ペギー葉山の「南国土佐を後にして」という歌はけっこう好きなほうです(YouTubeの動画へのリンク)。
【2015.1.12追記】
JASRACからはてな経由で削除要請があったので、歌詞を消しました。
本エントリ後半の「鯨部隊バージョン」についてはJASRAC関係ないと思うのでそのままにしておきます。
ペギー葉山バージョンの歌詞は↓のサイトで確認してください。
南国土佐を後にして - ペギー葉山 - 歌詞 : 歌ネット
名曲には違いないし、私もたまに聴きますが、この歌詞は少々不自然だなぁと思っていました。都へ出てきた人間が、なんで焚き火を囲んで声張り上げてヨサコイ節を歌うんだろうとか、「励んだ後で」って何なんだよとか。
故郷の思い出を回想しているという設定は分かるんですが、どうも繋がりがしっくり来ないなと。
で、ありがちな話ですが、これはもともとは軍歌だったようです。
昭和3年生まれの元軍人の方が作っている(!)下記のウェブサイトで紹介されているように、高知県で編成され中国戦線に展開した歩兵隊、通称「鯨部隊」の部隊歌として歌われていたらしい。
ペギー葉山版では「都へ」となっているところは「中支に」であり、「月の浜辺で」は「月の露営で」であり、「わたしも負けずに励んだ後で」は「俺も負けずに手柄を立てて」になっています。
土佐の人と歴史・散歩
http://www.geocities.jp/syo_suke_jiji/tosa.html
「よさこいと兵隊」(「鯨部隊」部隊歌)
1.南国土佐を後にして 中支に来てから幾とせぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
〜土佐の高知のはりまや橋で 坊さん簪買うを見た〜
2.月の露営で焚火を囲み しばしの娯楽のひと時を
俺も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
〜みませ見せましょ浦戸を開けて 月の名所は桂浜〜
3.くにの父さん室戸の沖で 鯨釣ったという便り
俺も負けずに手柄をたてて 歌うよ土佐のよさこい節を
〜言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる〜
よさこい よさこい
(略)
戦後若者たちは、折にふれ集まっては酒を酌み交わし、この歌を合唱した。
「南国土佐を後にして」の歌には、挙って合唱するに相応しい県民のこの想いがこもっているのである。それは、
去る昭和14年、日中戦争の激化に伴い新編成された第40師団(通称「鯨」兵団)に所属し、 高知で編成された歩兵第236聯隊(鯨236部隊)は、爾後終戦に至るまで多くの犠牲を払いながら、広大な中支・南支方面を転戦した。 その戦塵の中で兵士たちの心を癒したのが、この「よさこいと兵隊」の歌である。
それは兵士たちの暫しの憩いの時に自然に生まれ、彼らはこの歌に望郷の思いを托して、露営の焚火を囲んで合唱した。戦陣の長期化に伴い順次交代帰還した兵士たちが、この歌を郷里に広め、いつの頃からか私も口ずさむようになった。
(略)
「ペギー葉山バージョン」よりも「鯨部隊バージョン」の歌詞の方がはるかに良い。わずかな違いですけど、趣旨が全く変わりますからね。ペギー葉山バージョンは“無理矢理”作った歌詞だということが実感できます。
カラオケでも、次からは「鯨部隊」バージョンで歌おうと思います。単なる「ご当地ソング」と思って歌うのと、兵隊さんたちが中国の戦場で故郷・土佐の浜辺を思い出しながら歌ったんだと思って歌うのとでは、感慨が全然違いますね。