The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

「社会人」→「サラリーマン」

 ツイッターで社会学者の鈴木謙介が、4月1日に就職する学生に向けて、「新社会人へ」うんぬんという書き込みをしていた。


 「新社会人へ」鈴木謙介(kskszk 社会学者)http://togetter.com/li/118199

でも、参政権があったり年金を払ったりしている学生は社会に出てないかっていうとそんなことはない。社会人っていうのはあるとき突然なるんじゃなくて、段々なっていくものだと思うんです。

その中でもごく狭い意味での社会人っていうのは、会社人のことですね。ある組織の中で立場と権限、そして裁量を与えられている人のことです。


 ここで鈴木氏が言っているように、「学生は社会人ではないのか?」ってのは私もそれこそ学生の頃から気になっていたことで、他にもたとえば「女性の社会進出」とかいうのも考えてみれば変な語法である。べつに専業主婦はホラ穴に引き籠っているわけではなく、まぎれもなく「社会」のなかで生きているわけだから。学校だって家庭だって地域だって、「社会」の一部なのだ。
 ウィキペディアにも、

そもそも「社会」とは、人と人との繋がり、人々の集団と言う意味であり、子どもや学生、高齢者、退職者でも他人との何らかの繋がりがある限り社会に参加している人=社会人である。


と注意書きがある。
 一応「社会人」ってのは、親が作った家庭を生活拠点*1にしていた子供が、「社会」のどこかに自分で生活拠点を作らなくてはならなくなる、というほどの意味なんだろう。あるいは、「ゲマインシャフト=共同体」から「ゲゼルシャフト=社会」へ軸足を移すという意味でそういう語法を採っているのだ、とか何とか言えば、説明はできるのかもしれない。


 で、「社会人」という言葉をめぐって私が思うのは実に平凡なことで、文字どおりの「社会人」であることはなかなか難しいことだということだ。「社会」というのはかなり総合的なシステムだけど、普通の人間はその総合的なシステムの一部分にしか関われないし、社会の構成要素の大半は目にも入ってこないのだ。たとえば先ほど「学校だって社会の一部」と言ったけど、サラリーマン(若手)をやってると「今の学生・生徒」の生活なんてよく分からないわけである。まじで。小中学生の子供がいる年齢になればある程度は分かると思うけど。サラリーマンになって自分の眼に見えてくるものっていうのは、広めに言っても「ビジネスの世界+α」、やや狭く言って「自分の業界+α」、もっと正直に言えば「自分の会社+α」ぐらいの範囲であることが普通なんじゃないだろうか。
 「学生 ⇔ 社会人」「専業主婦 ⇔ 社会人」という区別のいずれにしても、一応、社会の「前線」や「中心」からの距離で区別しているようなイメージで、「社会人」は「学生」や「専業主婦」よりも「社会」を良く知っているという含意があるんだろうけど、その実、大半のサラリーマンは私も含め、「社会を良く知っている」なんて御世辞にも言えないショボい存在なのだ*2


 ちょうど日経BOにこんな記事が掲載されていた。


 真藤恒「事務屋・技術屋これは方便、企業人たる前に社会人たれ」http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110330/219228/?P=3&ST=spc_henkaku


 べつに大して面白い記事ではないんだけど、

 ホワイトカラーの生産性を上げるということは、人を減らして生産性を上げるという意味ではない。いろいろな部門で経験を積んだ人たちが皆、有効に働くように事業のレパートリーを広げていくという形で、生産性を上げることができるか否か、そこに発展のカギがある。たとえば、いま持っている技術の中に、うまくやればかなりの事業になる種がたくさんあるとすれば、それを取り上げて、一つの事業として成り立たせる。これが生産性向上の最も有効な方法である。

 事務屋は事務的な部門で何をなし得るかというような、最初からワクをはめた考え方は捨てたほうがいい。もちろん、その他に先行投資の仕方とか、経営をどっちの方向に向けるべきかとか、いろいろあるけれども、とにかく先を見ての仕事というのは、技術系統でない人のほうが、素養さえ基礎にあれば向いている。

 基礎的な素養の中には、歴史を見る目というものが大切である。人文科学の勉強によって、歴史を正しく評価しながら進めることが大切で、一番正しいと思う。歴史をわすれ、歴史を無視した社会行動は何一つ通用しない。政治も経営も、技術だって皆成り立たない。

 大体やっていることが歴史の一コマなのだから、歴史の中に一貫して流れている変化の法則を、おぼろげながらでも身につけていく、体得する、それが非常に大切である。史観の裏付けに欠けた行動は宙に浮いてしまう。事務屋とか技術屋とかでなく、人間として要は、企業人であるより前にまず社会人であることを忘れてはならない。


 という引用があって、自分が社会のパーツの一つであり、歴史のパーツの一つであることを忘れるなというのは、ありきたりだけどメチャクチャ重要なことではある。視野の狭い「専門家」任せにすることがいかに組織や社会を堕落させるかというのは、企業経営に限ったことでもなく、いわゆる「近代主義」を批判してきた系統の思想家をはじめとして、色んな人が語っていることだ。
 「社会人」は「総合人」であると。それは特定の専門を持たないという意味ではなくて、「自分の専門を超える」という態度を持つことの大切さを本当に理解して、努力しているということだ。これはけっこう難しいことなので、私は安易に「俺が社会人になって〜」「俺は社会人5年目で〜」とかできるだけ言わないようにして、「サラリーマン」という単語を主に使っていきたいと思います(笑)

*1:下宿している場合でも親からカネ貰ってるなら、まぁ、実家の飛び地みたいなもんだと言えなくもない

*2:とはいえ、良いか悪いかは別にして、サラリーマン(ビジネスマンや公務員など)の世界が社会の「前線」や「中心」であると多くの人が思っているのは確かだ。「前線」や「中心」がどこなのかというのは、結局のところ「みんながどう思うか」で決まるとも言えるから、サラリーマンを「社会人」と呼ぶことにどうしても反対したいというわけではない。