The Midnight Seminar

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ニーチェ『善悪の彼岸』


久しぶりにパラパラと読み返してみた。(岩波文庫版)

○ 高い感覚の強さではなく、むしろその持続が高い人間を作る。(p.103)


○ 天才をもつ人間は、少なくともその上なお二通りのものを所有しないならば、耐えがたい存在である。すなわち、感恩と、純潔と。(p.103)


○ 男の成熟、──それは子供の頃に遊戯の際に示したあの真剣さを再び見いだしたことを言う。(p.108)


○ われわれの人生の偉大な時期は、われわれの悪をわれわれの最善と名づけ改める勇気を得るに至るその時である。(p.113)


○ すべての立派な女性にとって、学問は羞恥に逆らう。彼女らにはその際、自分たちの皮膚の下を、──さらに厭なことには! 着物と化粧の下を覗かれるような気がするのだ。(p.116)


○ 或る人が何であるかは、彼の才能が衰えるときに、──彼が何を為しうるかを示すことを煩(や)めるときに、始めて暴露される。才能もまた一つの化粧である。


○ 男と女とを全体的に比較して、こう言ってよいであろう。わき役を演じる本能をもたないような女は、化粧の天才をもたないであろう、と。(p.120)


○ 隣人を或る良い意見へ誘っておいて、その後で隣人のこの意見を信じて帰依する。この曲芸にかけて女どもに及ぶものが誰かあろうか。──(p.121)


○ 狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし集団・党派・民族・時代にあっては通例である。(p.123)


○ 自分について蝶々することは、自分を隠す一つの手段でもありうる。(p.126)


○ 「誠実」とは何であるかについて、恐らくいまだ何人も十分に誠実ではなかった。(p.127)


○ しかし、女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。真理ほど女にとって疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。──女の最大の技巧は虚言であり、女の最高の関心事は外見と美しさである。われわれは、われわれ男たちは告白しよう。われわれは女がもつほかならぬこの技術のこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれ、そのわれわれは重苦しいから、女という生き物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆ど馬鹿々々ものに見えてくるのだ。(p.219)


○ 高貴であることの徴(しるし)。──われわれの義務を万人にとっての義務にまで引き下げようなどとは決して考えないこと。自己の責任を譲り渡そうと欲せず、頒(わ)かち合おうと欲しないこと。自己の特権とその行使を自己の義務のうちに数えること。(p.292)