The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

石川啄木『時代閉塞の状況・食うべき詩 ほか十篇』

(2018.2.22追記 とあるメルマガに、このブログに書いたのと同じような内容の文章を書きました。パクりじゃねーのと思う人がいるかもしれないので、注記しておきますw)

 啄木の歌集は素晴らしいが、彼の文芸・社会評論もなかなか面白い。明治40年代の文学界や思想界の状況など私はほとんど何も知らない。しかし知らないなりに多くの刺激を受けることができる。
 この文庫本には12編の評論・エッセイが収められている。表題作品の「時代閉塞の現状」と、「性急な思想」、「弓町より──食うべき詩」、「所謂今度の事」は青空文庫で読める(↓)。


http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/814_20612.html


 『時代閉塞の現状』について
 魚住折蘆とかいう人が、朝日新聞に「自己主張の思想としての自然主義」という論文を書いた。個人主義的な「自己主張の思想」と運命論的で自己否定的な「自然主義」は、一見矛盾するかに思えるが、この両思想が「共通の怨敵たるオオソリテイ──国家」と対抗するという点で結びついていたのだという。


 これに反論すべく啄木は「時代閉塞の現状」を書くのだが、結局朝日新聞に掲載されず、生前は未発表のままに留まったらしい。啄木に言わせれば、「自己主張の思想」も「自然主義」もともに、というより日本人そのものが、未だかつて「国家」という強権にケンカを売ったことはない。一度もである。そして今日の──といっても明治40年代だが──多くの日本人、とくに実業界の人々は、「国家は強大でなければならぬ。帝国主義で結構。ただし私自身は国のためなどとは考えず、一生懸命もうけるだけだ」というぐらいに考えている。


 我々は「理想を失い、方向を失い、出口を失った状態」(p.115)にある。自然主義という思想運動はたしかに存在したが、それも理論上の終わりを告げて──この辺りは私にはよく分からない──、「今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである」(p.115)。自己主張の欲求が、小説や詩や歌においても、淫売買など文化的に俗悪な方向に向かって「全く盲目的に突進している」(p.118)のである。


 自己主張の思想からも、自己否定の自然主義からも、そもそも「理想」などは出て来ようがない。我々は「この時代閉塞の現状に宣戦」(p.118)して、理想を取り戻さねばならない。


 「明日の考察! これ実に我々が今日において為すべき唯一である。そうして総てである」(p.118)と啄木は言う。そして、我々の目指すべき明日の理想とは? とにかく「一切の空想を峻拒して、そこに残る唯一つの真実──『必要』! これ実に我々が未来に向って求むべき一切である」(pp.120-121)。


 ここで「必要」と言っているのは、単なる物質的な意味での「必要」(カネやメシ)のことではないだろう。たしかに啄木は貧乏であった。そして貧乏なまま27歳のときに結核で死んでいる。しかしここで言う「必要」は、おそらく非現実的な「空想」や「空論」に対する対義語だ。「我々の“現実”の生活を少しでも立派で美しいものにするために、是が非でも“必要”なものは何か」というふうに考えてみろ、というメッセージである(と私は思う)。


 『所謂今度の事』について
 大逆事件で幸徳秋水が処刑されたことについて論じた『所謂今度の事』という評論も、朝日新聞に掲載を拒否されたという。「無政府主義者(アナーキスト)というのは、極端な行動に走る奴が多いが、思想の内容自体は以外に穏当ですよ」というような論文で、これがなぜ掲載拒否されるのかはよく分からない。まぁ、そういうよく分からない時代だったのだろう。


 『食(くら)うべき詩』について
 表題作品の二つ目、『食うべき詩』というエッセイでは、「詩」というものについて啄木自身がこれまでいかなる思いを抱いてきたかを振り返っている。


 啄木は、虚飾・虚栄の気味のある詩人、「我は詩人なり」と自惚れる詩人、文学を何か高尚なものと勘違いしている詩人は、「極力排すべきである」(p.64)という。それどころか、「最も手取早く言えば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する」(p.63)のだという。


 『ガラス窓』というエッセイのなかでは、「地方にいて何の為事も無くぶらぶらしていながら詩を作ったり歌を作ったりして、各自他人からはとても想像もつかぬような自矜を持っている、そして煮え切らぬ謎のような手紙を書く人達の事を考えると、大きな穴を掘って、一緒に埋めて了ったら、どんなにこの世の中が薩張(さっぱ)りするだろうとまで思う事があるようになった」(p.109)とまで言っている。


 啄木にとって「詩」や「歌」というのは、教養を気取って格好をつけるためのものではなく、いわば地べたに生きる人々の生活必需品のようなものでなければならなかったのだ。


 だから、「詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に『人』でなければならぬ。第二に『人』でなければならぬ。第三に『人』でなければならぬ。そうして実に普通人の有(も)っている凡(すべ)ての物を有っているところの人でなければならぬ」(p.64)というわけである。


 評論を読んでいると啄木はなかなか過激な人で、この文庫本に所収されている他の文章でも、田山花袋には「人としての卑怯があると思う」(『きれぎれに心に浮んだ感じと感想』)とか、「田山氏の人生観にはまだまだ幼稚と不聡明と不統一とがおびただしく含まれている」(『巻煙草』)と言ってみたり、永井荷風に対しても「巴里に去るべきである」(『きれぎれに〜』)と言ってのける。同時代を代表する大作家たちにこれだけ遠慮なく噛み付くのだから、


 はたらけど
 はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
 ぢつと手を見る


 といった歌を詠みつつ死んでいかざるを得なかったのもわかる気がする……。