この『幸せの力』(原題は“the Pursuit of Happyness”で、ハピネスの綴りが間違っているのはわざと)は実話をもとにしているらしい。
商売に失敗して奥さんに逃げられ、幼い一人息子を連れて(家賃が払えないため)住処を追われながら、奇跡的に投資会社のインターンシップに参加できることになって、これまた奇跡的に正規採用にまでこぎつける黒人の話である。 駅のトイレの床にトイレットペーパーを敷いて息子を寝かせなければならないほどのドン底からはい上がっていく、壮絶な“就活映画”だ。
映画では正規採用の決定までしか描かれていなかったが、この主人公のクリス・ガードナーという人は、その後投資で大成功して独立し、今では億万長者になっているようである。
どちらかと言えばつまらない作品で、予告編を見たときに想像できる以上の意表を突いたストーリー展開があるわけではない。ごくありきたりの「アメリカンドリーム」ものだと言っていいだろう。
映画の筋そのものよりも、映画のなかに出てくる以下の寓話のほうが印象に残っている。
「一人の男が海で溺れていました。一隻の船が通りかかり、船長が『助けてやろう』と言いましたが、男は『いや、私は神が救って下さると信じている』と言って断りました。しばらくして、また別の船が一隻通りかかり、船長は男に『助けてやろうか?』とききましたが、男はやはり『私は神を信じている』と言って断りました。結局、男は溺れてしまって天国へ行くことになりました。男は、『神よ、なぜ私を救ってくださらなかったのか!』と訴えます。すると神は答えて言いました、『いや、船を二隻出してやったのだが』」
──映画のなかで、主人公に手を引かれながら息子が嬉しそうに「お父さん、この話面白いでしょ?」といって語った寓話である。
この寓話はすばらしい。一人の人間の人生にも、一つの社会の歴史にも、「あのときがチャンスだったのに……」という後悔はつきものである。人間の視野は狭いのだ。我々の自己認識、状況認識のほとんどは、この溺れる男の信仰心のごとく滑稽な“思い込み”に過ぎないのかも知れない。
息子は、たぶん託児所かどこかで誰かから聞いた話を、無邪気のうちに語っただけで何の悪気もない。しかしこれが主人公の耳には痛々しく響くのだ。なぜなら主人公は、目先の入用を満たす仕事なら他にいくらでも見つかりそうなのに、妙なこだわりと「俺はデキる男だ」という思い込みがあって、投資会社の正規採用を目指すという無謀な挑戦──インターンシップ期間中の6ヵ月は無給で、しかも20人の参加者から1人しか正規採用されない──をせずにはおれず、その結果として野垂れ死に寸前の状況に自らを追い込んでいるのだからである。
(主人公がこの寓話をそういうふうに受け止めているという描写は、映画のなかにはないのだが。)
主人公のクリス・ガードナーがこの寓話をたまたま息子の口から聞いたというのは、恐らく本当のことなのではないかと思うが、どうだろう。ありそうな話である。
またもうひとつ印象的だったセリフ。
「私はトーマス・ジェファーソンのことを思った。彼が書いた独立宣言には『幸福追求(the pursuit of happiness)』の権利という言葉が出てくるが、彼はなぜわざわざ『追求』という言葉を付け加えたのだろう。誰もが容易に幸せになることは許されないということか?」
──正確には思い出せないのだが、だいたいこういう趣旨だったと思う。