The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

カール・ヤスパース『哲学入門』


 本書は、1949年にカール・ヤスパースが行った全12講のラジオ講演を文字に起こしたものである。
 たしかに一般向けのラジオ・プログラムではあるようで、読者(聴取者)に専門的な知識を要求しない内容になっている──端的にいえば、他の哲学者の著作への参照が最小限に抑えられている──し、息の長い論理展開は避けられているし、巻末には「はじめて哲学を学ぶ人びとのために」と題された文献案内が付録として収められている。
 しかし恐らく、本当に「はじめて」哲学を学ぶ人がこのラジオ講演を聴いても(本書を読んでも)、さっぱり理解できないだろうと思う(笑)。「存在」とは何か、「自由」とは何か、「神」とは何かといったことについてある程度真剣に思いを巡らしたことのある人でないと、そもそもヤスパースが本書で何を問題にしているのかということすら、つかむことができないだろう。
 たとえば『図解雑学』シリーズみたいなチャート式の概説書で何かを理解した気になれれば──そのじつ「哲学」の門の傍らを通り過ぎるだけで一向に人生の足しにならなくても──それでいい、というタイプの人にとっては、全く役に立たない「入門書」だ。


 むしろ本書は、自分なりに哲学的な問いを発し、それに答える努力を続けてきた人たちに、思索のヒントを与えるものだと言ったほうが良いだろう。ヤスパース自身が本書のなかで「哲学は与えない。それは単に覚醒さすことができるだけです」(p.75)と言っているように、哲学書というものは一般に、読者に「答え」を与えるようなものではないのだ。それは読者に徹底的な自己反省を促したり、あるいは反省の錯誤を正させたりすることができるのみである。
 本書が俗な意味での「入門書」の枠に留まるものでないということは、言い換えれば、それなりの頻度と深度をもっていわゆる(古典的ないし専門的な)「哲学書」の吟味に取り組んできた経験を持つ人が本書を読んだとしても、「入門書」に付きものの物足りなさを覚えることがないだろうということでもある。


 ちなみに私個人にとっては、本書のもつ重要性は「物足りなさを覚えることがない」などというよりも遥かに高い水準にある。この講演録の内容は、いま私が欲している「答え」――たとえば「存在」とそれを可能にするところの「自由」や「決断」との関係――に限りなく肉薄しているからだ(私程度のレベルの読者にとっては)。「入門書」だから簡潔にまとめられているとはいえ、さすがヤスパースの手になるだけあって、実存哲学の本質は見事に保持されていると思うのである。本書は私にとって、「答え」に登り詰めるための、かなり高度に洗練された言葉の梯子のようなものなのだ。
 というか、ある思想を、無闇に単純化することなく、その本質を犠牲にすることなく要約したときにでき上がるのは、「入門」の書というよりは詩的な「仕上げ」の書なのであろう。この講演録は私にとって、まさに現時点において自分の頭の中身を綺麗に整頓してくれる「仕上げ」の書であった。もちろん私など、勉強も考えもはなはだ不十分なので、可能なのは“差し当たりの仕上げ”に過ぎないけど。


 個別の論点として印象深かったものをひとつ挙げるとすれば、「真理は二人から始まる」(p.185)という命題だ。「哲学の本質は伝達可能性そのもの」(p.37)とも言われていて、要するに、人と人との「交わり」に基礎を持たないような思索、言い換えれば「コミュニケーション」の場から脱落しているような思索は、真理の条件を決定的に欠いているということである。
 一方で、人の「独立性」を回復するのが哲学なのだとも言われているが、これらのふたつの命題は決して矛盾するものではない。独立的・自律的に打ち立てられ、かつ他者との相互了解可能性のうちに根ざしているような両義的な思索だけが、「存在の真理」(これはハイデガーの言葉だが)を我々にもたらすことができるということである。

哲学入門 (新潮文庫)

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