きをおく。
シーア派:シーアとはもともと党派という意味で、これはアリーの党派(シーア・アリー)から来ている。ムハンマドの親戚であったアリーとその子孫が「イマーム」としてイスラム共同体を指導しなければならないと考えている。ただし、イマームは途絶えてしまって存在しないことになっている。


イジュティハード:意味は『コーラン』や「ハディース」を個人が自由に解釈して、法的判断を下すこと。原義は「努力。ハディースというのは、「伝承」「聖伝承」のことで、コーランとともに、イスラム教の教義の根幹をなしている。

人物:アハメド・イブン・タイミーヤ

 1263年〜1328年。
 イスラム主義の思想家として最も重要。*10
 「ウンマ内部のジハード」論を初めて唱えた。ウンマとは、イスラム社会のこと。
 イブン・タイミーヤ以前は、ムスリムである支配者への反乱は、いかなる専制者に対しても禁止されていた。
 イル汗国のモンゴル人支配者はイスラム教に改宗したが、当時ダマスカス(現在のシリアの首都)でシャリーア教授をしていたイブン・タイミーヤは、「イスラムの本質を欺く専制者である」として非難した。
 当時、トルコ人やモンゴル人などがイスラム世界に流入していたが、単に信仰告白を唱えるだけで、一人前のイスラム教徒であると認めていいんだろうか?という疑問が、ムスリムの間に起こっていた。
 そこでイブン・タイミーヤが、「信仰告白を行っても、その言動がシャリーアに背くならば、ジハードの対象となる」と宣言し、「内部のジハード」論を主張した。
 これにより彼は、「過激原理主義の祖」と呼ばれる。

人物:サイイド・クトゥブ

 ビンラディンも「2人の師」の1人として挙げている、エジプトのイスラム主義思想家(会ったことはないらしい)。
 獄中で著した『マアーリム・フィー・アッタリーク(道標)』の中で、「ジャーヒリーヤ論」を展開した。
 もう一つの理論は「神の主権(ハーキミーヤ・リッラーヒ)論」。


 ジャーヒリーヤ論は、イスラム過激原理主義の中核思想。ジャーヒリーヤとは「無知・無明」の意味で、イスラム強化以前のアラビア社会のこと。1200年にわたって、ジャーヒリーヤ社会は消滅したものと考えられていたが、クトゥブは、世俗主義のナセル大統領がムスリムを弾圧しているエジプト社会はジャーヒリーヤにほかならないと断罪した。
 「神の主権」論は、西欧の主権在民(ハーキミーヤ・バシャリーヤ)を否定したもの。
 
 
 1906年、上エジプトのアシュニトの富農の家に生まれる。
 公務員になるが、詩・評論で名を馳せる。
 1949年〜51年にアメリカに留学し、アラブ・ムスリムに対する偏見と、アメリカ社会自体の道徳的頽廃を目の当たりにし、反欧米感情を強める。
 帰国後まもなく、「ムスリム同胞団」に加入。すぐにチーフ・イデオローグとなった。
 1954年に、同胞団員がアレクサンアドリアでナセル大統領を襲撃。ナセルは同胞団を大弾圧し、クトゥブも逮捕された。
 1964年、獄中で『道標』を著し、出版される。
 同年、恩赦で釈放されるが、65年8月に、煽動罪で再び投獄される。法定で「ジャーヒリーヤ」論を説き続け、66年8月29日に獄中で処刑された。
 1982年、同胞団の第三代総ガイド、オマル・テルミッサーニが、「クトゥブはムスリム同胞団を代表していない」と絶縁を宣言。

人物:ムハンマド・アブド・アル=サラーム・ファラジュ

 ムハンマド・ファラグとも呼ばれる。
 ジハード団の理論家である。1980年にジハード団のメンバーになった。
 自分の思想をまとめた小冊子『隠された責務(アル・ファリーダ・アル・ガーイバ)』を配布して、以下のように主張した。


 カリフ制の施行は、ムスリムの義務であると主張。カリフ制とは、アッラーの統治の地上における確立を意味する。
 カリフ制の復興には、その中核となるイスラム国家の樹立が不可欠である。
 イスラム国家を樹立するためには、現在の為政者を放伐するジハードが必要である。

 しかもこのジハードは「防衛ジハード」(イスラム法解釈上、攻めのジハードと守りのジハードは分けられるらしい。)にあたり、すべてのムスリムが個人として義務を負う戦いである。


 為政者は、イスラムの教えに背くことでクフル(不信仰)に陥り、支配の正統性を失っている上、敵の「カーフィル」(不信仰者)に転化する。
 彼らが支配しているのだから、彼らはムスリム社会に対する侵略者であるといえ、為政者に対するジハードの義務がムスリム全員に生じているのだ。
 更に、イスラム法では、

  1. 背教者へのジハードは、生来のカーフィル(不信仰者)へのジハードよりも優先される
  2. 遠くの敵よりも、近くの敵へのジハードが優先される

 と定められているので、まず自国の為政者と戦わねばならないのである。  

ムスリム同胞団

 イギリス支配から脱却を目指す民族運動が高まった1928年、エジプトの中学教師であったハサン・アル・バンナーが結成した。
 現代イスラム原理主義の先駆といえる。
 「イスラムこそが解決の道」をスローガンに、西欧文明とは異なる「イスラム社会」化の徹底を目指す。
 しかし、テロは基本的に否定。非合法組織ではあるが、エジプト最大の政治勢力である。バンナーは、1949年に秘密警察により暗殺された。

組織:ジハード団

 1960年に創設(かな?)
 創設者は、ナビール・アル=ブライー。
 思想的原点は、当時イスラム法を施行しなかったタタール(イル・ハーン国)へのジハードの義務を説いたイブン・タイミーヤ(1263〜1328)のファトワー。(ファトワーとは、イスラム法学者による勧告のこと。)
 1968年に、武器を調達し、軍事訓練を開始。
 1973年の第4次中東戦争(ラマダン戦争)のときに、対イスラエルの前線に向かい、軍との接点を持つ。
 イサーム・アル=カマリー陸軍少尉が入団し、以後、国軍に浸透していく。
 

組織:タクフィール・ワ・ヒジュラ団(断罪と逃亡団)

 サイイド・クトゥブの「ジャーヒリーヤ論」を初めて実践した団体。
 創設者はシュクリ・ムスタファ。
 シュクリは「ムスリム同胞団」のメンバーだったが、1965年のナセル大統領による同胞団弾圧で逮捕・投獄された。
 ほかのメンバーがあっさり拷問に屈したので、見切りをすけて、獄中で自ら「断罪と逃亡団」を結成した。


 1971年に釈放された。以後、組織を拡大していった。
 ジャーヒリーヤに汚染されていない諸地域に逃亡(ヒジュラ)して勢力を拡大し、エジプトに凱旋してイスラムを改革するというのが理想であったが、仲間の一部が砂漠生活に耐えられず帰郷していった。これを連れ戻そうと追いかけたメンバーが警察につかまった。サダト政権の有力者(元宗教財産相のザハビー氏)を誘拐し、人質にとって、仲間の解放を要求したが、拒否されたので、ザハビー氏を殺害。ザハビーの両耳を切って治安当局に送りつけた。
 サダトに弾圧され、204人が逮捕。1978年3月に、シュクリら指導部4名が処刑された。

組織:イスラム集団

 1970年代、上エジプトの各大学に存在した原理主義学生グループの連合体として発足した。
 指導者の大卒メンバーのほとんどが、医・工・農といった一般学部の卒で、イスラム関係学部出身者はほぼ皆無であった。
 指導部の大半は、80年代にソ連軍と戦った「アラブ・アフガンズ」。
 1979年3月にエジプトのサダト政権がイスラエルと単独和平を結んだことや、1979年1月と80年3月に元イラン国王パーレビの亡命を受け入れたことに怒り、イスラム集団は「サダト政権妥当」を決意した。
 

組織:暗殺教団(ヨーロッパでは「アサシン」と呼ぶ)

 イスラム教のイスマイール派から生まれたニザール派というグループに属する。
 イスラムの教えに背くムスリム、特に権力者に対しては、大麻(ハッシシ。アサシンの語源)を使用した暗殺手法で、次々に排除していった。
 

ヒズボラ(ヒズブ・アッラー=神の党)

 レバノンのシーア派組織。
 1983年10月23日に、内戦に乗じてレバノンの駐留していたベイルートの米海兵隊本部に、爆弾を積んだトラックで突っ込み、ビルを倒壊させ、241名の海兵隊員を死傷させた。
 これを機に米軍はレバノンから手を引いた。
 その後、対イスラエル武装闘争を断続し、2000年5月には1982年以来レバノン南部を不法占拠してきたイスラエル軍を追放。

組織:ハマス

 パレスチナの原理主義組織。
 (これだけしかメモに書いてなかったw)

組織:イスラム聖戦

 パレスチナの最強硬派。

宗派:ワッハーブ派

 18世紀半ばに、ムハンマド・イブン=アブドゥル=ワッハーブ(1703-1792)が創始した。
 彼は各地を遍歴するなかで、ウンマ(イスラム社会)の衰退を目の当たりにし、それは原始イスラームが中世のスーフィズム(イスラム神秘主義。密教みたいなやつ)に汚染されたからだと考え、コーランとスンナ(慣習)による純粋な古典イスラームへの回帰を目指した。
 一豪族であったサウド家のムハンマド・イブン=サウードと組んで、聖樹・聖石・聖者の廟などを破壊。(偶像崇拝だから?)
 オスマントルコのスルターン(君主)の命により、エジプト=トルコ連合軍が1818年に鎮圧した。
 まもなく復活するが、エジプト軍の攻撃とサウード家の内紛により崩壊。今日のサウード王国(サウジアラビア)が成立するのは1920年代。

パレスチナ問題 暗記用

 以下、パレスチナ問題についてメモっていたのを書き写します。
 あくまで単なる大学生のメモなので、勉強のためにはWikipedia(パレスチナ問題 - Wikipedia)を読むことをおすすめしますが。

前史

 西暦70年 ローマ軍の迫害により、ユダヤ人のディアスポラ(離散)
  ↓
 中世以降 キリスト教徒による迫害。
  ↓
 19世紀末 ロシアを中心に「ポグロム」と呼ばれる迫害。
 1897年 シオニスト会議はじまる。

第1次世界対戦(1914〜)

 オスマン帝国がドイツ側にまわったため、英・仏・露はオスマンの支配下で独立を狙っていたアラブ民族に反乱を促す。
 メッカの知事フセインが、イギリスのエジプト高等弁務官アーサー・マクマホンと往復書簡を交わし、「反乱」と「アラブ諸国の独立承認」で取引合意(フセイン・マクマホン往復書簡)
  ↓
 1916年6月 メッカのフセインは、オスマン守備隊を攻撃。このときアラブ軍に加わってイギリスとの連絡にあたったのが、「アラビアのロレンス」として知られるトーマス・エドワード・ロレンス。
しかしイギリスは、「アラブ独立」という約束を果たさない。
  ↓
 1916年5月 英仏が、大戦後はオスマン帝国の支配地を分け合うという密約を結ぶ。(サイクス・ピコ協定)
  ↓
 1917年11月 イギリス外相アーサー・バルフォアがイギリス国内のユダヤ人・シオニストグループの代表に、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人のNational Home設立を支持する」との書簡を送る。(バルフォア宣言)
 イギリスとしては、中東を支配するにあたって、植民地経営を成功させるために、イギリス側に立ってくれるユダヤ人をパレスチナに入れようとした。
  ↓
 ユダヤ人のパレスチナ移住が加速。

第1次世界大戦後

 イギリスはフランスとのサイクス=ピコ協定を重視。中東を分割統治する方向へ。
 1919年パリ講和会議では、アラブ代表ファイサル(先のフセインの息子)がシリア、イラクの独立を宣言するが、英仏は不承認。
 アラブ側が反乱するが、即鎮圧される。
 ↓
 不満を抑えるため、イギリスの制作で、広大なシリアからレバノン・パレスチナ・トランスヨルダンが分割される。
 1927年にはイギリスの承認でサウジが独立。エジプト、イランも独立。

第二次世界大戦後

 ナチスのホロコーストもあり、国際世論はユダヤ人に同情的に。
  ↓
 この流れに乗って*11、ユダヤ人のパレスチナ移住が急加速。テロもやる*12。イギリスの手にもおえなくなる。
  ↓
 1947年11月29日、国連がパレスチナ分割決議。
 これは、パレスチナの56%をユダヤ人国家、43%をアラブ国家、残り1%=エルサレムは国際管理地区とするという案。
 イスラエルは独立し、米ソはこれを支持した。
 しかしパレスチナの56%がユダヤ人のために分け与えられるという案に、アラブ人は怒った。
 

第1次中東戦争

 1948年5月15日、エジプト、トランスヨルダン、イラク、サウジアラビアが、イスラエルを攻撃。シリア、レバノンもこれに加わる。
 兵力はアラブ15万、イスラエル3万だったが、イスラエルのほうが有利に戦った。
  ↓
 1949年6月、国連の停戦決議受け入れ時に、イスラエルの国土はパレスチナの77%にまで拡大していた。
  ↓
 エルサレムは東をトランスヨルダン、西をイスラエルが管理。パレスチナの残りはヨルダンとエジプトが分割統治。
 
 

第2次中東戦争

 1952年、エジプトでナセル革命。
 ナセルはアラブ民族主義者で、英仏が経営していたスエズ運河を国有化。イスラエル船の航行を禁止し、ソビエトから武器を購入。
 これにより、エジプト⇔イギリス・フランス・イスラエルのあいだが緊張する。
  ↓
 1956年10月、イスラエルとエジプトが戦闘を開始する。
 わずか3ヵ月でイスラエルがシナイ半島を制圧。
  ↓
 長期化するとソ連が介入してくるので、アメリカが圧力をかけてイギリス・フランス・イスラエルを撤退させ、PKF(平和維持軍)を投入した。
  ↓
 なお、1964年、アラブ諸国はPLO(パレスチナ解放機構)を結成した。

第3次中東戦争

 第2次中東戦争のあとも、ユダヤ人のイスラエル移住は増える一方。
 イスラエルはゴラン高原(非武装地帯とされていた)にも入植を開始した。
  ↓
 1967年4月、シリアとイスラエルの間で銃撃戦が起きた。
 シリアはエジプトに援軍を要請。ナセル大統領は兵力をシナイ半島に集め、PKFを撤退させた。
 しかしイスラエルの専制奇襲によって、エジプト軍は壊滅。シリア、ヨルダン、イラクに対しても攻撃。その後もアラブ軍は地上戦で敗戦を続ける。
  ↓
 イスラエルは、エジプト領シナイ半島及びガザ地区、ヨルダン領のヨルダン川西岸、シリア領のゴラン高原を占領。6日間で戦闘は終結。
 ヨルダン川西岸とガザ地区はイスラエル領となり、これでパレスチナ全土がイスラエルのものになった。
  ↓
 翌年、アラファト議長率いるファタハが、イスラエル・ヨルダン国境でイスラエルと戦う。メンバーが1万人に増え、PLOを乗っ取る。アラファトが議長に。
 エジプトはPLOを承認。ソ連もこれを支援。反イスラエルのアラブ諸国と、反米の共産主義グループなども支援。
 しかし危ないので、ヨルダンのフセイン国王はこれを掃討した。PLOはレバノンへ逃げる。
  ↓
 レバノン国内で、パレスチナ人(イスラム教徒)とキリスト教徒の内戦が勃発。

第4次中東戦争

 1973年10月6日 スエズ・ゴラン高原でアラブ軍がイスラエル軍を奇襲。緒戦はアラブ側に有利に展開(ソ連の支援があったので)
  ↓
 しかしアメリカがイスラエルを支援したので、結局、イスラエルの支配地域は変わらず。
  ↓
 この戦闘後、オイルショック
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 1977年11月19日、エジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問。
 1978年 キャンプデービッド合意(米カーター大統領の仲介により)
 1979年3月26日 エジプト・イスラエル平和条約が締結され、エジプトがシナイ半島を回復。
  ↓
 エジプトはアラブ諸国と国交を断絶
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 1981年10月6日 サダト大統領が暗殺される。
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 1989年12月 ガザ地区でパレスチナ人の車両2台とイスラエル軍のトレーラーが衝突死、パレスチナ人4人が死亡する事件が起きた。
 この葬儀で暴動が起きた。これがいわゆる「インティファーダ」(抵抗運動のこと)の始まり。
 

湾岸戦争後

 アメリカが仲介しようとするが、失敗。
 国際中立国ノルウェーのホルスト外相の仲介により、
 1993年9月 オスロ合意
 1993年9月13日 ホワイトハウスでアラファト議長(パレスチナ)とラビン首相(イスラエル)がパレスチナ自治承認の調印。パレスチナ側は敵対行為を放棄することと引き換えに、1999年5月にはパレスチナ独立国家をつくろうという約束*13
  ↓
 その後、イスラエルの入植地域からの撤退が進む
  ↓
 1996年1月 パレスチナ自治区内で、パレスチナ立法評議会選挙が行われ、アラファト議長がPLO議長に。(ただし、1995年11月にラビン首相はパレスチナ自治反対派の学生に暗殺されている)
  ↓
 ペレス首相(イスラエル)就任
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 1996年 ネタニヤフ首相(強硬派)就任。イスラエル軍の撤退は中断され、ユダヤ人入植地が拡大していく。
  ↓
 パレスチナ側はテロで応じる。
  ↓
 1998年10月 米クリントン大統領が仲介に入る。(1999年5月のパレスチナ独立は断念)
  ↓
 1999年7月 バラク首相(和平派)が就任。交渉が再開したが、合意はできず。主にエルサレムの帰属問題がネックとなった。
  ↓
 2000年9月28日 イスラエルでは、リクード(政党名)の党首シャロンが、パレスチナ側が権利を主張する東エルサレムの聖地、神殿の兵を訪問。
 パレスチナ側のインティファーダが再開し、バラクは失脚。
  ↓
 2001年2月6日 シャロンが首相に。
 以降、テロ、暗殺の応酬が続く。
  ↓
 「9・11」テロ後の9月26日、ガザでパレスチナ・イスラエルの停戦合意。しかしその後も戦闘は散発し、合意は危機に。 

留意点

 これらのメモは、大学生のときに一時期、イスラムとか中東問題に関する本を十数冊買ってきてまとめて読んだときにつくったものです。
 また、Evernoteの中から、藤原和彦『イスラム過激原理主義』、中村廣治郎『イスラームと近代』、小室直樹『日本人のためのイスラム言論』、小室直樹『アラブの逆襲』といった本の要点をメモった紙もみつかったのですが、タイピングが疲れるのでテキスト起こしはやめておきます。
 井筒俊彦の本のメモが見つかったら起こしておこうとも思ったのですが、これは見つからず。岩波文庫の『イスラーム文化 その根柢にあるもの』とか、すでに古典ですよね。
 
 
 私はべつに深く勉強したわけではなくて、大学生のときにイラク戦争などが勃発し(2003年)、ニュースとかで話題になっていたのでちょっと本を読んでみた程度のものです。正確かどうかはあまり自信が持てませんので、Wikipediaとかを見てもらったほうがいいとは思いますね。
 ただ私自身は、自分でメモったものなので、これを再度書き写していると記憶が鮮明になってよかったですw

*1:捕虜を殺すのもイスラム法では認められている

*2:ここ数年、家の本棚にあるものはなるべくScanSnapでスキャンしてEvernoteに放り込み、紙は捨てるようにしています。私のEvernoteにはイロイロ放り込まれているので、自分でも何を入れたかあまり覚えてないのですが、検索で掘ると昔保存して忘れていた資料が見つかったりして、刺激になることがありますね。

*3:メモには出典(どの本の何ページに書いてあったか)もある程度書いてありましたがめんどうなので省きました。

*4:具体的にどういうものかは私はほとんど知らんけど。

*5:あまり簡単に言い過ぎると怒られるだろうけど

*6:ただ、中田考氏も言うように、大多数の民衆は単に生きていければよくて、そこまでこだわりはないのかも知れないが。

*7:私は中身を知らんけど

*8:イスラム法というのは、我々がイメージするよりもかなり根深くイスラム教徒の心理や文化を規定している。自分たちの伝統文化に則った社会を作りたいという、単純で素朴な気持ちを、想像する必要がある。

*9:これ、いまの「イスラム国」現象を理解する上でも大事な指摘だったと思う。

*10:中田考氏も、もともとイブン・タイミーヤの研究者だったらしい。

*11:元のメモでは「調子に乗って」と書いていたが、べつにユダヤ人に批判的な意味ではなく、大学生だからノリがわかりやすいように書いてたのだろう。

*12:意味がよくわからない。ユダヤ人もテロをやっていたということか。

*13:いまウィキペディアの「オスロ合意」の項と見比べたら少し違うが。

慰安婦問題は歴史のテーマとしては“マニアック”

そもそも重要な問題なんだろうか

 従軍慰安婦問題について、なんか朝日新聞が「誤報」を認めたとのことで盛り上がってましたが、個人的にはもうあまり興味がもてないですね。*1
 十年以上前になりますが、まだ私が19〜20歳ぐらいだった頃にいわゆる「歴史認識問題」が盛り上がっていて、そういう本をたくさん読みました。その頃は「マスメディアと教育によって『自虐史観』を刷り込まれてたらしい」とか思って腹が立ったりもしましたね。
 しかし1年半ぐらいそういうのを読んでると飽きてきたというか、保守系のメディアで言われてることもなんか単純すぎるような気がしてきて、「怒ったりする前にいろいろ幅広く勉強したほうがいいわ」という感じになり、論争的なものは読まなくなりました。また、9.11とかイラク戦争とかがあって、「ウヨ vs サヨとかやってる場合ちゃうやん」という感じになってきたってのもあります。


 で、今年久しぶりに慰安婦問題が盛り上がっているのを見て、まあ私も昔、読者として盛り上がってたので気持ちは分かるのですが、すでに興味が冷めているのに加えて、「そもそも慰安婦問題って、そんな重要な問題か?」っていう疑問が大きすぎて、細かい事実関係の情報とかを読む気がしないですね。
 昔、「新しい歴史教科書をつくる会」が元気に活動してた頃、藤岡信勝という学者が「朝まで生テレビ」で、次のような趣旨のことを言ってました。

 私は、従軍慰安婦問題というのは、確かに議論してもいいとは思うんですが、大東亜戦争の歴史全体から見れば小さな問題であって、中学校や高校の歴史の授業で教えるほどのものではないだろうと思います。
 歴史学にはいろいろ面白いテーマがある。たとえば日本の中世のトイレについて調べた研究とかがあって、個人的にとても面白いと思うのだが、そんなマニアックな話は大学で歴史を専門とする人が勉強したり研究したりすればいい。
 従軍慰安婦問題というのも本来はそういう種類のテーマであって、大学で専門家が大いに議論したらいいと思うが、中高の教科書に載せる必要はないでしょう。


 ・・・という話をしたところ、左派の人から「藤岡は慰安婦を便所みたいなもんだと言っている。女性の人権を何だと思っているのか」と怒られたことがある。そういう意味でいってるんじゃないだけど。


 私がおおよその意味を思い出して書いてるだけなので、実際のセリフはこの通りではないのですが、結局、こういう感覚が正常だと私は思うので、国民的レベルで議論するようなことではない気がしますね。

慰安婦問題のイメージ

 もう細かいことは忘れたのですが、たしか昔いろいろ読んだ感じだと、従軍慰安婦問題が最初に話題になったときは、「日本軍が朝鮮人女性を誘拐してきてむりやり軍人相手の売春に従事させていた」みたいなイメージで語られていたんだったと思います。それだと確かに、日本軍というのは世界的にも稀なレベルの犯罪集団だったと言われてもしかたないのかも知れませんね。
 ところが、いろいろ事実関係を検証していくとそんなことはないことが分かって、むしろ民間の事業者が慰安婦を募集して、軍人相手に商売をして儲けていただけであると。日本軍はそれを公認していて、とくに性病とかの危険があるので衛生管理はしっかりしなきゃということで、けっこう積極的に管理・監督を行っていた。そして日本軍の慰安所は、他の国の軍隊の慰安所と比較したときに、特別悪いものでもなく、むしろ規律はしっかりしている方であったのだと。
 それでも、


サヨク「いやいや、やはり軍・政府がそれを公認していたのだから、そこには広義の強制性があると言うことができて……」
ウヨク「広義の強制性って何だよ!」


 というような論争が続いていて、なんかそれ以上は読む気がしなかったので細かいことは知らないんですが、今に至るまで「日本軍は悪いことをした」派と「悪いことはしてない」派に分かれて言い争っていたようです。


 言い争うのはべつに良いんですが、少なくとも何万人も強制連行して性奴隷として虐待したみたいな事実は全く発見されていないらしいので、まずは藤岡が言うように「そもそも大して重要なトピックではない」と認識することが大事なんじゃないでしょうか。*2
 日本軍が正式な方針として、女の子をどっかから誘拐してきて軍人の性欲のはけ口として奴隷のように働かせていたとなると、日本軍ってのは他国の軍隊にくらべて酷い集団だったなぁということになって、けっこうな問題ではあります。しかしそうではないのであれば、「女性の人権ガー」という観点からいろいろ怒るのは良いと思いますが、多くの人にとっては「マニアックな話題」になるはずです。


 イメージとしていうと、まず戦争ってのは「悪」であるとしましょう。戦争が人類に良いものをもたらす面もあると思いますが、めんどうなので100%悪だとしておきます。人がたくさん死にますし。
 ↓のような図を描いて、これが問題の全体像だとします。


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 んで、私は第二次世界大戦にいたった歴史の全体的な文脈を考えると、戦争の「悪」ってものは、誰のせいでもないような面がけっこうあると思っています。帝国主義的な侵略の歴史とか、グローバル化による世界の不安定化とか、日本やドイツなどの新興国の台頭とか、金融危機とか、なんかいろいろ「歴史の流れ」みたいなものがあって、誰かが悪いっていうより運命みたいなもんなんじゃない?って思っちゃう面があるわけです。
 それが適当に、↓このぐらいの割合だとしておきましょう。適当です。


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 そして、日本が行った戦争にしても、日本が全面的に悪いということはないわけです。まぁ日本は後発の国で、ちょうど世界史的には戦争の非合法化が進められていく転換点あたりのタイミングで張り切って大陸に進出しすぎたのがまずかったよね、みたいな面はあるかも知れません。もちろん、日本が併合したり進駐したりした国の側からみれば、「おいおい西洋人に加えて日本人まで我々の国を荒らしに来たのかよ」って思う面はあるでしょう。
 しかし西洋列強がかけて来るプレッシャーもハンパなかったわけで、対米戦争にしても、オレンジ計画・ABCD包囲網・甲案乙案・ハルノートといった流れをみれば、まぁお互い様という感じか、むしろ日本は自衛のために頑張ったのだと言える面はかなりあると思います。
 なので、適当に、日本の悪を少し小さめにしておきましょう。適当です。


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 それでですよ、慰安婦問題について考えたいんですが、仮に当初言われていた「誘拐してきて〜」というのが事実だった場合、たしかに重要な問題ですが、戦争の歴史全体からみればまぁごく一部なので、↓こういう感じだと思います。


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 これでも面積大きすぎると思いますが。
 で、ここでたとえば仮の話として、「慰安婦問題はあくまで象徴的な一つの出来事であって、日本軍というのはその他にもたくさんの悪事をはたらいていたのだ」ということにすると、もう少し大きくなると思います。「日本軍は西洋列強にくらべて、極端に残虐な、犯罪者集団であった」ということになるんで。
 その場合、「日本の悪」の面積も増えて、↓こういう感じになります。


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 しかしいろいろ事実関係を調べたところ(私は調べてませんが)、日本軍はべつに、特別に残虐な集団だったというわけではないようです。
 そもそも慰安所も、単に民間の売春業を公認して兵隊に使わせていた程度の話で、しかも衛生管理や慰安婦への支払なども純粋な民間の売春業者に比べてしっかりしていた。
 であれば、↓こうでしょう。


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 もう、小さくてみえないですよね。
 しかもですよ、べつに日本だけじゃなくて他の国の軍隊にも慰安所みたいなものはあったらしいので(公式にはない軍隊もけっこうあったらしいですが、現地の売春宿に入ってたら似たようなものですね)、正確には↓こうですね。


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 さらに冷静に考えると、「日本軍が朝鮮人の女の子を誘拐して〜」みたいなことがなかったのであれば、そもそも慰安所って「悪」なのかどうかについてすら、意見が分かれてくると思います。
 「兵士向けの売春施設」について、いろいろ意見はあり得ると思います。しかしこれはもはや、明らかな戦争犯罪(非戦闘員の大量虐殺とか)のように「誰が聞いても怒る問題」ではなくなっているし、価値観によって意見が分かれ、なかなか収拾はつかないでしょう。
 イメージとしては、↓こんな感じです。


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 Q2のような状況で、あまり感情的に叩きあっても意味ないでしょう。そもそも簡単には答えが出ない問題なので。
 しかも、Q1とQ2では問題の大きさが全然違うわけです。


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 要は慰安婦問題ってのは、「日本軍が朝鮮人の女の子を誘拐しまくって〜」という話じゃなくなった以上、もはや「小さくて、しかも考え方は人それぞれとしか言いようがない問題」なわけですね。
 朝日新聞の「誤報」を叩くのはまぁいいですが(といっても、この記事に書かれているように、そもそも朝日新聞にそんな影響力あったのかよっていう面もありますが)、左派が「広義の強制性が〜」とか言うのは、べつに良いんですよ。そういう考え方もあり得るので。その考え方を保守派がいちいち批判してもしかたなくて(しても別に良いのだが)、「そもそも問題自体がマニアック」という認識が大事なんじゃないかという気がしました。


 たとえばですが、↓のような記事を見ました。
 池田センセイ、永井和はウェブサイトに「そんなこと」を書いていますよ! - 永井和の日記 - 従軍慰安婦問題を論じる
 この人が自分の「ウェブサイト」から引用したという箇所は*3、まったくロジックが理解できませんが、慰安所というシステムの「広義の強制性」に怒る人がいるのは別にいいし、「女性の人権ガー」と論じるのもいいと思います。しかしそれって、たとえば「戦時中は暴力団対策法が存在せず、ヤクザ組織が野放しだった。日本政府の怠慢だ」とか「70年代ぐらいまでクルマのシートベルト着用が義務づけられていなかったのも、政府の怠慢だ」とか怒るのと同じレベルでマニアックな怒りですよねと。
 べつに人の意見や関心は色々だからいいけど、普通はそんなとこでキレる暇があったらもっと別のことにキレるわという話じゃないですかね。たとえば、慰安所の強制性を問題視するなら、赤紙での召集に対してはその100万倍ぐらい怒らなくて良いのかよって思いますね*4。強制的に南の島とかに連れて行かれて死ぬわけなので。

*1:といいつつブログエントリを書いてるのだから、少しは興味あるのかも知れません。

*2:韓国の運動家の反日キャンペーンが〜」という問題はあるかも知れませんが、それに対処する上でも、事実関係を正確に踏まえたあとは、「他に重要な問題がたくさんある」という態度を貫くのが大事だと思う。

*3:リンクも貼ってあるが飛んでも何も表示されない。

*4:私は別に怒りませんが。

死刑制度の「象徴的機能」について

 こないだF先生と飲んでいた時に、昔、小さな勉強会内で発行していた冊子に私がディスカッション目的で書いた死刑制度論に言及されて、「そういえばそんなこと書いたなぁ」と思っていたら原稿が見つかったのでここに貼り付けておく。分かりやすいように少し改変し、最後に追記を行ったけど。
 学生だった10年近く前に、何も調べずに思いつきで書いたものだから、勉強も考えも足りないのだけど、まぁこういう面はあるよなと今でも思う。
 死刑は公開でやれとか書いていて「おいおい」って昔の自分にツッコミを入れたくなったが、しかし考えてみるとそうかもなぁとか思ったりして、結局まだまだ分からないことがたくさんある。ただ、この問題について調べたり考えたりする時間はないので、最後に簡単な「追記」を行うに留めて、課題としては先送りしておこうw

死刑制度の「象徴的機能」について(2005.12.10)

死刑制度廃止論

 十月三十一日深夜*1、就任したばかりの杉浦法務大臣が、初登庁後の会見で「(死刑執行の命令書に)私はサインしない」と言い放ち、一時間半後に発言を撤回するという騒ぎがあった。
 世論の「死刑存置支持」ははっきりしており、現在のところ「死刑制度の存廃」が国民的な議論に発展する気配はない。しかし、「死刑廃止を推進する議員連盟」というものが十年以上前から存在して法案まで用意しており、EU諸国をはじめ死刑を廃止している国のほうが多数派であることを考えると、遠くない将来、わが国でも「死刑制度の存廃」が大きな政治問題として浮上してこないとも限らない。

死刑制度の諸機能

 圧倒的な「存置支持」を示している国民世論がその理由に挙げる死刑制度の機能は、私なりに名前をつけてみれば、「抑止的機能(再犯を含め、凶悪犯罪を抑止・予防する機能)」、「応報的機能(極悪には極刑を、という道徳律を実践する機能)」、「報復的機能(被害者遺族等の報復・復讐感情を満たす機能)」といったものであろう*2
 これら諸機能のいずれに対しても、その有効性と正当性について疑義を指摘することが可能ではある。たとえば、「統計によれば、死刑を廃止した国で廃止後に凶悪犯罪が増加しているわけではない」「冤罪であった場合に後戻りができない」「復讐する権利は被害者にしかない」というようにである。
 しかしいずれの機能も、まったくのナンセンスであるとも言い難い。とくに「応報的機能」については、その有効性・正当性を否定することこそナンセンスなのではないかと私は思う。だが、これらの機能に関わる問題については、ここでは深入りしないでおこう。

見過ごされている「象徴的機能」

 私が論じたいのは、一般の死刑存廃論議のなかでは無視されている、死刑制度の「象徴的機能」とでも呼ばれるべきものについてである。死刑は一種の儀式であり、何らかの「意味」を表現しようとする行為であると捉えることも可能である。「応報」も一つの道徳律の表現だが、ここで考えてみたいのは、死刑には「人間」というものの範囲(限界)を宣言しようとするような側面があるのではないかということである。
 死刑がその他の刑罰と根本的に異なるのは、それが罪人の「精神(言語)活動」に終止符を打つという点であると私は思う。そして、言い換えればそれは、「どこまでを『人間精神』と認めるか」についての決断にほかならない。我々は、ある種の罪人の精神を殺すことによって、「人間精神」に限界線を画すのだ*3。そしてそのことによって、「抑止的機能」が目的とするところの「社会の秩序」だけではなく*4、「精神の秩序」をも維持しているのである。
 もちろん、死刑の判決や執行それ自体が、簡単に「精神の秩序」をもたらしてくれるわけではない。むしろその決断は、誤りや不完全さから逃れることができないため、我々を深刻な葛藤のなかへと導くことも多いに違いない。とくに重大なのは「人間精神の限界」をどこに設定すべきかという基準の問題であり、仮に冤罪の可能性が排除されたとしても、「あの罪人は本当に『人間』の限界から外れていたといえるのか?」という疑念はけっして完全には払拭されえないのである。

人間の条件

 だが、この葛藤と真剣に向き合うことこそ、人間が人間であるための条件であるとも言えるかも知れない。「人間」と「非人間」とを区別する決断の重圧や緊張に耐えることを通じて、我々は「人間」というものの根源的な意味を考えるのであり、自分たちがいかなる存在であるかという「アイデンティティ」が、少なくともある側面において、より強く確定されるのではないかと思う。
 そうした決断の場が死刑制度でなければならないというわけではないし、死刑のあらゆる現実のケースがそうした決断の場として機能しているわけでもない。しかし、だからといって死刑制度がその種の機能を持ちうるということを見逃していいわけでもないだろう。この、人間にとって根源的な葛藤から目を逸らし、安易に死刑廃止を唱えることは、人間であることからの逃避であるとすら言えるかもしれない。もちろんこれは、安易な理由で死刑制度を擁護する場合にも同じことが言える。
 少なくとも現在の日本の死刑制度は、その決断と葛藤の「場」として十分に機能しているとは言い難いように思える。死刑制度は、人間精神の限界を「象徴する」目的のために「公開」で行われるべきであり、それが人間にとって極限的な葛藤の場であるがために「厳格な儀式」のしつらえを必要とするのだということについても、我々は考えて然るべきではないだろうか。

死刑廃止によるアイデンティティの動揺

 さらに指摘しておかなければならないのは、「冤罪の可能性」や「刑の残虐性」を根拠にして安易に死刑制度を廃止することは、我々人間に、より苛烈な葛藤を課すことになるかもしれないということである。
 死刑を廃止するということは、あらゆる罪人の精神に「人間」の資格を与え、逆にいえば「非人間」の混沌を「人間」の世界に招き入れるのであるから、我々の「人間」としてのアイデンティティが動揺にさらされるという面もあるのではないだろうか。
 もちろん、「人間」の意味を考えたり、罪人の心理を想像したりすることを放棄した者であれば、この種の動揺とは無縁であろうし、むしろ無縁な人間のほうが多数派だろうから、死刑制度があろうがなかろうが、我々の社会が大きく変わるわけではないのかもしれない。また、死刑制度を廃止したうえで、その深刻な葛藤に耐えていくという選択もあり得る。しかしそのためには、宗教者のように厳格でありながら寛容な精神を多くの者が持つ必要がある。
 少なくとも、死刑制度廃止論を唱えるのであれば、死刑が何らかの「意味」を象徴的に表現することによって保たれている「人間精神の秩序(あるいはアイデンティティ)」についても考えておくべきだし、もしかすると死刑廃止には、極度に弛緩した精神か強靱な精神のいずれかが必要とされるかもしれないということを、考慮しておくべきだろう。

追記(2014.9.6)

 「死刑制度によって、『人間精神』と認める範囲に限界を設ける」という発想にもいろいろと危険性や問題がある。
 一つは、精神が錯乱した者は殺されねばならないのかという問題だ。言い換えれば、我々が「人間らしい」と思える範囲から外れる精神を持つ者は、死刑囚の他にも存在するのだから、「死刑は人間精神の範囲を画するためにある」という説には一貫性がないのではないかという点である。
 二つ目の問題は、死刑によって罪人を現世から追放したところで、彼が言い残した言葉や書き残した言葉は我々の手元に残るということだ。また、彼の行為についての記憶を消し去ることもできない。つまり我々は、死に値する罪を犯した者を、「人間」の外へと完全に追いやることができないのである。
 三つ目の問題は、教育刑の発想で、「非人間の精神」を「人間の精神」へと矯正する努力をすればいいのではないかとも言えるということである。
 一つ目の問題について言うと、少なくとも今の日本社会では、精神が錯乱していると認められる場合には刑を免れることになっているので、我々は「錯乱」については人間のひとつの可能性として認めることにしているのだろうし、そうあるべきだと思う。そして逆に、正常な判断力の下である範囲を超えて深い罪を犯した者の精神については、人間のものとは認めがたいと考えて、死刑に処するのである。
 二つ目と三つ目の問題について考えると、死刑制度の意義に関する解釈として、「人間精神として認める範囲を画定しているのだ」という理解では単純すぎるように思えてくる。むしろ、その罪人の犯した行為に関する記憶や、彼に対する裁判という儀式や、死刑の執行という出来事が、一連の物語として象徴するところの意味について考えなければならないのだろう。
 死刑にはある重要な「意味」を表現する象徴的儀式としての側面があるということその意味が「人間のアイデンティティ」に関わるものであること、そして「罪人の精神活動に終止符が打たれ、彼が言葉を発することがなくなる」という点に死刑制度の重みがあることには、私はある程度確信を持っている。しかしそれは、人間と非人間のあいだに鉛筆で線を引くような簡単な話ではないように思えるし、同じ死刑といってもケースによってそれが「意味」するところは様々に異なるだろう。
 ポストモダンの思想家で、こういうことを分析している人がいるのかも知れない。

*1:2005年の話。

*2:これは大学の一般教養の法学の授業とかで出てきた議論を思い出しながら書いているような気がする。

*3:全体的に、「人間」というべきか「国民」というべきかをあまり厳格に意識せずに書いている。

*4:死刑があってもなくても犯罪率はあまり変わらないという話は読んだことあるが。