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The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。このブログの裏で始めた統計&プログラミングのブログのほうがアクセスが伸びてしまい、こっちが裏みたいになってます。

田母神俊雄氏の昔の主張の問題点(『自らの身は顧みず』及び「田母神論文」について)

自らの身は顧みず

自らの身は顧みず


 5年前に、田母神俊雄氏の著書『自らの身は顧みず』が出版されたて話題になったときに、いわゆる「田母神論文」とあわせてレビューした文章というかメモがあったので、不要なところを削るなど少し修正して掲載しておきます。ブログに載せて、なんかややこしいと思って一回消したんですよね(笑)


 以下、5年前に書いたメモです(少し改変してます)。


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 田母神氏の著書『自らの身は顧みず』が、相変わらず売れまくっているようです。現在16位(2009年1月当時)で、「このレビューが参考になった」の投票の勢いも凄まじいですね。
 ちなみに例の「田母神論文」はこちらで読めます。
 http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf


 箇条書き形式で、思ったことをまとめておこうと思います。
 以下、田母神氏の主張を引用し、それに続けて私の思ったことをメモしておきます。

 戦後サヨクの「自虐史観」はおかしい(大意)


 これについて具体的にはいろいろ言ってますが、聞き飽きたテーマだし面倒なのでひとくくりに。
 まぁ、中身はだいたい正しいんでしょう。しかし内容がほとんど、昔の「つくる会」系統の論者の本を引き写しただけという感じで、読むに値するものではない。また後述の通り、陰謀史観を持ち出してるあたりは勘弁してって感じでした。

(懸賞論文で)私が主張したかったことは、我が国は古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国であり、決して侵略国家などではないということである。当時の列強との比較で言えば、我が国は極めて穏やかな植民地政策を実施し、国際法に則って行動していたのである」(6~7頁)、「日本が侵略国家だったなどというのはまさに濡れ衣だ。日本と言うのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史に誇りを持たなければならない
。(69頁)


 サヨクの自虐史観に反論したい気持ちはよく分かります。
 しかし、「侵略か、自衛か」とか「素晴らしい国か、素晴らしくない国か」という二分法が前提されているところは、ちょっと子供じみている感じがします。*1


 明治~昭和の日本の戦争が全くの「侵略戦争」でなかった(自衛性を伴っていた)のは確かでしょうし、植民地の統治が欧米に比べて遥かに穏健だったことも確かでしょう。しかしそれは「侵略性ゼロ」を意味するわけではなく、「濡れ衣」は言いすぎ。
 そもそも、「侵略国家か否か」などという単純な二分法で国家を評価するという発想が間違ってます。
 ちなみに日本の保守派においては、「侵略性があった」という批判に対して、「侵略したのは日本だけじゃなかったんですぅ」という言い訳が準備されています*2。言い訳になってないと思うけど。中西輝政氏がまさに、「日本『だけ』が侵略したわけではない」という指摘こそが田母神論文の歴史的意義なのだと、大いに讃えていました。
 さらにもう一つ、「日本はじつは共産主義者とアメリカにはめられた、被害者だったんですぅ」という言い訳も準備されています*3。もちろん、これもある程度まで正しいと思いますけど、行き過ぎると後述の「陰謀史観」になりますね。

私は「日本の国はいい国だ」と言ったら、一体何を言っているのか、けしからんということで解任された。すると野党民主党は、この国をいい国だと言うような者を何故航空幕僚長に任命したのか、その任命責任を問うと言っている。与党も野党も、航空幕僚長には日本はろくな国ではなかったと言うような人物を当てよと言っていることになる。これはどう考えてもおかしい。(75~76頁)


 子供じゃないんだから「日本は素晴らしい国です!」なんて叫ぶのは恥ずかしいからやめてよって思っています。こう言うと保守派の人は怒るのですが、個人的にはやっぱ好きになれないですね。
 そもそも、「素晴らしい国だから愛する」というのは愛国心の根拠としては脆弱だし、その理屈だと韓国人も中国人もアメリカ人も日本を愛さなければならんっていう話になってしまう。
 それに、田母神氏が憂えているように、戦後日本がだらしのない国になってしまったというのが事実だとすれば、そもそも日本という国が「優れた伝統を持つ素晴らしい国」ではないことの証拠かも知れないじゃないか(笑)
 むしろ「日本人というのは、一回戦争に負けただけで腑抜けになってしまうという、極めて劣等な民族なので、今後いっそう努力しなければなりません!」という立論の方が、はるかに愛国的かも知れない。
 「日本は素晴らしい国なんだ。なのにサヨクは、日本は悪い国だと言っている!」ってのは、保守派がみんな主張してきたことです。しかし、少々まともなサヨクからしてみれば、「いやいや、私はあなたのように単細胞ではないので、『いい国か悪い国か』なんていう子供じみた議論をする気はそもそもなかったんですけど……」と言いたいところなんじゃないでしょうか。

日本は十九世紀後半以降に朝鮮半島や中国大陸に軍を進めていたが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を配置したことは一度もないのである。日本は日清戦争、日魯戦争などによって合法的に権益を得てこれを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。(90~91頁)*4


 これについては、評論家N先生の指摘を聞いてなるほどと思ったんですが、そもそも歴史を語る上で「条約に基づいているからOK」というのは、子供じみた杓子定規の世界です。たとえば、条約締結に至るプロセスにパワーを背景にした「押し付け」があったら(というか、普通はある)、「法的に抗議することはできないけど、道義的に言って、あのやり方は酷かった!」と判断するのが普通でしょう*5
 法や契約の始原には必ず、強かれ弱かれ「暴力」が存在するというのはほとんど常識です*6。もちろん、「暴力によって秩序が生まれたので、まあ良しとしよう」という判断は大いにあり得る(というか、ほとんどの場合そう判断される)ので、暴力があったから悪いという話ではない。でもやはり、だからと言って暴力の記憶を簡単に葬り去っていいとも限らないわけです。そういう「微妙」な議論をすることこそが歴史の面白さなのに!って思います。

(日本の行った軍事行動は)現代の価値観からすればいろいろ批判することが可能だろう。だが、当時とすれば不思議なことでもなんでもない。(90頁)


 これも保守派のお得意の理屈ですが、現代の価値観からして悪いことなら、それはやっぱり「悪」である可能性があります。E・H・カーが言うように、歴史というのは「現代と過去との対話」なのだから、現代の基準で一方的に裁断するのも良くないし、かといって、当時存在したルールに反していなければ全て道徳的にOK!というのもおかしいわけです。
 当時は「侵略」そのものがある程度お咎めなしの時代状況だったわけだから、その状況の中で侵略を行った特定の日本人の判断に、道義的な責任はない(と主張できる可能性はある)でしょう。しかし「侵略OK!」なんていうのは、その時代のルールそのものがおかしいのであって(笑)、全く悪いことをしていないとまでは言えないでしょう。あと、第一次大戦以前ならともかくとして、1920年代から40年代というのは、「侵略OK!」時代から「侵略ダメ!」時代に転換していく曲がり角だったと考えたほうがいいと思うので、「当時の価値観では〜」というのは無理が出てくる可能性もあります。
 「あの頃はみんなおかしかったんだよねぇ~」ぐらいに言っておくのはいいと思うし、「その狂った時代の中で、日本は比較的まともに振る舞ったと思う。たとえば~」という議論なら面白いと思います。

(国会で)二度に渡って発言を制限された。(71頁)


 この他にも、「俺にだって言論の自由があるじゃないか!」的なルサンチマンめいたもの言いは満載されています。「自衛隊にもっと発言権を」という主張は大いに理解できますが、「わたし、発言を封じられましたぁ!」とか被害者面するのって、あまり格好が良いとは思えないなぁ……。

不磨の大典となった「村山談話」(第4章のタイトル)


 事あるごとに「村山談話」が持ち出され、変更される兆しもないことに対する批判は正しいと思います。

制服自衛官に名誉を(188頁)


 もっともです。

走るのが早(ママ)く、勉強もできたことから幼いころからクラスでは人気者だった(145頁)


 自意識過剰です(笑)

防御のみを考えていては防御それ自体が一歩遅れてしまう。(156頁)


専守防衛では抑止力にはならない。日本が絶対に先に手を出さないことが分かれば、相手は絶対に勝てる状況になるまで自分のペースで準備ができる。主導権は常に相手の手中にある。(184頁)


核兵器を持たない国家は最終的には、核兵器保有国の意志に従属せざるを得ない。……例え核兵器の所有はしなくてもいつでも保有する姿勢を示すことで大きな抑止力となる。(184~186頁)


武器輸出禁止についても日本企業の手足を縛っている。……防衛関係費の減少傾向も相まって、日本の防衛産業は極めて厳しい経営状況におかれている。……防衛産業なしには戦力発揮ができない(187頁)


 この辺はさすがです。田母神氏の存在意義はこういうところにこそあるわけです。
 どんどん言ってくれ!

私は、イラク派遣自衛官は様々な意味で日本を救ったと思う。特に日米同盟に果たした役割は極めて大きかった。(182頁)


 いや待ってくれ!
 これは自衛官のせいではないですが、そもそもイラク戦争自体がまったく道義のない戦争だったわけで、単純に讃えることはできないはずです。そのことを指摘しないんだから、やっぱ所詮親米派なのかなぁ。

アメリカはお人好しで日本に駐留しているのではない。したがって、アメリカとしては日本が今後ともアメリカに依存する方向に手を打って来るであろう。その一つが、米国製の兵器を日本に購入させ、使わせることである。(174~175頁)


日米安全保障条約は我が国の安全にとって極めて重要であるが、国の守りをアメリカに依存していては、アメリカの国益に反する行動はできない。アメリカに振り回されないためには、日米同盟の前提として日本の力で日本を守れる体制がどうしても必要である。(176頁)


 これは当然の指摘ですが、だったらなんで田母神論文で「親子関係」発言(アメリカは日本の親)が飛び出したのでしょう?
 あんなもの、「筆が滑った」では済まないはずです。
 まぁ、上記のようなことを指摘しない連中よりはマシですけど。

アメリカによる占領政策は、日本が二度と再びアメリカに戦いを挑むことがないように、徹底的に日本を改造するものであった。『ウォーギルトインフォメーションプログラム』と呼ばれるものである。(33頁)


 ついでにこれにも触れておきましょう。占領政策を受け入れさせるべく、米軍が情報統制等を徹底的に行ったのはよく知られた事実です。しかし「日本人はマインドコントロールされたんです!」的なことは、あまり強調しすぎない方がいいと思います。大いに占領軍を歓迎し、喜んで支配を受け入れたという、当時の日本人たちの家畜のような従順さの問題を見逃してしまうからです。
 山田風太郎の『戦中派不戦日記』なんかを読むと、ほんとに戦争に負けたすぐ後に世論がコロッと「軍部批判」と「アメリカ礼賛」にひっくり返った様子、そしてそれに憤っている風太郎の心情が、リアルに描かれていて面白いです。アメリカの洗脳を受けるまでもなく、日本人はひっくり返ったんですよ。(アメリカによる情報統制で、それが加速はしたでしょうけど。)

コミンテルンにとっては、日本と中国国民党との戦争を泥沼化させ、中国共産党革命を実現するという謀略にまんまと成功したのではないか。……コミンテルンの謀略はアメリカにも及んでいた。……ソ連を盟主とするコミンテルンは資本主義国同士を戦わせるなかで世界共産主義革命を図ろうとしたのである(93~96頁)


 出ました、陰謀史観です。これが最大のテーマです。
 私は、田母神氏の陰謀史観は、下記3つの理由で、却下されるべきと思われます。


 《事実認識の誤り》
 まず田母神氏の陰謀史観が事実認識として間違っている点については、秦郁彦氏が『Will』(2001年1月号・2月号)誌上で具体的に指摘しています(めんどくさいから個別の紹介は省略!)。秦氏は「つくる会」系統の歴史学者のなかでは一番まともというか、そもそも無頼派で「なかよしグループ」的に保守論壇に同調したりはしないので、よく知らないけどなんとなく信頼してます。*7


 《陰謀だからといって日本が免罪されるわけではない》
 陰謀論が仮に正しかったとしても、「だから何?」って話なわけです。
 以下、秦氏の指摘をそのまま引用します。

 (田母神氏らの陰謀史観は)おおざっぱに要約すると、“コミンテルン(=ソ連共産党)がルーズベルト大統領(米)、蒋介石総統(中国)、近衛文麿首相(日本)をだまし、さらにル大統領が日本をワナにかけた”という構図になろう。ではだましたほうが悪人で、だまされたのは善人とすれば、二重のワナにはめられた日本は免罪されるのに必要で十分な条件を獲得したのだろうか。
 だが、1930年代から40年代にかけて(今でもそうだが)、わが国の書店にはコミンテルン、ユダヤ、秘密結社フリー・メーソンなどの陰謀を警告したり、本当に悪いのはイギリスだというたぐいの本が並んでいた。小学生だった私も、わくわくしながら何冊かを読んだ記憶がある。
 近刊の西尾幹二『GHQ焚書図書開封』にはこの種の図書もふくまれているが、無知のゆえではなく、知りつつだまされたのでも免罪してもらえるのだろうか。
 国際政治は、だまし、だまされつの世界だというのは今も昔も変わらぬ常識で、別表の陰謀史観(※秦氏が、田母神、中西、渡部の陰謀史観の検討結果を表にしたもの)が正しいとしても、だまされたのは愚かだった、次はだまし返そうとリベンジを思いめぐらすだけの話で、泣き言は禁物なのである。

『Will』2009年2月号より


 おっしゃるとおりだと思います。
 それにしても、当時から陰謀論があったんですね(笑)
 面白い指摘です。


 《「陰謀史観」の構造の問題》
 私は一般論として、陰謀史観・陰謀論というのは、具体的な個々の情報が正しいか間違っているか以前に、議論の作法・方法論において構造的な欠陥を持っていると思っています。最大の欠陥は、特定の人物や集団の意図に過度に依存した説明になっているということです。
 E・H・カーは『歴史とは何か』の中で次のように言いました。

 確かに、歴史上の事実は、諸個人に関する事実に相違ありませんけれども、孤立した個人の行為に関する事実でもなければ、諸個人がみずから行為の動機と称するもの――真実のものであれ、架空のものであれ――に関する事実でもありません。それは社会のうちにおける諸個人の相互作用に関する事実であり、また、諸個人の行為から、しばしば彼らみずからが意図していた結果とは食い違った、時には反対の結果さえ生み出すような社会的諸力に関する事実なのです。


『歴史とは何か』(岩波新書)より


 これは当たり前のことです。歴史というのは、個人的のみならず社会的事実でもあるのであって、特定の個人の特定の行為・動機に還元して歴史を説明するのは、行き過ぎると危険だということです。個人的(あるいは個別的)要因と社会的(あるいは全体的)要因のあいだの相互作用を分析せよというのが、カーの主張でした。
 カーは次のようにも言っています。

 問題は、人間を個人として見る見方と、人間を集団のメンバーとして見る見方とのどちらが人々を誤解に導くかというようなことではなくて、人々を誤解に導くのは、両者の間に一線を劃そうという試みなのです


『歴史とは何か』(岩波新書)より


 たとえば、田母神氏(というか田母神氏が好んで読んでいるであろう、保守派言論陣)が言うように、「日本を開戦に導いて破滅させようとする共産主義者たちの陰謀」というものが存在したのだとしても、ちょっと考えれば、「世の中には他にも、思惑をもって政治に働きかけている勢力が無数にあるだろう」ということが想像できるわけです。
 「世界不況などを背景に平等と生産手段の共有化を訴える共産主義は世界中で猛威を奮(ママ)っていたのである」(95頁)と田母神氏は述べてるんですが、反共主義(というか「アカ」はヤバイ奴らだというムード)だって庶民レベルにまで浸透していたことには触れなくて良いんだろうか?って思うわけです。
 だから少なくとも、「その他の勢力の謀略が成功せず、共産主義者の謀略だけが成功したのはなぜか」というトータルな視点からの説明がないと、「共産主義者の陰謀」論は受け入れられないと思うんですよね。
 田母神氏に限らず、陰謀論というのは一般にそういうトータルな視点での検討をすっ飛ばしているので、「陰謀論は、薄弱な想像力の最後の逃げ場である」ぐらいに決めつけておくのが常識ってもんなんじゃないですかね。


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 以上、5年前に書いたメモです。


 べつに都知事選をめぐって田母神氏をdisりたいとかいう意味合いではありません。本書は全体的に歴史の話が多くて、政策とはあまり関係ない内容です。それに、田母神氏はその後けっこう良いことを言ってもいるらしい(最近何を言っているのかは、読んでないので全く知らない)ですし。単に、田母神氏ってどんなこと言ってたっけ?というのを思い出したかっただけです。
 ただ、振り返ってみるとやっぱ、少なくとも本書にはおかしいところがけっこうあったよなぁと……。私はあまり歴史の勉強をしていないので、史実としては分かってないことが多いのですが、史実というよりも議論の構造として、問題を感じる部分が多々あったんですよね。
 今回の都知事選については、脱原発とかよくわからないことを掲げている人よりは田母神氏のほうがいいと思いますが(私は都民ではないですけど)、田母神氏も言ってることがすごく紋切り型に思えて、保守派の一部が言っているような偉大な人物ではないんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。
 私は、田母神氏の主張はあまり知りませんが、どこかで「酒と女は2ゴウまで」*8とかいうギャグを言って満悦していた(俺ってユーモアあるでしょみたいな)のを見て、ああこれは卑しい人間だなと思いましたけどね。


 ちなみに「田母神史観」については、泰郁彦氏が『陰謀史観』という面白い本を一昨年書いていて、そのなかで一章を割いて批判しています。Kindle版買えます。


陰謀史観 (新潮新書)

陰謀史観 (新潮新書)


 ↑のメモでも最後にまとめてますが、「陰謀論」って、議論の構造がおかしい割に、ハマる人はハマるんですよね。ネトウヨみたいな人が、何でもかんでも「朝日新聞と日教組に騙されたせい」にするのも、議論の型としては一種の陰謀論に近いところがあり、陰謀論と同じ問題点を抱えていると思います。

*1:二分法をより直截に表している箇所をひとつ引用しておきます。「思うに歴史を見るに二つの立場がある。一つはこの国を断罪する立場で歴史を見る見方である。もう一つはこの国に深い愛情を持って見る見方である。普通多くの国は後者の見方で自分の国の歴史を見ていることが多い。しかし日本の学校で教えられている歴史は日本を断罪する立場で見ているのではないか。これが日本人が自信を失う大きな原因となっている」(38頁)

*2:本書から引用すると、たとえば「もちろんどの国の歴史にも光と影はある。だが、少なくとも日本だけが侵略国家などと言われる筋合いはないのである」(89頁)。しかし同じ本で何度も日本の「侵略」をハッキリ否定しているのだから、いったい何が言いたいのかわかりませんな。なお、田母神論文の方では「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」と書かれてありますが、これは「侵略ではなかった!」という意味なのか、「みんなやってたんだから良いじゃないか!」という意味なのか判然としません。

*3:本書から引用すると、たとえば「侵略どころかむしろ日本は戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」(7頁)

*4:ちなみに、例の「田母神論文」の出だしはこうです。「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。」

*5:田母神論文も「昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」という箇所がありますが、これは「だから問題ないんだ」という意味合いでした。安易に開き直られても困るのですが、もちろん逆に「だからダメなんです」と一概に断じることもできません。

*6:ベンヤミンの『暴力批判論』みたいな、ポストモダニストが大好きな本を持ち出すのは好きではないけど、論理的に突き詰めるとまぁ正しいことを言ってるとは思う

*7:2000年ごろに、R・スティネットという人の本が「ルーズベルト陰謀説」――日米開戦(真珠湾攻撃)は、ルーズベルト側が仕掛けた罠だったという説――の決定版みたいに取り上げられて話題になったとき、秦氏の研究グループが、その邦訳書の巻末でコテンパンに「陰謀説」を論破してて気持ち良かった。巻末じゃなくて巻頭に収録してくれと言いたかったけど。

*8:昔、愛人のことを「2号さん」と言ったので、お酒の「2合」と愛人の「2号」をかけている。