読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。このブログの裏で始めた統計&プログラミングのブログのほうがアクセスが伸びてしまい、こっちが裏みたいになってます。

藤井聡『新幹線とナショナリズム』


Amazonに投稿したレビュー(リンク)を貼ります。


新幹線とナショナリズム (朝日新書)

新幹線とナショナリズム (朝日新書)


 本書は、東海道新幹線の建設をめぐる約半世紀前のドラマを振り返るとともに、いま実は新幹線網のさらなる整備が急務なのだということを、歴史と理論の両面から説明するものである。


新幹線網の整備はまだまだ必要

 新幹線そのものについては多くの人が好ましい印象を持っているのに、それを新たに整備しようという話になると途端に「バラマキ無駄遣い」だの「土木利権」だのと騒ぎ始めるのはなぜなのだろうか。
 戦後の日本の都市の発展の歴史をみると、新幹線が開通した都市は栄え、開通しなかった都市が衰退するという傾向が明らかに存在すると著者は指摘する。また、東京・大阪・名古屋あたりに住んでいると分からないものだが、これまでのところ新幹線ネットワークの敷設はじつに中途半端な状態に留まっているのであって、これを全国にきちんと張り巡らすことでさらなる発展が望める地方都市は数多い(逆に言えば、新幹線が接続していないがために潜在的な活力を発揮できていない都市がたくさんある)。さらに、これから首都圏直下型地震・南海トラフ地震の脅威に備えなければならない我が国にとって、東海道のバックアップとなる北陸新幹線の大阪までの延長など、危機管理上の理由から建設を急がねばならない路線もあるのである。
 公共事業不要論の声は強く、新幹線の新設と聞けば「時代錯誤」「無駄遣い」などネガティブな印象を持つ人も多いだろう。しかし、たとえば東日本大震災の直後に開通した九州新幹線のめざましい活躍をみれば分かるように、新幹線を延長して地方経済のさらなる発展を図るというのは、べつに時代遅れでも何でもない。
 東海道新幹線の構想が持ち上がった1950年代、じつは世間でも専門家の間でも「鉄道斜陽化論」が唱えられていて、「航空機と自動車の時代が来たのだから、今どき高速鉄道網を新たに敷設するなんて馬鹿げている」という主張が支配的であった。理由が現代の公共事業不要論とは異なるものの、新幹線の建設案に対してネガティブな反応が大勢を占めていたという点では現代と同じである。もちろん、その支配的な「反・新幹線」論が大きな間違いであったことは、今日では誰の眼にも明らかだ。


ナショナリズムに支えられた新幹線プロジェクト

 半世紀前に「鉄道斜陽化論」をはねのけて東海道新幹線の開通を実現した大きな要因の一つが、「ナショナリズム」であったというのが著者の説である。ここでナショナリズムというのは、「国の発展を想う国民の意志の力」ぐらいの意味だ。新幹線の話題に中にいきなりナショナリズムの話が登場すると戸惑う読者もいるかもしれないが、難しい話ではない。
 当時、国鉄総裁の十河氏と技師長(技術系のトップ)の島氏は、鉄道斜陽化論が支配的な空気となっている中で、

 ・ 逼迫しつつある東海道の輸送キャパシティの増強は喫緊の課題である
 ・ 高度な交通ネットワークの整備が、経済発展をリードする
 ・ 日本の技術力を結集して「世界一」のスピードを目指す
 ・ 東京オリンピックに合わせて新幹線を開通することで国民の一体感を発揚する

 などの主張を粘り強く行って、反対派を説得していった。単なる輸送力増強の必要性やその経済効果を説くのみならず、「国」の意識を強く喚起することで、政府を動かし、世間を説得し、職員の士気を高めて、新幹線開通にこぎ着けたのである。
 実際、東海道新幹線は、旅客輸送に革命的なインパクトをもたらして経済成長に寄与したばかりでなく、「世界一のスピード」や「富士山をバックに疾走する新幹線」のイメージに象徴されるように、一種のナショナル・シンボルとして国民の誇りとなった。逆に言えば、ナショナル・シンボルを作り上げるというぐらいの意志の力がなければ、鉄道斜陽化論という空気を覆すことはできなかっただろう。


物理的インフラとナショナリズム

 ローマ帝国において、道路網の整備が国力の源泉であったことはよく指摘される。現代で言えば新幹線、高速道路、そして航空路線のような高速交通ネットワークは、物質的な側面において経済交流を活性化するとともに、精神的な側面において、国民の「統合」や「連帯」を強化する効果を持つ。
 先に述べたように、交通網への大規模な投資にはナショナリズムの後押しが不可欠であることと合わせて考えると、交通ネットワークという「物質的な基盤」とナショナリズムという「精神」の間には、相互に作用しながら国を発展に導いていくという関係があるわけである。本書が『新幹線とナショナリズム』と銘打たれているのは、そういうダイナミズムが強靱な国土を築き上げてゆく過程が、新幹線の歴史を辿ることでよく理解できるからである。
 「ナショナリズム」と言うと、他国に対する敵意や国内における自由の抑圧をイメージする人もいるかも知れないが、著者の言うナショナリズムはそういうものではないし、単なる愛国心とも異なる概念である。本書の前半で詳しく解説されているが、著者の言うナショナリズムとは、拡大された家族のようなものとしての「国民」が、連帯して、自らの発展に向けて行動を起こしていく意志のことである。
 文化的共同体の歴史を国家の土台と見なす「民族主義」とも、近代的な統治機構を国家の土台と見なす「政府主義」とも、関係はあるが異なっている。むしろそれらの両方が合わさって発揮される、国民の活力のようなものを「ナショナリズム」と呼んでいると思えば良いだろう。


ナショナリズムが未来を切り開く

 ところで、我々は子供のころから「リニアモーターカー」の構想を聞かされてきたものだが、未だに実現していない。一応、中央リニア新幹線構想というものがあって、完成すれば東京-大阪間が1時間強で結ばれるという強烈なインパクトをもたらすらしいのだが、東京-名古屋間を結ぶのに15年かかり、大阪まで到達するには30年もかかるという。
 著者は、リニア新幹線の計画が非常に間延びしたものになっているのは、国土の発展を願う国民の意志としてのナショナリズムが貧弱であるからだと指摘する。事実、リニア新幹線構想には基本的に国費は投入されないことになっており、あくまでJR東海が自社のビジネスとしての実現を目指すことになっているらしい。
 しかし半世紀前の新幹線プロジェクトをみても明らかなように、交通インフラへの大規模投資を国家論と切り離すことはできない。交通網の整備は「国づくり」の一環なのだというイメージや物語を、国民が共有する必要があるのである。これはリニア新幹線にも言えるし、既存新幹線網の地方都市への延伸にも言える。「主要な都市が高速鉄道網で連結された強靱な国土」を「国民の意志」として希望するのでなければ、これらの投資プロジェクトが成功することはない。鉄道会社や、関係する一部の都市の利害のためにやるのではないのである。
 今、我が国は巨大地震の脅威に直面しているところでもあって、リスク分散の観点からも新幹線網の拡充は急務であると著者は警告する。交通インフラの再整備を「国民の課題」として捉え直し、ナショナル・プロジェクトとして推し進めていく意志の力が必要とされているのである。