The Midnight Seminar

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猪木武徳『戦後世界経済史』(中公新書)

戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書)

戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書)

 2009年に日経の「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」で1位になった本で、それだけの理由で読みました。後述のとおり不満な点もありますが、専門知識を必要とせずとても分かりやすいし、トピックの選択のバランスもいいと思うし、抽象的な「経済理論」に固執せず「事実」の重みや「政治」の力を冷静に評価するスタンスも好感が持てます。


 第1章第1節は、著者が戦後世界経済の歴史を「5つの視点」で総括するもので、ここが一番面白い。歴史というのは決して事実の羅列ではなく、ある「ビジョン」に従った事実の「解釈」なので、こうしたビジョンの表明は非常に大事でしょう。
 (1)戦後経済は、市場経済の発展というよりは、「市場化分野と公共(政府)部門の拡大」⇒「私的領域の縮小」という過程としてとらえるべきである。(2)グローバリゼーションは世界の均質化をもたらすものではなく、各国の政治・文化の歴史や「距離」の壁は基本的に強力である。(3)経済格差については様々な議論があるものの、「健全な中間層の厚み」こそが、政治・社会的な安定と経済発展にとって極めて重要であることは疑いがない。(4)グローバル経済の有効な「ガバナンス」機構は存在せず、依然として「国家」という機構が重要なカギを握っている。そして(5)市場経済成立の前提となるのは、前市場的(非市場的)な人々の間の「信頼」であって、先進国においては数百年の歴史を通じて醸成された人々の「信頼」ネットワークが経済発展の基盤として機能してきたのに、現代経済のプレイヤーの視野は狭く短くなっていて、お互いの信頼を弱めるような産業社会が到来してしまっており、「安心」「安全」が今後の重要なキーワードである。
 こうしたビジョンが語られる第1章第1節は、けっこう名文だと思います。


 第2章以下は具体的な歴史の解説です。
 第2章は、戦後復興から冷戦体制への流れの説明で、マーシャルプランをはじめとする戦後ヨーロッパの復興政策、ソ連の社会主義経済の展開及びドイツの東西分割の経済的側面について。
 第3章は、高度成長期の先進国経済の話で、アメリカの鉄鋼業と自動車産業の50〜70年代の苦戦(日本との競争)、基軸通貨国としてドルの流動性を世界に供給するためにアメリカが財政赤字・経常収支赤字・インフレを引き受け続け、ブレトンウッズ体制崩壊を導いていく経緯、そしてEC統合前のヨーロッパ主要国の経済成長の素描。
 第4章は、欧米先進国以外の国々の発展と停滞の概説で、戦後中国の計画経済の失敗、韓国・台湾・香港・シンガポールの戦後の発展のパターン、東欧の社会主義経済の停滞とその反動、50〜80年代ラテンアメリカの輸入代替工業化をはじめとする経済政策、英国支配から抜け出したインド・パキスタンの戦後経済、独立したアフリカ諸国が主として政治的不安定により経済が破綻し対外債務を抱え込むようになったパターンを説明。
 第5章は、高度成長終戦後の世界経済の「転換」を扱った章で、石油危機、食糧危機、スタグフレーション、ヨーロッパの生産性の低迷、女性の社会進出、東アジア諸国の急成長、80年代欧米の「新自由主義」による自由化と規制緩和の流れ、アメリカの対日市場開放圧力など。
 第6章は「破綻」と題され、ラテンアメリカを中心とする途上国への投資マネーの流入と80〜90年代の対外債務危機やアジア通貨危機といったグローバル金融市場の不安定性の話に始まり、社会主義経済の破綻からEU統合とアジアの地域統合への流れ、環境問題を扱い、20世紀〜21世紀にかけてたびたび発生した金融バブルとその崩壊を振り返って締めくくられる。


 ひと通り有名な経済現象が取り上げられていて、記述も分かりやすく面白いです。とくに国際収支と為替の動きを歴史として国別・年代別にアタマに入れることの重要性を痛感しまして、史実の整理とともに「マクロ経済学の教科書をちゃんと復習しないと……」と思わせてくれました。


 さて良い本ですが難点もあります。例えば記述が断片化している印象もあって、第1章を除くと“様々なトピックの羅列”という感がけっこうあります。歴史の本なのに「年表」が一切登場しないので、「通史」として戦後経済の流れをイメージするのにはあまり役に立たないかもしれません。併せて別の教科書で年表を確認した方がいいですね。
 また、グラフや数表が全く登場しないというのも、非常につらいです。国と国、時代と時代の間のデータ比較は歴史をイメージする上でも重要で、実際本文中には様々な統計データが引用されるのですが、図表によるまとめは皆無なので読んでいて非常に疲れます。