The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。このブログの裏で始めた統計&プログラミングのブログのほうがアクセスが伸びてしまい、こっちが裏みたいになってます。

8月16日発売の雑誌に出てますので

 8月16日発売の雑誌『表現者』に、「我々は『居場所』を作り出せるのか――秋葉原通り魔事件について」という評論を載せていただいています。


 

表現者 2008年 09月号 [雑誌]

表現者 2008年 09月号 [雑誌]


 注記するとすれば……

  1. 6月末〜7月初頭に書いた文章なので、それ以来1ヵ月半ぐらいの間にメディアで語られた議論はフォローできてない。でもまあ特段の不都合は感じない。
  2. 鈴木謙介がラジオで「『みんな語りすぎだよ!』ってみんなが言ってる」と指摘したような状況*1では、この事件を文章で取り上げること自体がミーハー的な関心に基づいていると思われるかも知れないが、書いたきっかけは、プライベートで加藤に似た狂人の相手をしてきた経緯があって、報道に接するたびにピンと来てしまったからです。
  3. 「保守思想」を掲げている雑誌に載る文章であり、「若者社会」や「若者文化」をめぐる議論にもともとあまり関心を持っていない読者を想定して書いているので、そういう議論に普段から接している人にとっては退屈な内容かもしれない。


 3.は重要な論点だと思われます。若者社会論を理論的に前進させているのは、ほとんどが「現代思想」(←古い言葉だが)や「サブカル」系の論者たちばかりなので、彼らの議論の成果を踏まえつつ「保守思想」(=実存哲学+解釈学)の中に若者社会論を組み込んでいくという作業が、これから絶対に必要だし面白いはず。(私にはそれを遂行する能力も機会もあまりないですが、とりあえずできる範囲でいろいろ勉強しときます。)

*1:「『みんな語りすぎだよ!』ってみんなが言ってる」という状況になっているのは知っている。しかしそれって、簡単に言うと「ワープア論壇」みたいなものに日常的に接している人たちの範囲でそうなっているだけではないのか?要するに、今回の事件をめぐる「メディアイベント」というのも、ワイドショーや週刊誌で一時的に盛り上がるのは当然として、それ以降は「若者の生きている社会」について論じるのが好きな人たちの間でしか起きていないのではないかと思う。 実際、私が日常生活を送っているサラリーマン社会では、「いや〜オタクって恐いね」程度のことしか語られなかった(笑)。まぁみんな仕事で忙しいのだからサラリーマンは良いとして、私が問題だと思うのは、いわゆる保守派の知識人たちがいつも「若者論」に鈍感であることだ。今回の事件については保守派の論評に接する機会があまりなかったので、産経新聞に出た佐々淳行石原慎太郎のものを除いては保守派が何を言っているのかよく知らないが、「バーチャルリアリティの弊害だ」とか、「治安対策が必要だ」とか、「道徳・情操教育が必要だ」とか、極端な場合には「若者の根性を叩きなおすために徴兵制が必要だ」とか言うのがお決まりのパターンだ。石原慎太郎は違ったけど。