The Midnight Seminar

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宝くじを買うべきか否か

【正論】同志社大学教授・三木光範 金融危機の「工学的」落とし穴
2008.10.31 03:50
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081031/fnc0810310351007-n1.htm


 (略)
 さらに、過去のデータの統計解析で得られるデータは、将来の長期間の事象に対する統計値としての意味はあっても、将来の短期間の変動を予測することはできない。じゃんけんで勝つ確率は0・5であり、100回やれば勝率はほぼ40〜60%となる。この勝率は、10回の勝負では18〜82%となり、大きく変動する。もちろん、1回の勝負では勝率は0〜100%まで変化する。
 すなわち、統計的に正しい結果は、多数繰り返した場合の統計値として使えるが、少数の事象にはあまり役に立たない。洗濯機が故障する確率は、メーカーとして修理要員の数を決めるのに役立ち、火事が起こる確率は火災保険の保険金額を決めるのに役立つが、それに関係する個人としては大きな意味はない。
 (略)
もう一つ重大な問題がある。それは、金融工学の発達とコンピューターの利用で、金融商品の売買に類似のルールが適用され、動きが同じ方向に流れる危険性が多くなったことだ。
 (略)
 一方、金融商品の売買での儲けはヒューマンエラー(人の判断の間違い)だけで成り立っており、本質的にゼロサムゲーム(合計がゼロになるゲーム)、すなわち全員が勝つことができないものなのだ。
 (略)


 金融工学の話も重要ですが、この「確率」の話は金融を離れても大事なことです。
 これは、私が「宝くじ」に関して大学1年のときから主張していることでもあります(笑)


 ちょっと物を知ったような顔をした奴から、「宝くじは期待値が競馬より低いんだから、そんなものを買うのは馬鹿げている」とか言われてものすごく腹が立ったことがあります。そんな統計的な情報は、私という一個人が宝くじを買うという行為にはほとんど関係がない。「確率」というのは膨大な試行回数を前提としてマクロに状況の全体像を語る場合にのみ意味をもつ*1のであって、私が何万回も宝くじを買うならばともかくとして、限られた人生、限られた資金の中で年に数回購入するだけという条件のもとでは、ほぼ無意味です。運が良ければ、一回だけしか買わなくても当たるんですから。


 当たりくじは毎回必ず存在する(それが買われていない可能性はあるけど)わけですが、どのくじが当たるのかは全く分からない。だからこそ公平なギャンブルとして成り立つわけですよね。で、試行回数が少なければ少ないほど、この「どのくじが当たるのかは分からない」という条件の意味合いが大きくなって、宝くじを買うことが損なのか得なのかは判断できなくなります。逆に試行回数が多ければ多いほど、「何%の確率で当たる」という統計情報の意味合いが大きくなって、損得勘定の精度は上がります。
 つまり、たとえば「当たる確率1%」という情報からは、「100回やれば1回ぐらい当たる」という判断は引き出せますが、どの1回が当たるかは全く分からない。特定の1回(たとえば「次の1回」)が当たるかどうかについて、有用な情報は存在しないと言うべきなのです。だから、「次の年末ジャンボで私が買う50枚が当たるかどうか」なんていう小さな範囲の話では、「当たる確率は何%」とか言うよりも、「全く分からん」と言っておく方がリアルなわけです。


 そう昔から思っているのですが、私は数学は苦手なので、まぁいつか専門家にでも相談する機会があれば良いなと思います。


 私は断固として宝くじは買い続けます。
 上記のとおり損得の判断材料は存在しないに等しいので、買い続ける「合理的な」理由はありません。まぁ一応、「購入者全体にとって期待値が低いとしても、ひょっとしたら私自身は神に選ばれた幸運の持ち主で、次の1回で大当たりするかも知れない」と本気で思っているから買うわけですが、それは「私は道端で当たりくじを拾うかも知れないから、宝くじは買わない」というのと同じぐらい無意味な判断です。だから、ギャンブラーの常套句である「買わなければ当たらない。だから買うんだ」という話も、宝くじの場合はあまり意味がないと思います。


 要するに、「なんとなく当たるような気がする」という気分に動かされているわけですね。*2
 そして、「宝くじの期待値は競馬より低いから買わない」という判断が、私の「気分」に比べて合理的なわけでもないということです。

*1:宝くじみたいに、大当たりする確率の値がきわめて小さい場合は特にそうだ。

*2:宝くじ問題に限らず、費用対効果みたいな損得勘定が厳密に合理的であることはありえない。究極的には気分(心理)の問題だ。