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The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。このブログの裏で始めた統計&プログラミングのブログのほうがアクセスが伸びてしまい、こっちが裏みたいになってます。

アキレスと亀(ゼノンのパラドックス)

 しょーもないネタですが、久しぶりに思い出したので書いておこう。
 ゼノンのパラドックスの一つに「アキレスと亀」という有名な問題がある。簡単にいうと、

  1. アキレスは亀よりも速く走れる。
  2. 亀の方が前にいる状態で、同時にスタート。
  3. 亀がスタート時にいた地点にアキレスが到達したとき、亀はすこし前に進んでいる。
  4. その少し前に進んだ亀がいる地点にアキレスが到達するとき、亀はまたすこし前に進んでいる。
  5. この行程は無限に繰り返される。
  6. よってアキレスは亀を追い越せない。


 というもので、有名な問題なので、解説しているサイトもたくさんある。はてなクエスチョンでも問いがたてられてい、いろんな解説がされていた。
 http://q.hatena.ne.jp/1149753436


 だいたい、無限等比級数のイメージで説明する場合が多いようだ。つまり、上記の「亀がもといた地点に……」の行程は無限に繰り返されるが、1行程に必要な時間(またはその行程の距離)も無限に小さくなっていくので、数学的には、「いつまで経っても」追いつけないわけではないという話。他のサイトでも……

 アキレスと亀--“無限”のパラドックス
 http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/timespace/node54.html


 結局、この「1回め」「2回め」という操作の回数が無限回になるということと、「時間が無限にかかる」という二つの「無限」をごっちゃにしてしまったことが間違いだったのです。アキレスと亀のパラドックスはこのように、「無限回の操作を行っても、それに必要な時間が無限ではない」ということから解決されます。


 といった解説がされている。しかし個人的にはこういう説明は好きではない。なんかあまりかっこよくない気がするのだ。私が数学が苦手だからというのもあるが、もっと直観的なレベルで「なるほど」と思わせる説明のほうが、かっこいいのではないか。
 大学1年生の時に、野矢茂樹の『無限論の教室』(講談社現代新書)という本を読んだことがあって、その本では「実無限と可能無限」という、「無限」概念についての2つの立場が説明されていたが、これが一番しっくりきた。
 なお、野矢といえば、受験生の頃『論理トレーニング』(産業図書)という論理学のワークブックがけっこう売れているのを知っていたし、大学に入って他学部の生成文法理論の授業に出たら、最初に野矢の『はじめて考えるときのように』(迷宮旅行社)という絵本みたいなのを読めと言われて読んだ記憶があるし、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の岩波文庫版の訳者としても親しんだ書き手ではあるけど、未だに何者なのかよく知らない。でもあの文章の分かりやすさは偉大だ。


 『無限論の教室』で言われている「実無限派」というのは、「無限」というものを、何かあるものが数えきれないほど存在するかのようにイメージする立場だ。それに対して「可能無限派」というのは、「無限」というのは「量」でも「数」でもなく、単なる考え方の方法の一つ、思考の規則の一つにすぎないとする立場である。
 ゼノンのパラドックスについて言うと、無限等比級数とかで説明しようとする人は、あくまでアキレスと亀の運動を、微小な運動単位をたくさん(というか無限個)積み上げて理解しようとしている。しかしこのアプローチは根本的に間違っている。いや、間違っているというより、ナンセンスというか、「あ、なるほど!」という発見が全くない説明だ。
 野矢のいう「可能無限」の考え方からすると、ゼノンの説明ってのは要するに、「アキレスが亀に追いつき、追い越していく」という出来事の前半部分を、無限に分割するロジックがあるということを言っているに過ぎない。それはあくまで単なるロジックであり、シミュレーションであり、バーチャルな思弁でしかない。そういう思弁を行うための枠組みが、人間の脳にはインストールされているというだけの話だ。
 野矢は同書で、「終わらないのはアキレスの運動ではなく、ゼノンの解説の方です。ゼノンのこの解説の仕方はいつまでも終わることのない解説法になっています。」と要約している。これぞまさに「あ、なるほど!」的な解き方だと私は思うわけです。


 可能無限について一番分かりやすいと思ったのは、↓の説明。ちなみにこの本は小説みたいに、先生と生徒の会話として書かれている。

 「πの少数展開を考えましょう。3.14159265358973……と続いていきます。(略)この果てしなく続く数列の中に、いつか7が十個続くようなことが起こるだろうか、ということを問題にします。(略)そういう並びは『出るか出ないかのどちらかだ』、そう思いますか?」

 「そう、思うでしょう」

 「それが愚劣だと私は言いたいのです。πの少数展開は人間が遂行する以前に定まっていて、人間はただそれを見出していくだけだと考えれば、ちょうど『この山のどこかに宝が埋まっている』という予言を確かめるときのように、『πのどこかに7の十個のつながりが埋まっているか埋まっていないかのどちらかだ』と考えてしまうでしょう。しかし、これはまさに実無限的な考え方です。もうどこかにπの少数展開は存在していて、そこには7の十個のつながりがあるかないかのどちらかだと、そういう考え方にほかなりません。しかし、可能無限的な観点からすれば、πというのはその少数展開を順番に作り出していく規則であり、展開されていく少数は、その規則に従って構成されて初めて産声をあげる存在者なのです。つまり、まだ展開されていないπの先は、分からないのではなくて、存在していないのです。存在していないものに対して、7の十個のつながりがあるとかないとか言うことはナンセンスでしょう」


 なお、あとがきには、「本書の精神的な背骨は、一回も名前こそ出さなかったが、ウィトゲンシュタインなのである。」と書いてあった。へー。


 

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)