Abema TVの「Abema Prime」という番組で、オウム真理教でかつて「アーチャリー正大師」と呼ばれた麻原彰晃の3女*1のインタビューがあり、前編はみた。
後編は5/22に放送されるらしい。プライム会員になっていれば、タイムシフトで今も前編を見れる。
元アーチャリーはどういう人生を送っているのかというと、11歳のときに父の麻原が逮捕され、その直後は後継者指名されていたので形式的に教団トップになったものの、「子供のくせに」とか「親の七光り」とか教団内部でも批判されて、世間からも批判されるので大変だった。
それで嫌になってきた頃、ふつうに学校に行ける土地が見つかったとのことだったので移住したが、小学校を出ていなかったので中学校に入れてもらえず、特別教室で勉強していた。その後自殺未遂とかいろいろあったが、中学校の卒業検定試験を受けて高校に進学した(番組では出てこなかったが大学にも行っている)。
16歳のときにアレフが発足したが、このとき教団とは縁をきることに決めて、所属もしていないし教団に行きもしないしお金も受け取っていない。6人兄弟のうち2人と同居していて、バイトで生計を立てながら、2015年に手記を書いて出版した。
さてこのAbemaの番組の方向性は、アナウンサーの堀潤氏の「犯罪加害者の家族の人権の問題を考えたい」というコメントに象徴されるように、よくありがちな逆張り路線であった。「アーチャリーが人を殺したわけじゃないのに、社会から迫害されてきたのはかわいそう」「小学校の教育を受けてなかったのに、苦労して高校・大学を卒業したのは偉い」みたいな綺麗事が繰り返されている。
まぁその綺麗事には正しい面もかなりあるし、悪いことをした人の家族を迫害するのは日本社会の野蛮性の発露であることは間違いないと思うのだが、単にそれを野蛮だと言って「人権ガー」と騒ぐのはなんか個人的にはノリ切れない。
一方、2015年に日テレのNEWS ZEROという番組が元アーチャリーのインタビューを取っており、ネットで違法アップロード動画とかを探したい人は探せばいいと思う。元アーチャリーが手記を出版した直後に放送されたやつだ。
こちらの番組は、どちらかといえばその「野蛮」寄りの内容で、「犯罪者の娘として反省と謝罪が足らんぞ」みたいな論調でアーチャリーを叩いている。これはこれで、逆に野蛮すぎる気がしてノリ切れない。そもそも、インタビューに応じてもらっといてスタジオで叩きまくるのって、品がないような気もするし。
日テレのほうのインタビューで、元アーチャリーは概ね、
- オウムが事件を起こしたということは、だいたい理解した。
- 自分を大切にしてくれた人、自分にとっても大切な人たちがひどい事件を起こすのは信じられなかったが、その事実を少しずつ受け入れていった。
- 殺人やテロを麻原が指示したという点については、本人の口から聞くまでは自分のなかで保留している。
- 被害者については、なんでオウムのせいでこんな苦しみを受けなければならないのかと思うと、何と言っていいか分からない。
- 16歳以降、教団とは全く関わりがない。
というようなことを語っているのだが、これに対してスタジオのコメンテーターが全員で、「被害者に対する謝罪の言葉がない」「これだけ情報があるのに、麻原がやったか分からないとはおかしい」みたいな感じで叩いていた。
番組への感想をまとめたブログ記事があって、概ね番組の雰囲気を伝えていると思う
ジャーナリストの岩田公雄という人は、結局何がいいたいのか分からないコメントをしていたのだが、雰囲気としては「アーチャリーは本を出したりしてるが、教団の悪についての追究がまだまだ足りない」といいたげであった。
次に弁護士の紀藤正樹という人が、「私はアーチャリーを裁判所で尋問したこともあるんです。今回、実名と名前を出してインタビューに応じたというのは彼女にとって成長の過程だと思うんですね。彼女も被害者っていう側面はあったと思うんです。ですけども、やはり11歳とか12歳という段階はね、私が子供のときをみても、その段階で誰かをイジメたら、大人になって悪かったなって謝るようなことってあると思うんですよね。彼女自身も、松本智津夫死刑囚の側近として、手足として指示をする、教団の信者あてに指示をする役をやってたんですね。ですから、その中では、独房修行をさせられた信者もいるし、暴力を振るわれた子供さんもいらっしゃる。アーチャリーがやったというふうに証言されている人もいるんですね。そういう人に対する謝罪の思いとかですね、そういうのは本の中から出てこないんですよね。ですからそこがすごく、まだ超えられない壁があるんだなと思います」と述べていた。
続いて読売新聞特別編集委員の橋本五郎という人は、「衝撃的なのはこれが化学テロだったこと。それからこの平和な日本で国家を転覆しようとして、人を殺してなんとも思わないような人がいたということ。そのことを書いてないというのは相当深刻なことですよ。個人のレベルでどうこうじゃなく、もっと国家としてどうしていくか考えないといけない、そういうものを残していると思いますね」とコメントしていて、最後の一文は完全に意味不明なので無視しよう。
そしてアナウンサーの政井マヤという人が、「整理されていない危うさを感じる。彼女が今のアレフや、麻原の意思を引き継ぐような人に利用されないことが大事」と述べたところで、またさっきの弁護士が出てきて、「それ大事な指摘なんです。三女・松本麗華さんの本というのは、結局、『松本智津夫死刑囚がやったかどうかは分からない』と言ってるんですね。それってまさにアレフが言っていることを代弁してるんですよ。この本はきっと利用されるでしょうね。彼女は、アーチャリーという存在の影響力にまだ気付いてないというところがですね、やっぱ彼女が超えられない壁っていうのがもう一つあるんですよ。アーチャリーっていう自分の与えられた使命みたいなものを、捨てないといけないですよね。捨てた上で、自分の行ったことも含めて全部明らかにして初めて彼女の成長があるんです。そうなれば我々だって応援してあげたいんですけどね」
この弁護士の人のコメントには異様なものを感じた。まず、揚げ足取りかもしれないが、最後の「与えられた使命みたいなものを捨てないといけない」というのは完全に意味不明だ。少なくとも16歳ぐらいからは教団と縁を切っていて、何の使命も果たそうとしていないのは明らかなのだから、捨てろと言われても何を?って話だろう。
まぁそれはそれとして、一番気になったのは、犯罪者でもない人のことを弁護士が悪人呼ばわりして、「謝れ」とか「もっと成長しろ」とかテレビで断罪するのって、けっこう珍しいんじゃないだろうかということ。
元アーチャリーは物心ついたときから変な教団施設に入れられていたわけだから、少なくとも当時は一般的な道徳心が育っていなかった可能性はあり、しかも教団内で地位を与えられていたわけだから、変な指示を出すのに加担した形になっているケースは、あってもおかしくは無いなとは思う。
しかし、法律を扱うのが本業である弁護士が、その法律の世界において結局裁かれることもなかった人間のことを、テレビで「お前も犯罪者の一味だろ」みたいに叩いている姿って、けっこう異様なのではないだろうか。
いやまぁ、そういうキャラで生きてるんだったら別にもういいんだけど・・・。
上のブログ記事が言ってる「インタビュアーの『一方的に振りかざす正義(のようなもの)』に強く疑問を感じただけの企画でした」という感想を抱く人はけっこういるんじゃないかとは思った。
*1:以下、「アーチャリー」とか「元アーチャリー」とか深く考えずに適当に呼びます。